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【Edge Rank 1144】待ち受け画像をつくっていた頃【TOMAKI】

僕が初めて携帯電話を買ったのは、2000年頃。リノの大学を卒業した後、ロサンゼルスで1年間仕事をして、日本に帰ってきたのが1999年。地元のインターネットサービスプロバイダーで働くようになって、人生初の携帯電話を手に入れました。三菱電機製の、NTTドコモmova端末「D502i」。ダイヤル部分のカバーがパカパカ開くタイプで、アンテナを引っ張ると伸びる。カメラはなし。発売当時はまだ珍しい、カラー液晶ディスプレイでした。この96×120ピクセルの小さな画面に自作の待ち受け画像を設定できると知ってつくり始めたのが、待ち受け画像制作にハマっていったきっかけです。それから、10年以上にわたってひたすら待ち受け画像をつくり続けました。


待ち受け画像づくり

というわけで、最初は自分の携帯電話に設定するために待ち受け画像をつくっていました。横96ピクセル、縦120ピクセルの小さな画像。画像のサイズもそうですが、ファイルサイズを5KB以下に抑えるのもかなり苦労しました。GIF形式で、使う色数を落としていって、極限まで減色します。それはもう、職人の技に近い。盆栽や根付にも似た、日本の伝統文化とも相通じるものがあるな、などと、ひとりで勝手に思いながらつくっていました。

せっかくつくったので、自分だけで使うのももったいないので、モバイルサイトを立ち上げて誰でもダウンロードして使ってもらえるようにしました。このころからウェブ制作を仕事にしていたので、自分でドメインを取得し、サーバーをレンタルして、個人の「ホームページ」を立ち上げてせっせと待ち受け画像をつくっては、自分のサイトに公開していきました。

2001年から、恵比寿のウェブ制作会社で、本格的にデザイナーとして仕事をするようになってからは、クライアント向けのモバイルサイトなどもデザインするようになりました。主に、フォルクスワーゲンやベントレーといった車メーカーの公式モバイルサイトで、サイトの運用や待ち受け画像制作も担当するように。

そのころから、急速に携帯電話も進化して、スペックが上がり、画面サイズもどんどん大きくなっていきました。今でも覚えているのが、2002年5月にNEC社製のドコモ端末「N504i」が発売され、それまでつくっていた待ち受け画像のサイズよりもだいぶ大きい160x198という画像が必要になり、過去に出したデザインも含めて全部追加制作が必要になったこと。と思ったらあっという間に世の画面サイズのトレンドはQVGA(240×320)サイズになり、さらにVGA(480×640)も出てきた時点で90年代のパソコンのモニターと変わらぬサイズになり。さらにFlashに対応する待ち受け画像が導入されると、アニメーションやプログラミングも可能になるという。最終的には、960x1280のSXGAサイズや、1440x1280やそれ以上のサイズの画像も納品物に加えるような待ち受け画像サイズの巨大化がありました。96×120の11,520ピクセルからスタートして、1,843,200ピクセル以上に大きくなっていったので、サイズとしては160倍以上ですね。

待ち受け画像作品が雑誌に掲載されるように

ドコモの通信量定額サービス「パケ・ホーダイ」がスタートしたのが、2004年。当時、携帯電話でデータ通信は1パケット(128バイト)あたり0.2円だったので、30KBくらいのデータをダウンロードするのにかかる金額は約50円くらい。パケ・ホーダイも4,000円くらいと安くはないので、全員が契約しているわけではなく。ダウンロードや通信をしまくって「パケ死」しないように、みんな通信量をなるべく節約して携帯電話を使ってました。

そんな中、お気に入りの待ち受け画像をゲットしたいけど、モバイルサイトを延々と見て回って探すのは通信量も増えるしお金がかかる。というわけで、2000年代の初めから2008年ころまで、書店やコンビニなどで「待ち受け画像の雑誌」が売られていたんです。好みの待ち受け画像を探している人が、そういった雑誌を購入して、紙面で紹介されているデザインの中から気に入ったものが見つかったら、直接そのサイトに行ってダウンロードする、と。私が、自分で使うためにせっせとつくった待ち受け画像を自分のサイトに公開していたことは書きましたが、そのサイトがはじめてそういった待ち受け画像の雑誌に掲載されたのが2002年5月のこと。ダイアプレスさんの『iパラダイス』という雑誌で私のモバイルサイトと待ち受け画像を紹介してもらいました。一度雑誌で紹介されると、それを見た他の出版会社さんからも声がかかるようになります。その年は、竹書房さんの『iモード待ち画マニア』、ダイヤモンド社さんの『テレビステーション別冊』、ソフトバンク社の『iモード情報サイト2000』、桃園書房さんの『i待っちい』や『i-ハッピー』、学習研究社さんの『iモード Navi』、徳間書店さんの『ケータイmagazine』など、計15誌に掲載していただきました。

こうなってくると、作り手としてもアクセス数やダウンロード数が伸びてくるので、だんだんやる気も出て盛り上がってきます。待ち受け画像の新作をどんどんつくり、追加でドメインを取得して、モバイルサイトもどんどん増やしていきます。2003年には前述の出版社さんに加えて、リイド社、宝島社、笠倉出版社、毎日コミュニケーションズ、アクセス社、バウハウス、英知出版、ぶんか社、インフォレスト、KKベストセラーズなどなど、合計39誌に掲載。ひとつの雑誌に私のサイトが複数紹介されることもあり、最大で8つのサイトと作品が同じ雑誌に紹介されたこともありました。その後も、2004年には30誌、2005年に39誌と紹介され、2006年からは雑誌の発売数が減ったものの2008年までコンスタントに10誌以上に掲載され、私が把握しているだけで150以上の雑誌やムック、情報誌などの出版物に掲載してもらいました。ちょっと変わったところでは、講談社の青年漫画誌『イブニング』の漫画が描かれているページの欄外にある最下部のスペースに、私のサイトがあちこちのページに3つ紹介されるってのもありました。あれ、なんであんなところで紹介してくれたんだろ?

こういった雑誌のほとんどが、たくさんのモバイルサイトと待ち受け画像作品を紹介しているため、基本的に掲載の連絡はあるものの、掲載紙の発送はしてくれません(たまに送ってくれる出版社さんもいましたが)。なので、本屋さんやコンビニで雑誌を見つけたら、自腹で購入。たまに、既に買っている雑誌をまた買ってしまったり。うれしいんですよね、自分の作品が紹介されていると。そんなわけで、150誌の雑誌はほぼ全部、自腹で購入してました。

制作依頼

ひとりでコツコツと待ち受け画像をつくっては、せっせと自分のサイトで公開していたら、雑誌にも掲載され、たくさんの人が作品をダウンロードして使ってくれるようになりました。

すると、ぼちぼちと企業さんから制作依頼が来るように。主に、待ち受け画像やデコメ(メールをデコレーションする)素材の公式サイトを運営している会社さんから依頼が来て、そちらもせっせと作っては作品を提供してました。自分のサイトに掲載している待ち受け画像の使用権だけお渡しすることもあれば、全くオリジナルの新しい作品をつくることも。シャープさんの公式サイトに掲載してもらった時はうれしかった。なにやら、キャラクターの素材がごっそりと送られてきて、これを使って待ち受け画像をつくってくれなんていうのも。面白かったのは、楽天トラベルの公式サイトで2005年から2010年までやっていた毎月のカレンダーコンテスト。10人くらいのクリエイターが、毎月オリジナルのカレンダー画像をつくって掲載し、その中からダウンロード数で人気作品を決めるというもの。上位にランクインすると、楽天ポイントがもらえるんです。なので、約5年間、毎月頑張ってカレンダー作品をつくってました。楽天トラベルの公式キャラクターがムーミンに出てくるスナフキンだったので、スナフキンをモチーフに作品をつくって提供したりも。あと、楽天イーグルスのロゴなどの素材を使って待ち受け画像をつくるというのもありましたね。作品は、仙台の球場のバックスクリーンで紹介されたとのこと。

Flash待ち受け

2007年頃から、Flashを使った待ち受け画像の制作依頼が届くように。Flashとは、マクロメディア社が開発して、のちにAdobe社が買収した画像・動画フォーマットの規格。ベクター形式のスムーズなアニメーションであったり、ActionScriptを使ったプログラミングができるのが特徴。携帯電話に実装されたことから、Flashを使った待ち受け画像なども設定できるようになりました。

この頃は、仕事の方でもモバイルコンテンツを扱う会社に転職し、ケータイ向けの電子書籍サイトやカスタムUIのサイトなどの運営を担当しつつ、通信キャリアさんや携帯端末メーカーさんとの協業でサービスやサイトの立ち上げも行っていました。次々と発売される各メーカーさんの最新の携帯電話について学びつつ、コンテンツ制作にも活かしていきました。

練習のために、自分でもたくさんのFlash待ち受けをつくっていました。携帯電話の時計を表示させたり、あるいは電波や電池の状態と連動させてアイコンやデザインを変えたり、あるいは画面を開くたびにランダムに表示が変わる待ち受けなどもつくりました。一部の携帯端末は歩数計の数値をFlash待ち受け側で取得できるので、それと連動させて自動的に生活消費カロリーと運動消費カロリーを計算して、歩数と消費カロリーを表示するなんていう待ち受けもつくりました。

写真やグラフィックを用いたデザインの他、イラストを描いたり、UIデザインを模してジョークっぽい面白待ち受けをつくったりなど。ニーズに合わせて表現の幅もどんどん広げていきました。

最終的には、約10年くらいの期間をかけて、1万種類以上の待ち受け画像作品を制作しました。そのほとんどは、10以上取得したドメインを活用して、50以上作成した私個人のモバイルサイトで無料公開。その間、10社以上から依頼があった作品に関しては単発や月次で納品。また、ワンちゃんの写真を募集して、応募してくれた人から抽選でオリジナルの待ち受け画像をつくってプレゼントするなんていう個人的な企画もやりました。

しかし、2012年くらいには世の中の携帯電話はフィーチャーフォン(ガラケー)からスマートフォンに移行していき、待ち受け画像の分化も消えていきました。さらに、iPhoneがFlashをサポートしなかったことからスマートフォンではFlashコンテンツが広まることはなく、2020年にAdobe社はFlashのサポートを終了しました。私も、ちょうどそのころにモバイルコンテンツなどを制作する会社から、現在の外資系広告代理店へ転職しました。

原宿デザインフェスタギャラリー

ここからは、携帯電話の画面を飛び出して、待ち受け画像作品をオフラインの作品展示やワークショップなどに活用した事例などを紹介。

まずは、待ち受け画像を印刷して、壁一面に展示した『TOMAKI待画展』。

私がせっせと待ち受け画像をつくり続けていた2007年の夏、原宿のデザイン・フェスタ・ギャラリーで作品展をやらせてもらう機会がありました。富士フイルムさんが運営する「DESIGN GARDEN」というオリジナルグッズ販売サイトの企画で、会場の一部に作品を展示させてもらうことに。

とりあえず私は、それまでにつくった待ち受け画像作品を壁一面にぶわーっと展示することに。約800点ほどの作品をプリンターで出力して、ウレタンボードに貼ってカットし、壁面に展示していきました。作品をダウンロードできるモバイルサイトのQRコードも一緒に掲示し、お客さんが直接画像を取得できるように工夫しました。当時すでに40以上のモバイルサイトを運営しており、2,800点の待ち受け画像作品をそこで公開していました。

会場に展示するパネルや、名刺サイズのカードなども作成し、無事に作品展がスタート。妻や娘も、作品を壁に貼る手伝いをしてくれました。この作品展のすぐ後に、モバイルコンテンツを制作する会社での仕事がスタート。公私ともに、待ち受け画像を含むモバイル向けのコンテンツ制作にますます深く関わっていくことになります。

3331 Arts Chiyoda 滞在制作と修了展

2011年11月から、翌2012年4月までの半年間、私は千代田区にある元中学校を再生したアート施設「3331 Arts Chiyoda」の教室だった空間を利用して、6人のアーティスト/クリエイターさんたちとシェア・アトリエ生活をしました。『ARTS FIELD TOKYO STUDIO COURSE』というプログラムに参加し、この空間を半年間24時間いつでも利用しながら、作品制作を行うというもの。

オープンスタジオで制作現場を公開したり、ショーケースのウインドウディスプレイで遠隔からプリンターで出力しつつ、ガラスに貼っていったりなどもしつつ。

6か月の滞在制作プログラムの最後、修了展では、それまでにつくった約1万点の待ち受け画像を使って、画面サイズが次第に大きくなっていく様子と、それに反比例して記録メディアがどんどん小型化・大容量化していく様を展示しました。フロッピーディスク、ZIPディスク、SDカードと、microSDカードに、それぞれ携帯電話初期の待ち受け画像サイズから、QVGA、VGAとサイズが大きくなっていき、最終的には小指の爪ほどの記録メディアにそれまでつくったすべての作品が収まる様子を表現しました。

5x5x5キューブ作品

こちらは、ちょっとしたスピンオフの作品。まず最初に、Flashを使った待ち受け画像作品として、画面を開くたびに色が変わるというものをつくりました。当時、古今東西の色を収集するということにはまっていて、それぞれの色名とRGB値を集めていたので。ちなみに、RGB値とは、Red、Green、Blueの頭文字で、パソコン上で色を表示するための数値として使われています。その色をランダムに出現させるスクリプトを使って、250色の日本の伝統色を収めた待ち受け画像を作成したのです。

その250色を透明なアクリル板にレーザー加工機で彫刻し、5センチの立方体にしたのがこの時の作品。つまり、見た目は透明なのに、実は250色分の色名とRGB値が刻まれているという。その作品をデジタルファブリケーションの工房施設「Makers’ Base」にて開催された、「キューブ エチュード」というイベントで発表しました。

そのキューブエチュードの参加クリエーターたちが集まって、東京ビッグサイトで開催されるデザイン・フェスタに参加することになりました。そこで、私もこの作品をいくつか量産して、出品・販売することに。原価よりも安いくらいの金額で販売したのでほぼ儲けなどはないですが、一応つくった分は全部売れました。

プロジェクトとしてはここで終わりなのですが、その後、ちょっと変わった場所で自分の作品と再会します。後述するクリエイティブワークショップへ参加したメンバーと北海道の札幌を訪れた際、見学に行ったデジタルファブリケーションの工房、Makers’ Baseの札幌店で、自分の作品が展示されているのを見つけました。まさか、こんなところに自分の作品が置いてあるとは知らなかったので、驚きました。と同時に、うれしかったです。

クリエイティブワークショップ

最後に、2015年2月から3月にかけて参加した、クリエイティブワークショップについて。1991年にロンドンで設立された、TOMATOという時代を代表するカリスマ的なクリエイティブ集団がいました。数々の広告のクリエイティブを手掛けたり、ミュージシャンの「アンダーワールド」のメンバーも所属していたことからミュージックビデオを制作したり、映画『トレイン・スポッティング』のアートワークなども担当しています。

2000年頃には、創造性をテーマにしたデザインの講義を世界各地で行っており、日本でもTOMATO WORKSHOPが開催されていました。そのころ、私も駆け出しのデザイナーだったことから、そんなワークショップがあるのを横目で見つつ、参加している人がうらやましいなと思っていたのでした。

2015年に、当時目黒にあったMakers’ Baseにて、このTOMATO WORKSHOPを復活させたクリエイティブワークショップが開催されると聞いて、いてもたってもいられなくなり、有給の取得や参加費の捻出などいろいろなハードルを乗り越え、なんとか参加できることになりました。

講師は三人いて、まずはTOMATOの設立メンバーのひとりであるジョン・ワーウィッカーさん。当時は、オーストラリアのモナシュ大学のデザイン建築学部で教えてらっしゃいました。二人目は、同じくTOMATOの共同創設者で、カッセル芸術大学学部長でもあったジョエル・バウマンさん。三人目は、TOMATOワークショップの先輩で、アートユニット「リボネシア」でクリエイティブ・デイレクターを務めている吉川徹さん。ここに、通訳の方や、撮影の方なども加わり、10日間のワークショップがスタート。写真、建築、彫刻、タイポグラフィー、電子工作、音声と詩、デッサン・スケッチなど、デジタルとアナログの垣根を越えてクリエイティビティの限界に挑戦するような、夢のような二週間を過ごすことができました。

10日間、毎日様々な課題が出されていくなかで、最後に制作したのが立体彫刻作品。「10万円で販売する作品をつくる」というのがテーマで、いかにして作品に価値をもたせるかということを学びました。私は、USBメモリに1万点の作品を仕込んだ作品を制作。見た目は廃材を使ったシンプルな造形ですが、作品に仕込んだUSBメモリに携帯電話を接続すると、1万点の待ち受け画像作品にアクセスができるというもの。その画像作品が1点10円だとして、きっかり10万円の価値になるという計算です。

毎日学ぶことが山のようにあり、さらに作品制作のアウトプットもものすごいスピードで進んでいったので、本当に濃密な10日間でした。大学の4年間でアートを専攻して学んでいたことと同等、またはそれ以上のことをこの短い期間で身につけることができたと思います。

ガラケー向けの「待ち受け画像」というジャンル自体は、すでに終わってしまった文化ですが、そこで作った作品や、そこから派生したプロジェクトなどは今もまだ自分の中では続いており、今後も引き続き私の「日曜アーティスト」としての創作活動の一部となり続けると思います。

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今月のEdge Rank共通テーマは「ピークアウト」です。さすがに朝夕は少し涼しくなって、若干過ごしやすくなってきているのではないでしょうか。
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編集後記

富士山に登ってきました。今年、50歳になったのを記念して、初めての富士登山チャレンジ。とは言っても、五合目まではバスで行き、登ったのは六合目まで。そこからずっと一合目まで下りてきて、さらに富士山駅まで歩くというコース。約7時間、3万5千歩くらい。富士登山ならぬ、富士下山でした。いつか、頂上まで登ってみたい。

今回もお読みいただきありがとうございました。
次号は、「東京散歩ぽ」の中川マナブさんです!

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前田 とまき (TOMAKI)
「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。