その言葉の価値は誰が決めるのか、というお話。

見に来てくれてありがとう。

今回は、最近1つ視聴したせいか、いろんな有名人やスポーツ選手なんかの名言の動画がお勧めされてくるのでいくつか見て思ったことをつらつらと語ってみるというお話。

まず大前提なんですけど、こういう動画見る時って自分が悩んだり困っててどうしたらいいかわからないとかそういう時か、逆に前のめりなくらい気持ちが前向きで意欲があって吸収してやろうみたいなときじゃないと見ても自分に刺さらないんだろうなって自分は考えてます。ただ見てるだけでは意味はないのかなって。なんで見てるのかを考えなきゃいけなくて。

当たり前なことなんだけど、紹介されてる名言とか、モチベーションを上げてくれますっていう言葉って大体の人が知っている人の発言だったり言葉だったりするんですよ。んー・・・言葉が難しいのだけど成功者って言われてる人というか、知名度が高いとか、こんな功績を残した人だとか。もちろん現在も活躍し続けてる人もいれば、亡くなってしまった人なんかもいて。動画の作成者さんがたくさんいて、いろんな人の名言とされる言葉が紹介されて、動画のBGMとか、構成とかも含めて感動させるとか、感銘を受けさせるというか、こう響いてくるでしょ?みたいになってて。いや、それが目的なんだから、そういったつくりにするのが自然なことなんだと思うけど。

複数の動画見てると気づくんですけど、どの人の言ってることももちろん言葉は違うんだけど似たようなことを言ってるんですよ。ニュアンスは違うんだけど最終的にここに行きつくみたいな。そういう風になっていくんだなって自分は感じたんだけど、じゃあ1人ではない、いろんな人がそうやって口を揃えて言っている言葉の価値ってどんなものなんだろうって。この人がこういってるんだから、名言に違いない!素敵な言葉だ!自分もそんな風に考えて行動しよう!みたいにさせるのが動画の趣旨で。でも、自分は失礼ながらこう思ったんですよ。そんなに大したこと言ってなくない?と。いや、本当貶めたいとか愚弄したいっていうんじゃなくて、そんな大仰なBGMつけてさも素晴らしい!みたいにするほどの言葉か?って。こう思うのにもちゃんと理由があって、その言葉を話してる人たちはそれを名言だなんて思ってないんですよ。それを当たり前とか・・・当たり前ではないか。その人にとっては当たり前なんじゃないかって自分は思うんだけど、信念とか、自然と、自分のやりたいことや望む方向に進むための言葉として発しているわけで。そういう言葉って結構地味だったり、愚直だったり、みんなが知ってることだったり、そうだよねっていうことばっかりなんですよ。本当はわかってる。でも、やらない、やってないっていうだけのことで。

そんな言葉に価値が付くのって成功者の言葉だから、有名人だから、知名度があるからっていう付加価値が付いた状態で見せられてるから、より良い言葉に見えてしまうんですよ。自分は少なくともそういった動画見てやっぱりちょっと感動したし、良いこと言ってるなみたいにも感じたんですよ。正直。でも、それって、そう思わされてないかって。複数の動画見て思ったんですよね。1,2個の動画見ただけだったらそうは感じなかったかもれない。似た言葉が並んでるなって意識もしなかっただろうし、自分もこんな考え方や物の見方を試してみようで止まってたかもしれない。そう、勝手に感銘受けてそれを絶対に良いものだっていう誤認をして吸収しちゃってたかもしれないって。良いものか、自分に合っているか、それを判断するには早計じゃないかいって。さも、絶対にこれは良いものだみたいに出されても、そこに疑問や疑念を持つことって実は中々に難しいよねっていう。

例えば自分が見た中でものすごく良いなっていう言葉があったとして、その言葉を紹介するときに、その言葉を言った人の名前を出して紹介すれば説得力が上がるし、価値も増すと思うんですよ。さっき言った付加価値ですね。では、それを自分が得た知識として、動画で見た、本で読んだ、自分の言葉で紹介したらどうだろう。意味は一緒。中身も一緒。でも、価値は物凄く下がると思う。響かないし、届かない。何故なら自分は通りすがりの一般人だから。そう、お前誰だよ?っていう人の言葉には価値がないのです。

でも、ですよ。言葉が持つ意味は一緒じゃないですか。その言葉自体の力というか存在というか。じゃあその言葉の価値はどうやって判断したらいいんだろうって。その意味は?意図は?その言葉から得られる情報を享受したときに、自分はどう判断する?っていうことなんですよ。バイアスがかかった言葉として受け取らなきゃって気が付いた時に、先に書いたみたいにそんなにすごいこと言ってる?って自分は感じて。難しいことなんですよ、実行するには。でも、やれないことでもない。どんな人だって、ハンデがある人だって、通りすがりの一般人だってできることを言ってるわけで。

こういう言い方は良くないとは思うんだけど、自分は好きな人や推し、尊敬する本当にすごいなっていう人を神格化しないっていうことを意識するようにしてるんですよ。何故なら惚れ込んだ人の言葉は全部信じちゃうし、自分も共感したい!ってなっちゃうから。好きになったら全部ぜんぶ本物で大事で真実でって心がいってしまうからwこう、キャーーーーっってなっちゃうんですよね。ライブとかで推しのファンサに悲鳴を上げる女の子のような。そういう状態の自分って、まぁ判断力とか冷静さとか皆無だし、物事を俯瞰で見るのって絶対不可能だと思っていて。だから、どんな偉人も推しも好きな人も尊敬するすごいなっていう人も同じ人なんだ。1人の人間なんだっていうのを常に意識するようにしていて。そうでないと、どうしても偏った見方になってしまうから。ここまで意識したって偏ってるんだろうなって自覚があるから。推しや好きな人見てる時なんかはこのバイアスからは絶対に逃げられないと思うから。

ということで、こんな風に言葉の価値って難しいなって自分は思うのです。いや、普段生活しててそこまで考えないよっていう方がほとんどなのかもしれないけれど、そんなこともないと思いますよ。仕事場での上司の言葉や家族、友人、恋人の言葉とかバイアスなしで聞いてないなんてことは絶対ないわけで。そう考えると、言葉の価値って捉え方次第、受け取り方次第なんだなっていう。誰が言ったか、じゃなくてその言葉を自分はどう感じて、どう受け取り、使うのならばどういった意図で使うのか。難しく考えなくても、普段使いの喋りや会話でもこういったことは大なり小なり発生してるんだなって。せっかくなら、そんな価値を自分の中で良い悪いや好き嫌いじゃなくて、出来るだけフラットに捉えて状況や場合によって使いこなしていけたら、そんな自分の方がいいなって思うのでした。うまくまとめられなかったけど、言葉について思考を巡らせるのって難しいけど面白いっていうお話でした。大変だけどwよかったら暇つぶしにどうですか?なんて。まぁ、するわけないって人がほとんどだとは思うんですけどねw

では今回はこの辺りで。読んでくれたことに感謝を。それでは、また。


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