全てを放棄したい私へ
恋人にNANAを貸してもらった。読めば読むほど元気が出るのと同時に喉が渇いた。漫画でも小説でもドラマでもいい作品であればあるほど喉が渇くのは昔からの癖、小さい頃は冷蔵庫で作られる氷をその都度パクパク食べていた。NANAを読んでいると、白紙だったはずの紙からペンで線を描くだけで生まれる、NANAしか持っていない間、行間、空気感に魅せられる。渇きは、作品からもらう「げんき」と、私の中にある何かを表現しなければいけないという焦り。負のエネルギーか正のエネルギーか、自分次第でどうにもなってしまうこれに突き動かされて進んでいくんだろうな私の人生。あれ、じゃあ今、わたし、どう?
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4月、今学期頑張らないと奨学金がなくなってしまう可能性があることを知る。苦手な英語を頑張らなければ。課題もちゃんとやってるのに、テスト勉強もしているのに小テストの点数が伸びない。大好きな音楽をできる時間が出来そうだったのに自分で無下にしてしまった。「学校の勉強の方が大事なので」、どう考えても言い訳だった。何もしたくない人のセリフだった。音楽が好きな人がいう言葉ではなかった。かといって、英語の成績を落とすのも怖かった。
5月になっても英語の成績があまり良くない。やり方を変えて、オフィスアワーやSALC(語学学習をサポートしてくれる学校の機関)を使ってみよう。これからもっともっと頑張らなければ。水曜日以外1限か2限スタートだったけど6月入ってからは遅刻も欠席も全くしなかった。誰よりも真面目に授業を聞いていた。英語の先生も頑張りを褒めてくれたし、前の英語クラスの先生も応援してくれて、わからないところを聞きに行ったら必ず時間を作ってくれてわかるまで丁寧に教えてくれた。でもテストの点数は安定して伸びることはなかった。友達は去年とはまるで違う私の真面目さに驚いていた。でも成績が伸びることはなかった。
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外で勉強する暇あったら家で勉強したほうがいいなと思ったけど、家で勉強したら涙が出るようになった。外で勉強したらしたで外食して夜遅くに帰ることになってしまった。勉強に集中しようと思ってバイトもあまり入れてないからお金と時間がどんどん減った。息抜きの仕方がよくわからない。勉強が出来ない焦りだけが募っていく。
NANAを読んだらちょっとだけ勉強と息抜きのリズムが作れた。こういう感じでしていけばいいのかな〜と思った。「容量良く頑張らないと、報われる努力をしないと、結果は出ないよ」友達がそう言ってくれた。英語の成績は前と比べたら定期テストの点数はちゃんと上がっていた。もう少し頑張ればちゃんと結果になるんだから、もう少し頑張らないと。
7月初旬、大きなテストでいい点数を取ることができなかった。英語ができる子にアドバイスを聞いても、「とにかく慣れるしかない。」英語を勉強と捉えずに家の中で日常会話として使ってる子、幼少期を英語圏で過ごしてる子。大学入学以前の勉強量が違う。
私も一年間ニュージーランドで留学してたけど、言語じゃなくて絵を描くとかピアノとかお散歩とか文章を書くとか、感覚的なことばかりしてきた。高校の時そこそこ真面目に勉強していたけど大学一年生の時全く勉強していなかったからなかなか勉強の習慣がつかないのもごもっともで。私、なんでここにいるんだろうなー。いや、苦手なことを克服して好きなことで生きていけるようになるんだ。頑張らないと。でもこれじゃあ奨学金が切られてしまう。親に迷惑をかけしまう。
どうしよう、どうしよう。頑張らんと。どうしよう、どうしよう、どうしよう。頑張らんと。どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
どうしよう。
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気づいたらバイト終わりに泣くようになった。バイトの買い出し中に泣くようになった。学校帰りのバスで泣くようになった。家に一人でいたら泣くようになった。「遺伝的なものもあるので数ヶ月で治りますよ」と美容師さんに教えてもらった500円ハゲもいつまで経っても治らんし、なんなら全体も薄くなってる気がする。
7月半ば、さらに泣く回数が増えた。勉強しようとすると涙が溢れるようになった。次の日頑張ろうと思って笑顔になっても、その次の日には涙が出ていた。勉強しようとすると息がうまくできなくなって涙が出てきた。期末テストの期間なのに、全く頑張れなくなった。
なんで勉強を頑張っているのかわからなくなった。学歴や就職先を毎日泣いてまで手に入れたいものなのか?
苦しい、苦しい。涙が止まらない。心が痛い。涙が溢れる。下から水が湧きあがって水の中で溺れているみたい、息がうまくできないみたい。でもこれは水じゃない、なに?
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全部自分でできるようになる必要、ないや。
苦手を克服する必要、ないや。
いい加減何もしない日が欲しい。
本を読みたい、文章に触れたい。
美しい映像に触れたい、映画が観たい。
文章を書きたい、ピアノが弾きたい。
思っていることを、表現したい。
私を、みて?
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ちょっと、休憩したい。
親に泣きながらこの数ヶ月どうだったか、どんな気持ちだったか、そして今はどういう気持ちで状況なのかを説明した。そしたら「そんなに泣くほどなんだったら休学もありなのでは」と言った。毎日泣くことに疲れていたから、とにかく泣かないで過ごせるようになりたかった。考えれば考えるほど何をしても涙が出る気がして涙が出るから全てをリセットするためにも休学することにした。休学手続きをしにスチューデントオフィスに行ったら大学がやっているメンタルクリニックに行くこと、アカデミックオフィスに履修相談をすることを提案された。そして話しているうちに気づいた。大学を辞めたら心残りがあることに。一週間後、父が別府まで来てくれて話した。「とりあえず太陽の家に行って決めてみたら?」
去年東京パラリンピックを見ながら父が「昔のパラリンピックの資料全部太陽の家からだな〜」と呟いたのが記憶に残っていて。それと母の前の職場が身体障害や精神障害どっちも持った人が暮らしたりリハビリしたり夕方親御さんが迎えにくるまでいたりするところだった。母は私を産んでから私が6歳までそこで働いていたけど、1日休みが三ヶ月に一度しかないくらい忙しかったから体を崩してしまった。ほかの似たような施設はどんなのか気になっていたため、大学でいけることを知ったとき即申し込んだ。
8月9日に太陽の家のフィールド・スタディが終わった。どうだったか。結論から言うと英語と経営学のモチベーションになることはなかったけど、私が理想としてる”お互いができることで、できないことを補い合う社会”の形に近い福祉をもっと勉強したくなった。(具体的な感想記事は下にリンクあるのでもしよければぜひ。)だから今回のフィールド・スタディでお世話になった先生のゼミに入りつつ、卒業必修単位の英語も経営の授業を取れるところまでとる。取れんかったらそれはそれでしょうがない。なるようになる。英語も経営も興味ないからやめる!も選択肢としてはなくなないけど、今は適度に頑張る練習のとき。それでもどうしてもしんどかったらやめる。だからこれからはなんとなく頑張ろ。
後で気づいたけど、この期間は全く泣かなかった。一週間泣かずに過ごせたのは4ヶ月ぶりな気がして嬉しかった。
成人式で地元に戻ったタイミングでピアノの先生に会った。涙が止まらないことを相談した。
「その涙はね、空白なんよ。何もすることがないから、自由な時間が人よりも多いから、出てくるものなんよ。」「時間がない人がたくさんおるのに、まきちゃんは空白がいっぱいあっていいねえ。」
「先生は、ポジティブですね。」
「そうよ〜!生きているからには前向きでいなくっちゃ!」
私の四倍もの時間を生きている人が言う言葉には、根拠がいらないくらいの説得力があった。下から水が湧きあがって水の中に溺れているような、息がうまくできない正体は時間があるから生まれるものと言うことがわかった。そうか、勉強で忙しそうにしているポーズを取っているだけで実際は涙が出るほど時間に溢れていたのか。
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でもなんかもう一押しなんよな〜。そんなとき、前に申し込んでいた立命館の交換留学で二週間大阪にある立命館いばらきキャンパスに通った。
立命館の授業に具体的な何かを期待していたわけではないけれど、でも何かあればいいな〜と期待して薮本さん授業を受けた。
人生の目標(KGI)を決めて、目標を達成するために何歳までにすること(KPI)を決めるマーケティングの授業。自分の人生を振り返り、今何を優先で生きているのかをワークシートと発表で明らかにしつつ、ゲストや他の学生の人生を聞いて自分の人生に活かせそうなことを持ち帰る、という内容だった。
一番印象に残っているのはゲストの前畠さんだった。悔しかった。好きなことを楽しそうに話す前畠さん。全く頑張れていない私。頑張れているんだろうけど、全くその実感がない、何もかもが中途半端な現状。今までの人生で頑張れたことといえば音楽かもしれない。やっていた当時はいじめられていることに気づかないくらい夢中で楽しかったからがんばっている自覚なんてなかったけど。でもそれすら、過去の話。今は?私は趣味も勉強も人間関係も何も頑張れていない。芯がない。どうしたいとかもなければ何をしたくないもない。何もしたくないもかもしれない。わからない、自分のことなのに、自分が何もわからない。
なにも、何も、ない。
「やるんなら、おまえもここまでやれよ。」
ゲストの前畠さんが憧れの人、尊敬する人から言われた言葉、プロの言葉。
高みを目指しているすべての人に対しての言葉。
留学中と比較してnoteの更新頻度が明らかに落ちた。それまでエネルギーにしていた社会に対しての恨みから生まれていた負のエネルギーが消えてしまって、自分のために頑張るのにも限界がきて、何を糧に書けばいいのか生きていけばいいのか分からない二年間だったけど。
ああ、書かないと、表現しないと。私まだ、ここまでいってない。
前畠さんから
「岡本さんはやっぱり表現で生きていく人だと思うよ。」
と言っていただいた。
他の受講生の人からも
「この五日間を振り返って、岡本さんはいつも自分の言葉で伝えようとしているのが印象的でした。その姿勢に救われる人もたくさんいると思います。だからこれからも岡本さんの言葉で伝えることを大切にしてください。」と言ってもらった。
感想を言うときはできるだけ私にしかない視点で感覚に従って言おうと思えたのは、正直に話ができる環境を作れる薮本さんの存在が大きかった。
そんな薮本さんから
「他の人の人生に憑依するというか、感情移入して人の話を聞くね。」
そうかもしれない、この五日間で楽しい以上に疲れている自分に気づく。今まで読んできた漫画や小説、noteの主人公の要素を入れて生きてきた気がする。他人と自分の境界線がごちゃごちゃになっているな。いっときの快楽を求めてばかりの大学生活は、自分が大切にしていたものを忘れるくらいにはすごく楽しいものだったし、他人と接する機会が増えたため今までの自分を見失うのには十分な生活をしていた。
進めないと。人生をやっていかないと。
もう、止まるのは終わりにしよう。
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ドアを開けて車の中に入ってきた肌寒い風が入ってきた。夏休みももうすぐ終わる。人も車も誰もいない、街灯すらない田舎の夜の1時。思う存分歌えることを確認し、満を辞して曲を流す。「途中まではいいんやけどな〜、気抜いたら音外れるよな〜」笑いながら隣でぼやく恋人は、運転しながら下手くそな歌を聞いて、歌いやすくなるアドバイスをしてくれる。
私は最近、思うように歌いたい曲がある。
音痴だけど、歌いこなしたい曲がある。
英語の勉強と全然関係ないけど、まずは何かできたという達成感と自信が欲しい。そして何より、楽しいこと、後悔しないことをやっていきたい。
9月中旬の成績発表では英語Aを落としていた。ただもう一つの英語である英語Bはパスできていたし、他の教科のおかげで成績が思っていたより悪くなく、むしろ成績は上がっていた。
英語は落としてしまったけど、努力するのが遅すぎただけで後半は頑張ったぶん成績は伸びていた。もうちょっとやればなんとかなる気がしている。
あと短期のベトナム留学に通った。7月にAPUやめるなら留学しておこうと思って申し込んだけど成績悪すぎて通らんと思ってからびっくりした。ますます学校をやめれなくなった。
「まきちゃんは自分が自覚できないレベルの直感で自分のするべきことを選んでいるね。」
去年たくさんお世話になった人からもらった言葉が脳内再生される。
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このnoteは
次同じように学校を辞めたくなって
他のことも、全てをやめたくなった私に
この夏を思い出してほしくて書いたもの。
全てを放棄したい私へ
英語ができないもある種一つの障害だと思うの。自分と他人(社会)とのコミュニケーションの中で起きる、乗り越えることが難しいものだから。
でも。やっぱり。
一番辛かった時に音楽と文章を求めたのは自分を表現するための媒体が欲しかったからでしょ?芸術に言葉は要らなくても、文章が表現の一つである私の中で言語は占める割合が大きいから、人と繋がる手段でもあるから、新しい世界を知るための手段だから。だから、今の私は休学も退学もやめたの。英語を頑張るの。英語を思うように使えるようになりたいの。
あなたは?
それは、音楽や絵、文章で褒められた経験を一旦置いといてまで手に入れたいもの?
この世界に絶望していたときの私が納得いく生きかたができている?
その選択に、後悔はない?
「まきちゃんにはいいところがたくさんあるんだから、」
そう言ってくれる人が何人もいる。
自分にはいいところがあるからこそ、愛を持つ人とこれからも一緒にいるためにも私は私を更新し続ける必要がある。
やっていくしかない、進んでいくしかない。
できることを通して成長していくしかない。
大切な人たちと人生を進めていくために。
まだ会ったことのない、あなたと世界を進めていくために。
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