「信仰・希望・愛」の三つの星
苫小牧キリスト教会がある北海道苫小牧市には、全国的にも有名な菓子“よいとまけ”を製造・販売をしている「三星」があります。
三星の歴史の始まりは、明治31年に小樽で小林慶義氏が長男の幸蔵氏と菓子店を営んだことからです。苫小牧市立中央図書館ホームページ内の「苫小牧初めて物語」での、小林正俊氏(慶義氏の孫)の紹介欄を閲覧すると以下の記載があります。
三星のホームページ「三星の歴史」にも、
このように紹介されているのです。
苫小牧市民でも125年前のこの出来事を知る人は非常に少ないのではないかと思われます。
三星の表している「信仰・希望・愛」は、聖書の“コリント人への手紙 第一”にあります。
ここで語られている「愛」は「無償の愛」のことで、古代ギリシア語では「アガペー(ἀγάπη)」となります。この愛は、見返りを求めることなく人を慈しむ気持ち・行動を指すのです。
「無償の愛」を体現していた人物として、小林慶義氏にパンの作り方を教えたジョージ・P・ピアソン氏(1861 - 1939)が挙げられます。
アメリカのニュージャージー州出身の宣教師で、明治後半から昭和初期にかけて、北海道を中心に農村での伝道活動を行いました。北海道では、函館→小樽・札幌→旭川→北見と伝道をしていきました。活動は多岐に渡り、各教会の援助、女学校設立(小樽初の女学校といわれる静修女学校)、札幌農学校(後の北海道大学)で語学教師もしています。また、大日本帝国陸軍第7師団への伝道も行っていました。
アイヌの人々へ伝道・支援をしていたイギリス人宣教師ジョン・バチェラー氏(1854 - 1944)と共にピアソン氏は、差別に苦しんでいたアイヌの人々の救済や宣教活動もしています。
北海道最後の伝道地としてピアソン氏が選んだのは野付牛村(後の北見市)でした。当時は高価で難解であった聖書を、もっと日本人に親しんでもらおうと彼は考えました。そして『略註旧新約聖書』の編さんを行い、人々からは「ピアソン聖書」と呼ばれて親しまれたそうです。
ピアソン氏は無欲な人物であり、質素な生活をしながらも、教会の建築への援助、経済的に苦労して学んでいる学生たちへの奨学金の援助、学生寮建設などに私財を投じていました。
ピアソン氏が夫人と暮らしていた北見での私邸は「ピアソン記念館」として観光名所になっています。記念館においてピアソン夫妻は、坂本龍馬(北海道開拓は龍馬の夢であった)、坂本直寛(坂本龍馬の甥、キリスト教牧師。明治40年(1907年)4月、ピアソン宣教師と共に十勝監獄(後の帯広刑務所)で800人の囚人への伝道を行っている)と並び、北海道を愛し、理想社会を築こうとした開拓者や世の中のために尽くし、名誉を求めず、功績を誇らず、高ぶらない謙虚な人・・・と評されています。
苫小牧の三星とキリスト教にこのような接点があったことをぜひ記憶していただきたいと願います。三つの星をご覧になりましたら、聖書に記されている「信仰・希望・愛」を表す星と思い起こしていただき、ぜひ聖書を手に取ってページを開いてみてください。
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