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客観的思考にシフトする。

私は物の考え方が主観的です。

最近、特にそう感じます。
人は自分に対して、なかなか客観的に見ることができません。
どうしても、自分のことを中心に考えてしまいます。
いわるゆる、自己チューってやつですかね。

で、心無い一言をよく発してしまって後悔したりします。
例えば、職場にて、とあるトラブルで人を飛ばすことになりました。
で、人が減る=自分に仕事がくる=大変。

そんなの、みんな同じです。
人を飛ばさざる追えなくなったことに、責任を感じてる人がいるにも関わらず私はこれから大変だ、なんて言葉を平気で発してしまいます。

常に客観的思考であれば、気遣いができた事案です。
あと、飲み会のとき、私は配膳動けません。自分がサラダをとりわけることで、もたつき、イライラされるかもしれない、それは嫌だ。
動ける綺麗な人にお酒ついで貰った方がいいだろう、ひっこんでおこう。
ちっ、動けよなんて思われてることもきっとあるでしょう。
それも、困るので何か配るとか、ゴミ持ってくぐらいはします。

うわ、保守的!

昔、書いた小説を人に読んでもらいました。
すると、物語を客観視することで、へんなこだわりや展開に持っていかなくてよくなるのでは? とアドバイスいただきました。

つまり、本当はこうした方が面白くなるのに、主観的思考から、こうなるわけない、という自分の考え方がでちゃうんですよね。

ネガティブで、現実的な私が。

現実的でありながら、夢想家でもあるため、ふわふわとした、とらえどころがない話になりがちです。

そして私は緊張しい、なんですよね。
これを治すにはメタ認知が必要と心理学の本で読んだことあります。
緊張している自分を、あ、緊張しているんだなと別の自分が冷静に認めることで柔らぐようです。
これ、成功したことありません!

どーしても、緊張しきって声が裏返ってしまいます。
なるべくそのよう大舞台は避けたいです。
小学生の頃はなぜか自信に満ち溢れていたので、国語の朗読とか自分からしたいくらいでしたし、自由研究の発表もさくっと気軽にやれてました。
まぁ、原因は高校の頃、友達がなかなかできなくて、心が不安定なときに授業でその日の出席番号をあてる先生に教科書朗読あてられて失敗したときからなんですけどねー。

あの日を境に、人前で朗読ができなくなりました。
それどころか、沈黙した場所でじっとしていると視線を感じてクラクラして、呼吸苦しくなるんですよね。

これも、主観的思考が作用してます。

私のことは誰も見てません。
そんなのは理屈ではわかるのに、自分を中心に世界が回り出すと悲劇のヒロインよろしく、常に不幸がやってくる、主人公になっちゃんうんです。
本当はモブであることを認めればいいのです。

私はただの普通の人。

プライドが高くて一度の失敗を許せない完璧主義からくるんだろうなと最近は少し観察して思います。

スケジュール帳とか一度乱れるともう書けなくなります。
小説も面白くない、これ駄作。私ならもっといいの別に書けるはず、なんて考えちゃうと途中で飽きちゃいます。
自分に完璧を求めたらキリがありません。でも、諦めすぎてもいけません。

最近、手がけているのは、体を労わることです。自分の体なんて、適当でいいわじゃなくて、客観視することで、自分を自分が大事にメンテナンスしていくんだという考え方。

ずっと、これからも使う体。

他人に言われてメンテナンスするのでなく、自分しか使わないのだから、丁寧に扱うのは当然のことなんです。
主観的思考だと、自分の体は自分がよく知ってる、あとまわしなんて思いがち。
ケアするのは主観的にみえて客観的だと思います。

私は私を大事にしていきたいです。
周りに幸せにしてもらうのではなく、私の中にいる、私こそが私のことをよく知っているし、理解しようとしてくれいるわけですから。

ダメな私も、たまにはかわいい私も、嫉妬深い私も、文章を書くことが人より少しだけ好きな私も、わがままな私も、弱い私も、本当はネアカな部分もある私も。

みんな、私でそんな私を一番愛していけるのは、他でもありません私なのですから。

#エッセイ #客観的思考 #自分を大事にすること #メタ認知 #小説








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ミツモト烏兎
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