それでも、つながりたい

まずはじめに、私の人生にあなたが含まれていないと感じさせてしまうことに対して謝らないといけない。本当に心から、ごめんなさい。
自分にとっては相手の行動を思いやっているつもりが、私のことしか考えていないように受け取れる発言を多々してしまう。
「そんなつもりはなくても、本能的に利用するために相手を使っているようにしか思えない」
これまでの人生で幾度となくそう言われてきた。ここで大事なのは、いくら思いやった行動をしたつもりでも、受け取り手がそう思えてしまったのならそれが真実になりうるということ。だから言われる度に真摯に受け止めるのだが、かといって一向に治る気配がない。
それでも、そんな私を信じてくれて、ありがとう。
前提として、私は順序立てて話すことが苦手だから言葉選びを間違えて思っていないように捉えられてしまうことが多い人間だということ、そしてややこしいことをやらかしてる上に、プライベートでもお互い忙しくて”今ではない”タイミングで好きになって付き合ったこと、さまざまな要素のせいであんまり伝わっていないことの方が多い気がする。だから、文字で残すね。

。。。


好きな人の不眠症が治りかけている。話を聞く限り、おそらくながいあいだ眠れないことに苦しんでいたはず。
私と一緒にいると心が動かされるんだって。嬉しくなったり、悲しくなったり、モヤモヤがはっきりしたり、するんだって。
嬉しいね、すごく嬉しい。
今もあなたの寝顔を見ながらこれを打っているよ。

。。。

6月といってももうほぼ真夏に近い、けれど分厚い雲がちらほら空にたむろしてる、ジメジメしたギラギラな日だった。
あそこらへんにお店があることは知っていたんだ。だから歩いて視界にお店が入ったとき、ここか〜と思ったし、誰もいなかったから、このタイミングで入ろうと思って思い切って扉を開けたの。
そしてお店の中に入って、目を合わせた瞬間、こう思ったの。
「やめてほしいなぁ。」
当時の私には好きな人がいた。実際好きだったのだけど正直、今振り返るとどちらかというと”好きにならなければならない人”という義務感みたいなものに近かった。だから”好きにならなければならない人”がいる中で、あなたみたいなことが現れてしまうことはとてもいけないことだったの。なぜなら、ドアを開けたこの数秒の間に魅かれてしまうほど、魅力的だから。
でもなんて話かけていいかわからなかったから、注文が終わった後に
「抹茶を探しているんですけど、お茶屋さん知りませんか?」
と本来の目的を尋ねた。涼しげに、その場を包むように笑い返してくれたが当然知らなそうだった。その代わりと言ってはなんだがお互いの自己紹介が始まった。
途中、お店で流れてれていたあなたのつくったプレイリストの中に私の好きなモーモールルギャバンのサイケな恋人があったり、ずっと気になっていた曲が流れてきて曲の題名を知ることができたり。好きな小説の話からフィクションノンフィクション関係なく書き物は必ずユーモアが含まれていて、そこに書いてあること全てが本音ではない、東野圭吾も人を殺したくてたまらないのではなく、殺人はメッセージを伝える手段でしかないこと、作者と作品は別物であること。話た内容は昨日のことのように覚えている。
話している時間はあっという間だったことを別の言い方で表すとするならば、2時間も経たないうちにドキドキしていた、心臓がバクバクしていたのよ実は。ただ、当時は気づかなかったし、最近までそのことを”知らなかった”。自分の気持ちを知らないなんておかしな話に聞こえるが、当時の私はそれほど自分を大切にできていなかった。
それからお店にはちょくちょく顔を覗きに行った。別府には14時から18時に開いているお店が少ないからちょうど良かったのもあったけど、他の店が開いていないからカレーを食べにいくというより、あなたといる時間を楽しみに行っていた。だってあなた、私がくると、あまりにも嬉しそうな顔をしていたから。嬉しかった、私が存在していい理由をもらっている気がした。
雨の降っていたとある日、泣き出した私にあたたかいチャイを入れてくれた。すごくお金に困っているはずなのにそんなのお構いなしに淹れてくれた、心の奥底から温まった。それが人生で一番美味しいチャイなのは今も変わらない。チャレンジスペース最終日も、あまりにも大変そうだったから手伝うことをその場で決めた時もバタバタしながら「将来この人とお店をやりたい」、そんな漠然とした気持ちを心の隅っこで抱いていた。
もう一度言うが、この気持ちは最近になってやっと知った、ずっとわからなかった。

あの夏から2年経つ。
ごめんね、あなたが好きだということに2年もかかってしまった。

あのとき、意味不明な行動をしてごめんね。自分でも訳が分からずやってしまった感と、よく分からない展開にワクワクした自分がいて、どれが本当の自分か分からない、どの感情が本当の自分なのか、よく分からない。連絡を絶った後もあの時の自分が理解できなくて。理解はできないのだけど明らかな感情のエラーのバグで、あの時とった行動の全てが思ってもいないことだったし、それを自ら行ってしまったことを無かったことにしたかったのだと思う。自分勝手にも程があるよね。好きな人がいるのに好きな人ができてしまったのを自分の中でどう処理すればいいのかわからなかったのだと思う。好かれていることはわかっていたけど、私もあなたのことが好きで両思いということがわからなかったの。それまでも自分の感情と向き合うことから逃げて周りに迷惑をかけることがなかったわけではない、から、この件を自分の中ではっきりさせないとまた同じようなことをやってしまって、メチャクチャにして、一生大学一年生みたいなことをしてしまうのだろうな、などと考えていたの。

だから、心がポワポワ宣言をしたことで自分自身と向き合わなければならない状況に自分自身でしむいたのかもしれない。

そしてどうやら自分と向き合ってみた結果、過去の出来事、悪い意味での原体験が深く関わっているみたいなんだよねこれが。
正確にいうと覚えていないのだけど。人間は本当に嫌な記憶は消せるらしい。そうじゃないと前向きに生きていけない瞬間はあるよね。詳細を覚えているのではなく感情がそう言っている、心の中に落ちている石が邪魔だと言っている、心の声が助けを求めている。ずっと助けて欲しかったのだと思う、逃れたいものを逃れたいもので解決しようとしていた。そして思い返すと友達に恵まれていたから、そのことに気づく機会は何回かあったのだけど。ほんと人の言うこと聞けないんだね〜。

もう、とっくのとうに疲れていたんだよね。ただでもやっぱ気持ちいし上に上がれるし、相手のためを思う行為だから何かやった気になれるからやめられなかった。それまでピアノと絵と英語に使っていたパワーをどこかしらに使いたかったのだと思う。何かをやっている気になりたかったのだと思う。

大阪奈良広島の旅を通してやっと気づいた。疲れていたこと、本当は辛かったこと、助けてほしかったこと。自分が何を望んでどうしてその行動をしたのか。心がぽかぽかしたかったんだよね。繋がりたかったんだよね。それをそれで解消しようとしていたんだよね、ありあまるエネルギーをそれに注いでしまっていたんだよね。なぜなら、楽しいから。何かした気になれるから。

お腹いっぱいであることに気づいた私は、もうこれ以上はいいやと思ったの。何でもかんでも欲しがって腹八部に済ますことができず欲張ってしまう私をみて、タプちゃんが前に言っていたの。「思う存分、取りなさい。受け取りなさい。いつかはお腹いっぱいになって、それ以上を求めることも無くなるから。」って。多分、今、それ。もういいや。できれば誰も入ってこないで。誰も、何もしないで。

。。。


そう思ってた。一緒にいて、話しているだけで、心がぽかぽかするだけでいいと思ってた。それで十分で、それ以上は受け取らないようにしようと思ってた。
でもさ〜、やっぱ、大好きだったんだねあの時から。好きなことを、純粋に向けられた好意を認めることができなかったんだと思う。もちろん、その好意に気づいてはいたのだけど、それが自分の中でどんなに大切なもので、尊いのか、求めているものなのか、わからなかった。気づいてあげることも、耳を傾けてあげることもできなかった。
そ〜んなに大切なものに気づくのに2年かかったの。
「大阪奈良広島で心がぽわぽわする体験をした時に、一番初めに思いついたのが、あなたでした。あなたといたら、話しているだけで心がぽわぽわします。身体的な触れ合いでぽわぽわすることは多いけど、話しているだけでぽわぽわするのはとても貴重な存在です。そして、それは、ぽわぽわは、愛だと思います。なので、私は、あなたのことを愛しているのだと思います。」湧いてきた水を一滴残らず掬い上げるように丁寧に、素直さを全面に、正直にその時思ったことを伝えた。
「嬉しい。そんな純粋な好意を向けられたら、嬉しくない訳がない。ただそれは、ずるい、ずるいぞ。」電話越しでも伝わるくらい喜んでいた。人と人が意思疎通を図る時100%伝わることはほぼなく、なにかしらのすれ違いが生じることが多々あるものだがこの瞬間だけは、確実に私の好意が素直に伝わった。共鳴という言葉がふさわしいのかもしれない。
なんか、もうその瞬間がまさにぽわぽわジャン!?ああこれはもう今後余計な肌に触れなくて済むし、相手の悪いモノを受け取らなくていいな。
何かした気になりたくて、自分の気持ちを無視することもしなくていい。
誰かを傷つけないことで自分も傷つかないことにつながる。
やっと他人を大切にできる。

実際に会ってみた。久しぶりだった。その時は疲れてパニックになっていて何が何だかわからなくなっていたの。だから、抱きついた瞬間、体の緊張と疲労がゆるゆると解けていった。心がほぐれていった。思いっきり抱きついた。安らいだ。キスをした。どんどん欲しくなった。気づいたらセックスをしていた。

あれだけお腹いっぱいと思っていたのにやってしまったけど、いい意味で期待を裏切られた。いつもの感じと全然違った。そしてやっぱり触れ合ってもポカポカした。

セックスは好き同士じゃないと成り立たないものみたい。
今までやってきたのはセックスじゃなかったのかもしれない。
あー、これが欲しかったのだな。やっと、ちょっとだけわかった。

私は、私の感情に耳を傾けれるようになった、なってきている。
これはあくまで持論、異論は大歓迎なのだが、私の中で酒に溺れると決まって酒癖が悪く、そして酒に溺れる条件の中にお酒に逃げたくなる出来事に直面しているときが挙げられる。お酒に飲まれると本当に記憶がないところは何も覚えていない。とはいえど、人に嫌なことをしていい理由にはならないし、思いやりの欠けた行動をたくさんしてしまう、自分だけが楽をしようと逃れていることには変わりない。
楽な方向に逃げてしまうということは、欲に弱いということで、欲に弱いということはあなたを思いやる行動をいつでも取ることができないかもしれない可能性が出てくるわけで。心配になっちゃうよね。
何も覚えていない間にあなたや他の人や自分が傷つくことをしないために、お酒に溺れなくていい生活をしなければならない。
そうなる前に、自分で抱え込んでしまわなように、たくさん甘えてみようと思う。全体重をあなたの背中に預けてみようと思う。
あいかわらず人を思いやることも難しい。
もし、そんな私でいいのなら。

私は、あなたと一緒に人生を進めたい。
それでも、つながりたい。