第73話 友人の話-手編みのマフラー
銀行員のコウダくんは手編みのマフラーをもらったことがある。
「いや、ぜんぜん恋バナ系やないねん」
期末や年末はどうしても仕事が立て込む。
帰宅が深夜になることも多い。
年の瀬が近いその日も、家路についたのは日付も変わろうかという時刻だった。
どうにか終電で最寄り駅につくと、そこからマンションまでは、徒歩で15分程度。
疲れた足を引きずり、真っ暗な街を歩いていると、心も体もしんしんと冷え込んでくる。
「寒いっすねぇ」
商店街のはずれで、声をかけられた。
見ると、見知らぬ男の子が、缶コーヒーを手に笑っている。
ストリートミュージシャンのまねごとでもしていたのだろう。
足元のギターケースには、申し訳程度の小銭が入っていた。
「コートを忘れてしもたから」
暖房の効いたオフィスでは寒さを感じなかったため、置き忘れてきたのだ。
電車を降りて歩き始めると、意外な寒さに震え上がった。
カタカタと震えながら歩く様子がおかしくて、声をかけてきたのだろう。
気安げな様子に、コウダくんは笑みを返した。
「これ、やるわ」
ふと思いついたように、ギターケースの横に置いていたマフラーを男の子が投げてよこした。
真っ白なマフラーは分厚く、いかにも暖かそうだった。
「ええのか?」
「ええねん。どうせ使わへんから」
巻こうとして気づいたのだが、マフラーは手編みだった。
誰かからのプレゼントだろう。
もらっていいのか、という思いはあったが、あまりに寒かったのと疲れていたせいもあり、コウダくんは素直に受け取ることにした。
「なんや、違和感はあったんやけど」
マフラーを巻いても、あまり暖かく感じない。
それどころか、ゾクゾクと身体が冷え込んでくる。
風邪でも引いたか、とコウダくんは家路を急いだ。
ようやくマンションにたどり着き、エレベーターに乗り込む。
ホッと一息ついた瞬間、腰が抜けた。
「ドアにマフラーが挟まってて」
エレベーターが上昇すると、猛烈な力で下向きに引っ張られる。
這いつくばり、なんとかマフラーをはずそうとしたが、ガッチリと首に巻き付いてはなれない。
「息はできへんし、首の骨はミチミチって嫌な音たてるし……」
窒息するか、首の骨が折れるか、どちらが先だろう?
そんな恐ろしい疑問が、頭の中で渦巻いたという。
幸い、すんでのところで、身体を回転させることを思いつき、マフラーをはずすことができた。
救急車を呼ぼうかとも思ったが、明日も仕事がある。
首も喉も、とりあえずは大丈夫そうなので、そのまま眠ることにした。
明け方近くに目が覚めた。
家の中になにかいる。
開きかけた目をコウダくんは反射的にギュッと閉じた。
見てはいけないもの。
なぜか強くそう感じたのだ。
気配は部屋の中をゆっくりと徘徊していた。
フローリングの床を踏むミシリという足音。
動きに伴う空気の流れ。
そのわずかな風に乗って漂ってくる、腐った魚のような悪臭。
「女や。見たわけやないけど、それはわかった」
幸い、気配はそれ以上なんかをすることなく、気がつくと消えていた。
いったいなんだったのか?
灯りをつたコウダくんは、悲鳴を上げた。
テーブルの上にあのマフラーが置いてあったのだ。
どうにか首からはずした後、回収はしていない。
あまりのショックに、そこまで気が回らなかったのだ。
それがリビングテーブルの上に、無造作に置いてある。
よく見ると、昨日は真っ白だと思ったが、灰色に汚れ、ところどころに赤黒いシミがついている。
その日の夜、コウダくんはあのストリートミュージシャンを探した。
「なんかあるやろ、このマフラー」
見つけた男の子に、昨夜の出来事を話した。
笑われるか、とも思ったが、男の子は真っ青になり「すみません」と頭を下げた。
事情を訊くと、よく聞きに来てくれていた女性が編んだものだという。
ほとんど唯一といっていいファンだ。
その女性は心を病んでおり、彼に編み上げたマフラーを渡すことなく自殺した。
死後しばらくして、親族から渡されたのだが、持っていると嫌なことが起きる。
「事故ったり、病気したり……」
被害に遭うのは彼ではなく、付き合っている彼女や妹など、身近な女性だという。
恐ろしいものだが、捨てると祟りそうで怖い。
「それで俺を選びおってん」
コウダくんは憤慨する。
彼女などいないように見えたのでマフラーを渡した、ということらしい。
「マフラーもらわれたのが嫌で、俺に祟ったんやろな」