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『樺太』を生きたこどもたち ~令和の證言~ [N.Y様、I.Y様][惠須取・大泊]その①

證言者;
N.Y様、I.Y様(姉妹)
お二人は年子の姉妹。姉のN.Yさんは大泊のご出身、妹のI.Yさんは川上炭山のご出身。聞き取りにはN.Yさんの御子息(N.Hさん)も同席された。

ー 恵須取のことに就いて、質問を作ってきました。
N.Yさん (地図を見ながら)答えられるかどうか・・・(住所は)浜市街です。南浜町4丁目です。活版所があって、(自宅は)その裏の方だね。競馬場でよく運動会を・・・
I.Yさん 海まで歩いて4、5分だよね。家の前からバスに乗って、逃げるときに(後述)。

ー 地図を作った人が書いてあったのが、(恵須取町に)4万人居たんですね、当時。
N.Hさん 大都市だ。
I.Yさん だって王子製紙が有ったからね。
N.Yさん 王子製紙はちょっと(自宅から)離れてて。

ー 学校は?
N.Yさん 恵須取第一小学校。だいぶおっきいです。山の上ですから。

ー (学校の)写真を持ってきました。
I.Yさん 5クラスくらゐ有ったんでないかな?
N.Yさん 山の上なんですよ、だいぶ坂を登って行ってそこに。

ー 女学校に行ってたんですか?
N.Yさん はい。女学校1年のとき終戰になりました。だいぶ歩いていくんですよ、女学校。凄く遠いんですよ。

ー 恵須取の思ひ出を教へていただきたいです。戦争の話はイヤなので戰前のたのしかった話を。
I.Yさん 野菜はね、できないから。青物とかさういふものは。
N.Yさん できるもの、とうきびと芋と・・・
I.Yさん 人参、大豆・・・

ー 枝豆とか。
N.Yさん そんなのも出来ました。

ー (作物は)あまり採れない?
I.Yさん とにかく寒い。夏はね、海に(入る時)7月でも8月でも一番暑い時期でも必ずかゞり火を焚いて、ちょっと(海に)入ったらすぐ焚き火に当たって。

ー ああ・・・
I.Yさん それぐらゐ寒い。
N.Yさん 焚き火無しでは(海に)入れない。
I.Yさん それでも(海に)行ったんだね。

N.Yさん ちょっと上に競馬場有ったんですよ。そこに行ってかけっこして遊んだり。

ー 競馬してました?
I.Yさん してました。唯一(周りで)広いところ、競馬場は。
N.Yさん 冬はスキーだったからね。
I.Yさん 防空壕は全部山の中、山の下。ひどかったね。横穴掘っただけだから、じゃばじゃば、じゃばじゃば上から、雫が(落ちてくる)。

I.Yさん 春先になったら、山菜採り行ったもんですね。
N.Yさん フレップとか。(平地には無い?)山にしか無いです。
I.Yさん 秋はキノコ採り行ったね。

N.Yさん サハリンに二回行ってるんですよ、終戦後。引き揚げてこない、朝鮮人とかと結婚した人がいっぱい居て、その人達が道路でフレップ売ってんるんですよ。お墓参りの時もお花を菊とか売ってるんですよ。何十年も前ですからまだたくさん日本人が居て。

ー (サハリンに行ったのは)20年も30年も前?
N.Yさん さう。

N.Yさん 弟が8月1日生まれで、捨てられないで連れてきて貰ったから「みんなを招待する」って、(樺太に)行ったんですよ、みんなで。一回目行った時はホテル無かったですよ。ちょっと大きな民家みたいなところに泊められて。鼠出て大変だったわ。まだ日本のお風呂が有ったからね、お風呂に入ったんだけでも、木の葉っぱみたいので体を叩いて。
ー バーニャ?ロシアのサウナ。

I.Yさん 終戰になった昭和20年にね、ちょっと暫くしたら進駐して来たんですよね、一般人が。家がなくてね、近くの空き地にテント張ってね、それがものすごく貧しい・・・靴も長靴も無ければっていふ感じの。私達負けた國だけども、ずっと家に住んでちゃんとしたもの食べてね・・・

ー 難民ですね。
I.Yさん ロシアも貧しくて、だから新しい處を求めて来たんだと思ふんですけれども。

ー あれはポーランドとか、ウクライナとか、連れて来るんですよ、無理矢理。
I.Yさん 子どもを連れて来るんでせう?家族で。

ー 今も同じことやってますよね。
N.Yさん ロシアの兵隊って韓国人から中国人からいっぱい居ましたよ。

ー シベリアの方のアジア人ね。
N.Yさん 純粋なロシア人といふのは(あんまり居なかった?)将校とかね。

ー 将校は白人のロシア人?
N.Yさん さうね。うちは偉い将校を家に入れたから・・・
I.Yさん 二階に住んで貰ったから。
N.Yさん だからロスケ入って来なかったけど。

ー なるほど。
N.Yさん 初めは母の実家に行った。大泊。勝手知ってるから。大泊から船(が)出るから、そこまで来たけどその時に(乗船に)間に合ったんですけど、「官庁の人が優先だ」って。

ーああ、役人が優先だった・・・
N.Yさん さう。うちみたいな民間「丸惠(まるけい)株式會社」って大きな・・・日本海の方は鉄道無かったものですから、バスばっかりなんですよ。そのへんの人がバスに乗るときは、恵須取から内路まで国鉄のバスが有って・・・

ー 質問にも入れたんですけど、「丸惠」ってN.Yさんのお父さんが勤めてた会社?
N.Yさん どういふわけか父が「今日飛行機が偵察に来るぞ」って先に教へてくれて。判ってるんですよ。そしたらホントに来たんですよ。

ー それ、誰が教へてくれたんでせうね?軍人かなぁ?
N.Yさん 「丸惠」っておっきくてね、そこになんでも早く情報が入る。女学校の入試試験の合格も早く判って、父に教へて貰ったんですよね。さういふ関係で大泊に居るときに、ゲーペーウーって居るでせう?秘密警察ね。父がそれに引っ張られて・・・一ヶ月に何回か。

ー 取り調べだ・・・
N.Yさん 取り調べ。そして引き揚げる時に、その人が誰かを見送りに来てたんですよ。(ゲーペーウーの人が?)さう。その人に見つかったら「父さんは帰れなくなる!」と思って・・・父はわからない様に人に紛れて(行った)・・・その時の恐怖!忘れないわ・・・忘れないわ。

ー お父さんだけ先に行っちゃって?
I.Yさん いやいや、人混みの中に。

ー 船に乗る前?
N.Yさん 船でなくて。
I.Yさん 汽車。列車。

ー あーーーー!!!
N.Yさん 真岡から汽車が(出てた)・・・なんとかそれ(ゲーペーウーの人)逃れて、真岡行ったんですよね。
I.Yさん でも、その真岡で収容所に入れられて・・・あれ一週間くらゐ居たの?すぐは船に乗れなかったよ。
N.Yさん 乗れなかったね・・・

ー 真岡の収容所って・・・真岡中学校?
I.Yさん 学校でしたね。山の。

ー 一週間くらゐ?
N.Yさん 居たね。二段ベッド(に)なってて、そこに。

ー 汚いトイレの!
I.Yさん トイレっていふか・・・溝掘ってね。全部とにかくカンカラカンに凍ってて。

ー 冬帰ったんですか?
I.Yさん さうです。

ー 冬、船出ました?
N.Yさん 不凍港です。

ー 不凍港ですけど、冬も引き揚げやってたんですか?
N.Yさん さうですよ。函館に着いたの、一月一日か二日でしよ?
I.Yさん そのぐらゐ。
N.Yさん もう暖かくてビックリしました。
I.Yさん 函館の港に入っただけで「ファ~」っとあったかくて。樺太で感じる寒さとは全然違ふ、空気が。
N.Yさん 船から降りる時の話は聞いてるでしよ?「デーデーテー」とか。

ー あの白い粉?
I.Yさん 首からね。真っ白になって。

ー 虱殺す薬?
N.Yさん さうさうさう。北海道来たら虱なんか無いけどどうしてだらう?あの時、白い虱いっぱい居ましたよ、服に。

ー 北海道って虱無かったです?
I.Yさん いや、有ったんぢゃない?有ったよ。
N.Yさん 今無いもんね(笑)
I.Yさん 今有ったら大変だよね。

ー 自分、虱なんて見たこと無いです。
N.Yさん 見たことあります。

ー 因みに今恵須取はマイナス7度です。曇り。
I.Yさん 意外に暖かいね。

ー 「恵須取町民って、どんな気質だったのかな?」って。要は、港でせう?炭鉱でせう?漁師でせう?
I.Yさん さうですね。

ー 結構威勢の良いっていふか・・・
I.Yさん 浜言葉でね。

ー 濱の男たちで結構荒々しい人がたくさん居てワーワーワーワーやってる街だったんぢゃないかなぁ?って勝手に思ってるんですけど。
I.Yさん でも私たちが住んでるところは普通の町民だからね。濱の人とはちょっと離れてた。
N.Yさん 私達は炭鉱でないし、街人だから。

ー 普通の町民だったってことですね。
I.Yさん さうですね、ええ。
N.Yさん 私達の住んでるところは炭鉱でないから、そこから天内とか、塔路とかいっぱい炭鉱が有るんですけど・・・

ー なるほど。炭鉱で働いてる人達が多かったから町全体で(人口が)多かった。町の人達ってお仕事はなんですか?
I.Yさん 何だったんだらうね。隣近所の職業。

ー お二人のお父さんは運転手だけど・・・
I.Yさん うん、丸惠。

ー 浜市街の人達の仕事って何だったんでせう?
N.Yさん 浜市街はね、漁業してる人。あとは街の人です。
I.Yさん 商店。

ー ああ、自営業。
I.Yさん さう。
N.Yさん さうさうさう。普通の町ですね。
I.Yさん 朝鮮人が多かったんだわ。

ー それは労働者として?
I.Yさん 学校にも来てたね。
N.Yさん 綿屋さんとかね、豚飼ってるの。
I.Yさん 朝鮮人は仕事って言ったら豚飼ったり、リヤカーで餌運んでたね。
N.Yさん 先生には「(朝鮮人と)仲良くしなさい」っていはれてましたね。
I.Yさん だけど扱ひは良くなかったよね。朝鮮のこどもたちは可哀相だった。
N.Yさん 私達子供の頃は大泊に住んでたんですよ。大泊は白系露人が居ましてね、その人たちとってもいい人で、今のロシアよりもっといい人で。

ー ハハハ!
N.Yさん パンとか売ってて、美味しかったですよ、すごく。大泊はさういふ街でしたね。とっても(雰囲気が)明るくて。

ー 恵須取町の自慢・特色ってどんなんですか?
N.Yさん 祭もちゃんと普通にしてたね。
I.Yさん うん。
N.Yさん 盆踊りも有ったね。
I.Yさん 有ったねー。
N.Yさん 普通でしたよ、こっちと。

ー 恵須取の一番の自慢って大平炭鉱とか?
I.Yさん 「炭鉱かい?」って。

ー 恵須取のシンボル。
N.Yさん 炭鉱と漁業だね。父はよく登別温泉に来てたんですよ、冬。その時は恵須取から船で行くんですけれども、船のところまで氷がずっと張ってるから馬橇なんかで行って、そこから艀に乗って船に乗って行って。送り迎へに行った記憶有りますね。登別はひょうたん飴しかお土産無かったけど。

I.Yさん 流氷が必ず冬(来る)。

ー ですよね。
I.Yさん 学校で必ず注意されるのが「(流氷に)乗ったらダメ!」氷の上に乗って遊んだらダメっていふのが必ず言はれた。沖に流されたら、危ないからね。アザラシとか、流氷の上に乗って・・・

ー 「沼ノ端」ってありますけど、(沼では)泳げるんですか?
N.Yさん 沼ノ端?沼ノ端を通って女学校行くの。(女学校まで)遠かったですよ、すごく。
I.Yさん 恵須取の(第一)小学校まで歩いて何分ぐらゐ掛かってたんだっけね?
N.Yさん 結構有ったね。
I.Yさん 15分は・・・有ったかな。
N.Yさん さうだね。結構おっきい学校でしたよね。

ー どれだけ子共居たのかはわからないですけど・・・
I.Yさん 終りごろ、軍人が入ってましたよね。

ー 軍人?
I.Yさん なんだろね、あれ?とにかくピシーっとしてなかったら「ビシッ」とくるでしよ。
N.Yさん 憲兵みたいな人ね。
I.Yさん さうさうさう!入ってましたよ、学校に。講堂でね、校長先生のお話があったりする時全員並ぶんですけど壁際に、間隔を置いて、(刀持った!?)人が立ってるんです。

I.Yさん 壇上に(ある扉を)徐ろに開けたら・・・

ー 御真影があって。
I.Yさん さう。「天皇陛下・・・」って言ったらみんな一斉に(ピシッ)かうやってました。記念日には必ず坂道を歩いて奉安殿までのところまで行って全校生徒が頭下げて・・・そんなことやってましたね。

ー 奉安殿はまだ有るみたいですね。あと神社の鳥居。学校はもう無くなってるかな・・・あと、「群来」ってやっぱりすごいですか。鰊の群来って春先の・・・
I.Yさん ああ!さうです!戦後ね。

ー 戰前は無かったですか?
I.Yさん 私達は大泊の・・・恵須取はそれは無かったと思ふけど大泊居た時有りました。もう真っ白になるぐらゐ。

ー (恵須取は)無かったですか?
I.Yさん 私は覚えてないですねぇ。大泊に来てからは拾っても拾っても拾ひきれないぐらゐ。潮干狩りも、潮の満ち引きがあって、潮が引いたらツブとかね、さふいふもの取りに行って、海の水が増えて来たら(満ちて来たら)帰って来る。

ー 恵須取は「炭鉱と、漁業と、お魚」・・・
I.Yさん 王子製紙ってどれぐらゐ従業員居たのか・・・

ー ああ、それはわからないですね。山市街のことはわからないですか?でも女学校は山市街か・・・
I.Yさん 山って行ってもそんなに山ではない・・・
N.Yさん 山の方だから山市街っていふんぢゃないんだわ。

ー さうなんですか!?
N.Yさん 鉱夫は住んでるところには居なかった。塔路とか天内とかには炭鉱あるからね。(近くないから)炭鉱の人とは全く会はない。海側の人は漁業だからね。私達は街の人だから。

ー 海と街と山と、みんなそれぞれ(生活圏が)分かれてた・・・
I.Yさん さうね。
N.Yさん でも浜によく蟹を買ひに行きました。蟹は豊富でいっぱい食べたね。
I.Yさん さうですね。(鱈場蟹?)タラバです。浜で茹でてるんです。

ー 内恵道路を行ったら翠樹(みどりぎ)ってちっちゃな聚落が有ったんですけど・・・
I.Yさん 恵須取より北の方は行かないね。
N.Yさん 布禮(ふれい)っていふのは・・・布禮には父が勤めてた丸惠株式會社の農地と別荘みたいなところがあって・・・
I.Yさん そこに(空襲から)避難する途中寄ったの。
N.Yさん 恵須取がすごい空襲の時に(避難した?)そこに。
I.Yさん 逃げる途中ね。

ー 白雲峡とか行ったことないですね?
I.Yさん わかんない・・・
N.Yさん あまり注意してないからわかんないけど。
I.Yさん 布禮の宿泊したところに川有ったでしよ?空襲の飛行機が来たらみんなその川口に避難したよね。
N.Yさん 布禮まで来たんですよ、飛行機。

ー 布禮(に飛行機が)来ましたでせう?
N.Yさん なんであんな田舎に来たのか・・・川口の林の中に避難したんですけど、飛行機に乗ってる人の顔見えるくらゐ・・・飛ぶのね。聞いたことある?

ー 地面スレスレに飛ぶ。(聞いたこと)あります。
N.Yさん そして、川に彈が「ピュンピュン」ってね、落ちる音も聞こえてたし、麦畑に避難した人達はここ撃たれて死んだ人も居るけど私達は川沿ひに母は弟の赤ちゃん(と)、私は一人ひとり木の陰に隠れてたんですけど彈が「ピュンピュンピュン」って川に入る音が今でも忘れないけども。

ー 軍人も居ないのにね、彈撃ってくる意味がわかんないですよね。今も同じことウクライナでやってますけど。
N.Yさん アメリカの飛行機だって言ってたから。
I.Yさん 艦砲射撃も凄かったですよね。
N.Yさん 艦砲射撃は恐ろしかった。
I.Yさん 恐ろしかったね。ほんとほんと。
N.Yさん 艦砲射撃の時にね、朝鮮人が防空壕の穴に立ってかうやって(旗を振る仕草)・・・

ー 合図してた!
N.Yさん 合図してたよ。

ー 自分何かで読んだのが、夜山の上でサーチライト?を点けたり消したりしてる人が居て、それが日本の軍人さんに見つかっちゃってその場で撃ち殺されたとかなんとか。だから、何か合図してたんぢゃないのって。
N.Yさん さうだよ。
I.Yさん うん。
N.Yさん さうだよね。もう一遍に変はっちゃったの、朝鮮人。
I.Yさん いままで虐げられた分・・・
N.Yさん 引き揚げ船来る前に、娘を朝鮮人に売って船出して貰って・・・沢山ゐるよ、さういふ人たち。学校では「仲良くしなきゃダメなんだよ」って先生の云ふ通りに仲良くしてたのに、やっぱり恨みに思ってるから・・・私なんかよく売られなかったわ(笑)娘を結婚させてお金貰って、密航。たくさん密航したの、うちそんな密航なんかしなかったから。

~その②につづく~

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