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アイヌ語

3年半ぶりに長瀞の実家に立ち寄った。小学生の甥っ子たちはぐんと大きくなっていて、両親はまた少し年を取っていた。僕もまぁ、3年半分はしっかりと年をとっているんだろう。

2019年に北海道で倒れた父は、退院後に手術も受けて、今は割と元気に生活しているようだ。一時期やめていた飲酒も、既に復活している。久しぶりに実家に帰ると、なんとなく「お客さん」みたいな扱いを受けてくすぐったい。のんきに父が酒を進めてきたが、丁重にお断りした。

かつて自分の部屋だった場所を覗いてみた。半物置化しているその部屋は、埃っぽく、カビの臭いがした。ハウスダストアレルギーがある僕は、マスクをしたまま、本棚の背表紙を眺め、一冊の本とCDを取り出した。東京の自宅に持って帰ろうと思って。

本は、村上春樹さんと糸井重里さんがコラボした、ちょっとユニークなショートショート集。古本で買ったようだが、いつ読んだのかよく覚えていない。学生の頃だろうか。お二人とも、僕が好きな物書き屋さん。

CDは、森川美穂さんのアルバム。僕が、生まれて初めて買ったCDだ。高校生の頃、好きだった女の子にちょっとだけ似ている。

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手描きのメモがびっしりと書き込まれた、印刷物の束が出てきた。「アイヌ語の文法的特徴」という見出しの資料。1993年11月6日に国際基督教大学で開催された「国際先住民年記念 日本におけるアイヌ民族」というシンポジウムに参加した時のものらしい。そのイベントに参加した時のことはすっかり忘れていたが、確かこのイベントの最後に登壇したネイティブ・アメリカンの方と、講演後に直接お話をしたことはわりとはっきりと覚えている。当時、アメリカに留学するために英語を必死で勉強していたが、実は学校の外で英語で会話をするのはこの時が初めてだった。相手の方も気を使ってくれて、すごくゆっくりと丁寧に話をしてくれたと思う。「いろんな民族や人種やバックグラウンドを持つ人たちが、“虹(レインボー)”のように共生できると良いよね」というお話に、とても共感したのを覚えている。

10代の終わりになぜかアイヌ語の勉強にハマって、辞書を片手に詩を書いてみたりしてみたことがあったが。そのきっかけのひとつがこのイベントだったことを今理解した。あるいは、アイヌにもともと興味があったからこそ、このイベントに参加しようと思ったのかもしれないが。

うちの父は北海道出身で、僕自身も3歳くらいの頃は札幌に住んでいた。確か、19歳の時まで本籍地が北海道だったと思う。生まれた病院は福島で、その当時家族が住んでいたのは神奈川だったけど、僕が覚えている一番最初の記憶はその北海道の頃のものである。というわけで、自分にとっての心の出身地は北海道とも言える。

小さい子供がヒーローにあこがれるように、僕の中で「アイヌ」の人たちへのあこがれがあった。父が北海道出身ということで、自分の中にもアイヌの血が流れていないかなーと妄想していたこともある。自分の祖先をずっとたどっていったら、この北海道の血でたくましく生きていたアイヌ民族と繋がっていたら良いな、と。

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