ムカチカン
ムカチカンと、カタカナで書いたらジンギスカンみたいで、どこか遠い国の食べ物みたい。トンチンカンみたいに、なんか勘違いしちゃってヘンテコな事を考える人を表す言葉にも見える。ムカムカしてカチンと来てるの意味の中学生の新語のようにも聞こえる。
漢字で書くと面白くもなんともない。無価値感。
引っ越しの荷物が運ばれて行って、家を引き払い、仮住まいのアパートに来た。その部屋に、クタクタに疲れきって、もう希望も未来も何のことかわかりません、という様子の観葉植物が置いてあった。先端にはまだくるくる巻いたままの小さな葉っぱが乾燥してる。
1枚ずつ、葉っぱに乗っかってる埃を拭き取って、水をあげた。
君たちまだまだ元気になれるよ。なんか歌でもうたおうか?
♪ ほんとうな〜らば 今ごろ〜 ぼくのベッドには〜〜
♪ 電光石火の超特急が ズズズズズズチャチャズズズズズズチャチャ
♪ ほしがみえますか ほしがみえますか あ〜〜〜ああ〜 あ〜〜〜ああ〜 ほしが〜あ〜 今日のぼく〜には みえません〜
翌日、翌々日と、縦にだら〜っとしていた葉っぱたちは、クイっと腹筋を使って脚をあげるようにピッとしてきた。
これをあきこさんに報告したい気持ちもブクブク湧き上がってきた。
この植物を元気にできた喜びを、きっとあきこさんはわかってくれる、そう思った。でもあきこさんにはしばらく連絡しないという計画があり、もともとあきこさんが、うんうん、そうかそうか、と聞いてくれるのは、職業的なテクニックなのかもしれない。じゃあやっぱりやめておこう。がまんがまん。でもこの喜びを誰かに聞いてほしい。けどあきこさん以外の人にこの事を話しても、すごく幼稚でばかばかしい気がする。私にとってだけ大きい喜びについて、報告されて嬉しい人なんているだろうか。
いるな、2人。
何でもいいから連絡さえすればある程度喜ぶ人たちが。
父と母。
母に知らせることにした。
あなたが子供だった私に関心がなく、私がもっと小さな迷子の子のお母さんを探してあげた時も、先生に褒められても、兄たちより良い成績を持って帰っても、絵を表彰されても、スポーツ大会で優勝しても、あなたが喜ぶということはなく、ただ毎度なんでまるまるちゃんのように可愛らしくできないのか、と言うので、私は今でも、自分には価値がないと感じる気持ちにやられています。人が褒めてくれても、優しくしてくれても好意を示してくれても、そんなはずはないでしょう、私なんてゴミなんですから、もうあっち行って、と思う気持ちから出られません。
そういうわけで、この植物を元気にさせることができて、何かの役に立てたと思えることが、ものすごく嬉しいわけ。
と、母に言ったところで何も伝わらない。母は深く感じたり、考えたりすることがない。でも花をかわいいとか綺麗だと思う気持ちは持ってる。人間がダメなわけではない。ただ世間体が何より大事で、たまたま母親になるのに向いてない人だったというだけ。
恨んではない。けど、そちらが思ってるほど私はあなたを好きじゃないし、求めてもいません、と、いつか知らせたいとは思ってる。
そういうわけで、
報告する内容は、死にかけの観葉植物が部屋にあったと、それだけ。