TOMAKI's Portfolio
2022年に、『日曜アーティストの回顧展』という私の学生時代から約25年にわたる創作活動の記録を作成して、Kindleで出版しました。20万字を超える、私にしては大作です。
そして、先月、初台にあるブックカフェで手製本の作品を展示させていただくにあたり、その内容をまとめつつ、ポートフォリオという形で一冊の本にしました。
さらにそこから手を加えて、今回PDF形式のポートフォリオを作成し、さらにその内容を細くする形でnoteにも書いてみようと思います。
ピーター・エルボウさんが『Writing without Teachers』に著した、フリーライティング → グローイング → クッキング という流れに従いつつ。複製とエントロピーの法則の実験とか、それっぽいことを頭の片隅で意識しつつ。そんな、遊びです。
日曜アーティストの脳内回顧展
前述のとおり、2022年につくった20万字の電子書籍をリメイクしたのが、今回のもとになっている手製本作品。このページのおわりに、その作品の写真も載せていますが、とりあえず。構成としては、それぞれ一枚の画像をA4サイズに出力して、それを水平方向に二つ折りにして、それぞれのページを重ね合わせて貼ることで、蛇腹式の本にしています。印刷は、自宅のカラープリンターで。表紙のハードカバーに使っている厚紙やキャンバス布、紙やノリなども100円ショップやハンズで購入したもの。つまり、全部手作りです。
ここから以下は、その本に収録したページデザインと、その解説文という形で、フリーライティングスタイルで書き進めます。
University of Nevada, Reno
アートに出会ったのは、渡米留学をしたリノの大学で。もともと、学校の美術のクラスは大好きでした。ただ、それを自分の大学での専攻にしようなんて考えてもみなかったですし、それが将来の職業になんらかの形で結びつくとは思ってなかったです。必然的な偶然というか。運命のいたずらというか。言葉で書くと薄っぺらくなりますが、とにかく、「あぁ、出会ったな」という感じでした。もともと、大学に入学したときは人類学を専攻していたのですが、途中からアート学部へ転部。陶芸彫刻科(Ceramics)に籍を置きつつ、写真や油絵、彫刻、デッサン、版画、紙づくり、水彩画など、片っ端から制作系のアートクラスを受講しまくりました。通常の学生が取得する単位の1.5倍の量をきっかり4年間で取得して、大学を卒業。そして、アメリカ西海岸を放浪しながら、ホームレス状態となります。
Los Angeles
もともと、リノの大学を卒業したら、すぐに日本へ帰国して就職活動をする予定でした。アメリカに残るというオプションも考えたのですが、仕事が見つからなかったのと、結局就職したとしても大学卒業のおまけでもらえる就労ビザは1年間のみ。その後3年の延長を2回繰り返すことはできるのですが、その7年の間に永住権を獲得しないと結局日本に帰らないといけない。だったら、早めに日本に帰って仕事を見つけた方が良いと思ったのです。
ところが、卒業の6週間前に、一緒に卒業式に参加する予定だった日本人の友人が事故で急逝してしまったことでいろいろ考えた末、その友人の分ももう少し夢を追いかけてみようとアメリカに残る決心をしたのです。
大学のあったリノでは仕事を見つけることができなかったので、そこから仕事を探しながら放浪の旅が始まります。家財道具一式を貸倉庫につっこみ、車に必要最小限の荷物と、学生時代の作品をまとめたポートフォリオを持って職探しの旅をはじめました。旅と言えば聞こえは良いですが、要は住所不定の無職です。家がないという時点で、明らかにホームレスなわけで。ただ、車があるおかげで路上生活だけは免れました。車で寝たこともありますが、たいていは安いホテルを探して泊まります。
リノからサンディエゴへ車で移動し、そこから北上してロサンゼルスへ。リトル東京にあるバックパッカー向けの安宿を拠点として、職探しをしました。あまりに安い部屋だったので、バストイレがないどころかテレビはもちろん電話もなく、ロビーにある公衆電話の番号を履歴書に書いて面接の結果を待ちました。ロビーの電話が鳴るたびにダッシュで部屋を出て応答するか、あるいはロビーにいる誰かが電話に出て、呼んでくれるという仕組み。
ビバリーヒルズでセレブなマダムたちに絵を教えるという求人募集を見て、場違いな自分の格好におどおどしながら面接に行ったら、もちろんそこでの仕事は落とされたのですが、その人のお知り合いのデザイナーさんが宝石デザイン会社の広告の仕事を紹介してくれて、とんとん拍子でその会社で商品を撮影するデジタルフォトグラファーの仕事が決まったのでした。
約1カ月のホームレス状態。最初の給料をもらった時、所持金はわずか200ドル。日本に帰るための飛行機代もない状態だったので、あのまま仕事が見つからなかったら、本当に路上生活者になっていたかもしれない。
もっとも、本当の苦労は仕事を手に入れてからでしたが、その話はまた別の機会に。
ウェブ/グラフィックデザイン
さて、1年間ロサンゼルスで仕事をした後、経験とスキルを手に入れて洋々と日本に帰ってきました。しかしそこで竿頭一歩、またゼロからの職探しが始まります。幸い、アメリカで写真の仕事をしながらウェブ制作の基礎も独学で学んでいたので、地元のインターネットサービスプロバイダーに就職することができました。最初は、簡単なホームページの更新から。やがて、カスタマーサポートや、パソコンインストラクターなどを経て、本格的にウェブデザイナーとして地元のお店やレストラン、商工会、工場、コーヒー屋さん、代議士さんなどのウェブサイトをつくるようになります。そこで経験を積んだ後、東京の恵比寿にあるウェブ制作会社に転職。地元の中小企業や個人事業主の案件から、一気にグローバルな外資系多国籍企業のウェブ制作案件にデザイナーとして参加するようになります。
ちょうどその頃、携帯電話もどんどん普及していって、通信料金もだんだん手ごろになっていき、ケータイからインターネットにアクセスすることが当たり前に。モバイルサイトのニーズもどんどん高まっていきます。
ドイツの車メーカーの公式モバイルサイトを担当したり、各種キャンペーンページなども制作しました。また、個人でも50近いモバイルサイトを立ち上げ、「待ち受け画像」をたくさんつくっており、作品の一部は雑誌等に掲載されコンビニや書店でよく見かけました。150以上の情報誌やムック、コミック雑誌に私の作品が掲載されました。そういう時代ですね。
日曜アーティスト
私が1994年から98年の間に大学生活を過ごしたネバダ州のリノは、砂漠気候の街です。街の中心部を少し離れると、西部劇に出てくるような荒野が広がっています。その砂漠の荒野の真ん中に、「ピラミッド・レイク」という湖があるのですが。私は学生の頃、よくその湖を訪れていました。ネイティブアメリカンの伝説が残る地域。湖の名前の由来は、ピラミッドの形をした小島があることから。温泉が湧き出る場所があったり、野生のマウンテンゴートがいたり、普通にサソリが這っていたりなど。なによりも、ここから見る星空が究極に素晴らしい。周りに光源が少ないため、よるになると「これでもか!」ってくらいたくさんの星が夜空に現れる。星が多すぎて、怖くなるくらいです。
卒業して1年間のロサンゼルスで仕事をした後、1999年にアメリカから日本に帰る直前、リノを訪れて預けていた荷物などを回収しました。日本に船便で送れるものは送りましたが、予算の都合などで陶芸作品のほとんどは廃棄しなければならず。どうせ捨てるならと、いったん車でピラミッドレイクに運んで、そこで片っ端から地面に叩きつけて割っていきました。せっかく自分がつくった作品を壊さなけれいけない悲しみももちろんありましたが、なぜか愉快な気持ちも沸き起こってきて。よくわからないのですが、大声で笑いながら叫びたくなるような。作品を全部叩き壊して、その欠片を丁寧に拾って、また車に戻りました。
そこで、ふと思いついたんです。
その壊れた作品の欠片のひとつを、すぐそばにあった木の根っこのあたりに埋めました。自分がここにいた証を残しておきたかったのと、もしかしたらまたここに戻ってこれる日が来るかもしれないと、なんとなく思いつつ。
その機会は、4年半後に訪れました。
日本に帰国した後、地元のインターネットサービスプロバイダー勤務を経て、東京の恵比寿でウェブデザイナーとして仕事をするようになりました。私が子供の頃は、「インターネット」などというものは存在しなかったですし、ウェブ制作という職業が生まれるなんて、まったく思ってもみなかったでしょう。
当時、ウェブデザイナーとしての仕事はとても需要があり、いろんな企業がウェブサイトを作っていく中、私の仕事もどんどん忙しくなっていきました。やりがいもある一方で、「これで良いのかな?」と思うこともたびたびあり。大学で学んだアートと、目の前のデザインとのギャップに悩む日々。自分を表現し世の中になにかを問いかけるアートの表現手法と、クライアントの意向をくみ取り最適解を導き出すデザインとは、だいぶ違うものです。
そんな中、当時付き合っていた彼女とアメリカのリノを訪れました。私が大学時代を過ごした街を、見せたいと思って。
彼女と一緒にピラミッドレイクを訪れ、記憶を頼りに作品を埋めた木を探してみました。砂漠の湖なので、そこに立っている木もそれほど多くはありません。「ここかな?」と思った木の根元を掘ってみたら、意外とあっけなく私の作品の欠片が見つかりました。
「つくりたい」っていう気持ちが自分の中にある限り、別にそれが仕事になろうがなるまいが、つくりたいという衝動のままにつくり続けていけば良いんだろうなと思いました。どんな仕事についていたとしても、つくりたいものがあるのなら、それは趣味として、遊びとして、本気でつくればよい。仕事じゃないからこそ、採算度外視でひたすらつくりたいものをつくることができる。そういった意味で、「日曜アーティスト」という肩書きを名乗るようになりました。日曜大工のように、本職の大工ではないけど週末に木工作業をやるようなノリで。自分の時間を使って自由に作品をつくっていく。そして、その作品もいわゆる「アート作品」だけではなく、文章や写真や絵やイラストを組み合わせて、パソコンやモバイルなどインターネットの環境も大いに活用しつつ、デザインとアートの領域も飛び越えて、楽しみながらプロジェクトを企画・実行・アーカイブ化していくということ。
2003年に一緒にピラミッドレイクに訪れた彼女に、まさにその場所でプロポーズして、翌年結婚しました。
会社ごっこプロジェクト(日本橋)
2009年に、日本橋で小さなオフィスを個人的に借りて、そこで「会社ごっこ」というアートプロジェクトを企画・実行しました。会社のテイで、そのオフィスを拠点にして、いろいろなアイデア出しをしなたら「会社っぽい」グッズをつくったり、そこで遊んだりするというもの。まずは「EG CREATIVE」という架空の団体のロゴをつくり、そのロゴを使って名刺や封筒、クリアフォルダなどをデザインして業者に発注。会社で使いそうな業務用判子を、ひたすらふざけた四字熟語で作成。「夜露死苦」とか、「愛羅武勇」、「仏恥義理」「喧嘩上等」といったヤンキー言葉のハンコや、「国家機密」「極秘任務」「偽造文書」「終電定時」「恋文在中」などといった会社で使いそうで絶対に使わないハンコなどをリアルにつくってみたり。
ビジネス本のパロディとして、「一億円 楽に稼げる方法」という本の装丁をデザインして、タイトルの下に薄く「を もし知っていたら教えてください」というサブタイトルをくっつけて、中身を開くと白紙のノートだという作品をつくって、オフィスのデスクに並べたり。
他にも、切手や社印、A1サイズのパネル看板や、もちろん公式ホームページなども作成。夏の間の期間限定でしたが、十二分に楽しんで、堪能しました。最後に、フォトグラファーの知人に来てもらって、家族三人が「会社員」の格好で記念撮影。
そんな、楽しいアートプロジェクトです。
アーツ千代田 3331
2011年に、千代田区外神田にあった錬成中学校の校舎をリノベーションする形で、3331 Arts Chiyodaという複合アート施設が立ち上がりました。当時私は、同じ千代田区の神田須田町にあるモバイルコンテンツ制作などを行う会社に勤務していたので、オフィスから3331までは歩いて行ける距離でした。
仕事の合間に、その3331を覗きに行ったのですが、入り口から中を覗いてもいまいちなにがどうなっているのか分からず。あらためて、ホームページから「英語でアートのブログを学ぶ」という自分が興味あるキーワードが詰まったワークショップを見つけて、そこに参加してみたのが3331との直接の出会いです。もちろん、そのワークショップもとても面白かったですが、なによりも、その中学校を再生させたアート施設の雰囲気がとてもよくて。そこで実際に滞在しながら制作をしている人から直接話を聞いたりしつつ。
「自分もここで、創作活動をしてみたいな」と思ったのでした。
帰り際、この校舎の建物の教室を半年間「シェアアトリエ」として複数の人たちと共有しながら制作や発表ができるプログラムがあると聞いて、「締め切りは一週間後」というギリギリのタイミングでしたが、とりあえずそこに飛び込んでみることにしました。
2011年の年末から2012年にかけての半年間、その教室を6人のアーティスト/クリエイターさんたちとシェアをして、自由にそこで創作活動や、作品の発表を行いました。
「創作活動の場」であったり、そこで生まれる「コミュニケーション」であったりが、とても重要だなと実感しました。以降も、場とコミュニケーションをテーマにして、個人的な日曜アーティストとしての活動を続けていくことになります。
かえっこのワークショップ
3331 Arts Chiyodaと巡り合ってよかったことの一つは、藤浩志さんの「かえっこ」というプロジェクトと出会えたこと。ちょうど、3331での共同アトリエ生活が終わった頃に、藤浩志さんの大規模な個展が3331で開催されました。そこで、はじめて「かえっこバザール」のことを知ります。
かえっことは、藤さんがご家族と始めたもので、簡単に言うとおもちゃの交換会です。家にある使わなくなったおもちゃを会場に持ち込むと、かえるポイントに交換することができます。そのポイントを使って、会場に集まったたくさんのおもちゃから気に入ったものを選んで、「かえっこ」ができるという仕組み。このおもちゃをめあてに、たくさんの子供たちが集まります。
私は、このかえっこの会場で、キッズ向けの工作ワークショップを担当させてもらいました。一番最初に行ったのは、フォトウォールの企画。会場にいくつかの携帯電話を持ち込んで、そのカメラ機能で撮影した写真をWi-Fiにつないだプリンターで直接プリントアウトができるようにしました。子供たちが、それぞれの視点で会場にあるたくさんのおもちゃの写真を撮影して、それを会場の壁に貼っていきます。
最初は、かえっこのキャラクターであるカエルのモチーフをみんなでつくろうと提案したのですが、「もっと自由度があってよい」という藤さんのコメントをいただいたので、あえてモチーフは決めずにそれぞれが自由に撮った写真を壁に貼ってよいことにしました。型にはめずに、子供たちが自由に創造性を発揮できるようなワークショップの仕組みは、それから10年くらいずっとワークショップを続けていく中で、いつも意識していました。
2022年に3331 Arts Chiyodaが閉館になるまでの約10年間、かえっこのワークショップコーナーの先生役として、毎回企画を考え、材料をそろえ、当日会場で子供たちと一緒に工作やゲームを楽しみました。絵にかいたおもちゃがもらえるかもしれないという企画や、おもちゃに目や口のシールをはるというもの、おもちゃでしりとりをしたり、あるいはおもちゃをリメイクしてアクセサリーにしたり。おもちゃばこをテーマに小さな箱をつくったり、おもちゃ探しのゲームや、オリジナルの絵本作りなども。
子供たちに楽しんでもらいつつ、自由な表現方法でたくさんの作品をつくってくれた子供たちを見て、一番楽しかったのは私自身かもしれないです。
この、3331での工作ワークショップがきっかけで、他にもいろいろな場所でワークショップや勉強会を開催することにもつながりました。
クリエイティブワークショップ
「日曜アーティスト」としての活動に限らず、あらゆるチャレンジもそうだと思いますが、挑戦の過程でいろいろな課題や問題、障害や壁に直面すると思います。そのたびに、問題解決を試みて、なんとか前に進もうとする。遠回りでもよい、少しずつでもよいから前進し続けること。あきらめないこと。
大事なことはたったひとつ。それは、「言い訳しない」ということ。環境やタイミングのせいにしたり、誰かのせいにしたり、言い訳ばかりせずに。とにかく、できることをできる限りやってみる。それでだめなら、まぁ仕方ない。You do the best you can. That's it.
一番ありがちな言い訳としては、「お金がない」とか「時間がない」というもの。これ、僕もよく使ってしまいそうになります。
お金がないなら、どうやって稼ぐかを考える。時間がないなら、どうやって時間を作れるか考える。課題が見つかれば、その対処法を考えることができるので、解決のために努力することができる。
2014年にこのクリエイティブワークショップのことを知ったとき、「これはなんとしても参加したい!」と思いましたが、同時に「お金がない」「時間がない」という問題が真っ先に頭に浮かびました。
Tomatoという、カリスマ的なクリエイター集団がロンドンを拠点に活躍していた頃。2000年代の初めは、私も駆け出しのウェブデザイナーとして、いろんな知識を吸収しつつ、バリバリと仕事をしていた頃でした。Tomatoの活動や、クリエイターさんたちに憧れを抱きつつ。「いつかは自分も」と思っていました。
Tomatoワークショップという、創造性を極限まで高めるワークショップイベントについても、日本で開催されたら参加してみたいなとは思ってました。そのワークショップについての本も買って持っていました。
なので、このTomatoの創設者たちが日本でクリエイティブワークショップを開催すると知ったとき、僕はどうしても参加したいと思ったのです。問題は、その参加費が30万円するということ。さらに、二週間みっちりつかったワークショップということで、その期間は会社を休まなければいけない。お金がない、時間がないということで、どうしてもそのワークショップに参加できそうにない。お金が貯まるまではしばらくかかりそうだし、仕事を調整して長期の休みを取るのも難しい。いずれにしても、実現するのは何年か先になりそうな。
けどやっぱりあきらめきれず。「お金」と「時間」をつくるための、プロジェクトを立ち上げます。まずは、お金。所持金や銀行の残高を全てかき集めても、やっぱり目標金額の半分もいかない。家にある不用品を売ったり、手元にあった外貨やコインを両替したり、古本買取や、ポイ活など。とにかく、思いつくものを片っ端からやってみても、なかなか貯まらない。そこで、得意のライティングのスキルを活かして、片っ端からウェブメディアに記事を寄稿することにしました。おしゃれなキュレーションメディアから、アウトドアや魚釣りのサイト、ITやガジェット系や、旅メディア。海外記事の英訳や、旅関連の記事執筆。ヘルスケアやダイエット、時にはコスメの記事までも。とにかくひたすら書きまくりました。おかげで、なんとか参加費用を捻出することができました。一時的に足りない分は補填して、執筆のお仕事はワークショップが終わったあとも続けることになるのですが。とにかく、これで「お金がない」を解決することができました。
「時間がない」の解決方法は、有休を取得するということしかないのですが。それまでこんなに長期で休暇をとったことがなかったので、なかなか調整が大変でした。「緊急な仕事が入ったら、ワークショップ中でも対応するから」と伝えて、なんとか休みを確保。
晴れて、念願のワークショップに参加することができました。
参加するまでの試練がものすごく大変だったので、参加してからは比較的スムーズに。毎日大量の課題が出て、それを次の日までに完成させてプレゼンができる状態にまで仕上げる。ワークショップ中はたっぷり座学や実技もありつつ。そこで体験した一分一秒がとても貴重な体験で。自分にとって大きな財産となりました。
20名くらいの募集で、実際に集まったのはわずか4名。第二回は開催されることはなかったので、この幻の第一回に参加できて、本当に良かったです。迷ったときは、飛び込んでみる。思えば、今までの人生も、そんな風にいろんな新しいことへのチャレンジの連続でした。改めて、自分の生き方を再確認できました。
中銀カプセルタワービル
2019年10月から11月にかけて、私は銀座八丁目にある「中銀カプセルタワービル」に住んでいました。丸窓が特徴的な、140個のカプセルユニットが二つのタワーに鈴なりになっている、とてもユニークな建物。1972年に黒川紀章さんによってつくられた、日本を代表するメタボリズム建築です。新陳代謝(メタボリズム)をテーマにしたその建物は、カプセルユニットをまるごと交換することによって、まるで細胞のように生まれ変わりながら成長するはずでした。しかし、その建物のカプセルは一度も交換されることがなく、残念ながら2022年に解体されてしまいました。まさに、解体直前に滑り込んだ形です。
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトによる、「マンスリーカプセル」というプログラムは、その建物に興味がある人たちが実際に住むことで、その建物の魅力をみんなに知ってもらおうというもの。かなりの倍率をくぐりぬけ、何度目かの応募でようやくそこに住むことができました。
中銀カプセルタワービルに住めることが決まってから、実際に入居するまでの期間、「中銀カプセルタワービルでやりたい100のこと」というのをブログにアップして、滞在中はそれを次々の実現していきました。宇宙食を食べたり、昆虫食を食べるといった企画や、カプセル全体をピンホールカメラにして窓から外の景色を室内に投影したり、ハンコでコマ撮りをする企画や、御朱印帳づくりのワークショップ、銀座建築巡りツアー、チェコの茶会やnoteの勉強会など、友人たちもアイデアから持ち寄ってくれていろいろな企画を実現しました。
建物が解体された後も、23個のカプセルユニットが保存・再生されて、日本だけでなく海外にも様々なプロジェクトが広がっています。建物はなくなってしまいましたが、メタボリズムというコンセプトは今でも健在で、生き残ったカプセルが第二の人生を歩み出しています。元住人として、それを見守っていきます。
施工見習い
アートインストーラーという肩書に興味をもったのは、東京ビエンナーレの市民ボランティアとして、神田小川町の優美堂という元額縁屋さんの建物をコミュニティアートスペースとして再生させるプロジェクトに関わったのがきっかけ。埃だらけの額縁屋さんを、すっかりきれいなアートスペースに生まれ変わらせるその過程を、「施工チーム」として実際に作業をしながら体感しました。
最初は、インパクトドライバーや丸鋸もおそるおそる触っていましたが、毎週のように作業をしているうちに、すっかり慣れて。どんどん作業が楽しくなりました。現場に行けない平日も、YouTubeで大工さんや古民家再生の動画を見ては、勉強したり。
その施工チームに参加したのがきっかけで、やがて3331 Arts Chiyodaでの展示設営のお手伝いもするように。そこで、アートインストーラーのお仕事に直接触れることになります。アーティストがいて、展示をする美術館やギャラリーがあり。インストーラーさんというのは、その作家さんの意向を受けていかにその空間に作品を展示するかを、実際につくりあげていく人。舞台で言うと、大道具さんや美術さんにも近いですかね。施工のプロというだけでなく、特殊な展示リクエストにもこたえられるスキルと知恵が必要。
いや、すげーなと。間近で見て感心しました。
というわけで、見習いの施工チームメンバーとして、いくつかの現場をお手伝いしにいきました。今後も、機会があればどんどん施工の現場に参加したいと思っています。
小さな版画
この、小さな手のひらサイズの版画プレス機は、海外のクラウドファンディングで支援してゲットしました。ドイツのクリエイターさんたちが開発したもので、3Dプリンターでパーツがつくられています。
2022年6月に、北千住のBUoYというアートカフェで、滞在型の制作展示をさせていただくことになり、その時に本格的にこのプレス機を使って作品をつくり始めました。展示のコンセプトは『恩送りアートカフェ』。カフェの展示スペースで、小さな版画作品を500円で販売。誰かが作品を買ってくれたら、その売り上げの500円が次に来るお客さんのコーヒー代になります。そうやって、恩返しならぬ、恩送りの輪が広がっていくというプロジェクト。約3週間、週末のみの作品販売でしたが、合計60名の方がこの企画に参加して、作品を購入してくれました。
他にも、3331 Arts Chiyodaが閉館するにともない、作品展ができる最後の日にもこのプレス機を持ち込んでライブプリントメイキングとして作品の制作。希望者には実際に使ってもらって作品をつくるというワークショップも行いました。
小川町のゲストハウスでその場で撮影した写真をもとに版画作品をつくったり。SHIBAURA HOUSEの「日ようのマルシェ」という企画で、野菜や雑貨を売っている人たちに交じってワークショップと作品販売などもしました。
奥野ビルで、中銀カプセルタワービルをテーマにした作品展示をした時も、このプレス機を使って版画作品をつくって販売しました。
今後も、このプレス機を使っていろいろな作品をつくりたいと思います。
手製本
文章を書くのが好きなのと、フォトグラファーやデザイナーという肩書で仕事をしてきたこともあったので、必然的に「本づくり」にたどり着きまして。最近は「手製本」というものに興味がわいて、少しずつ勉強しています。
本をつくるって、奥が深いし、面白い。
思い起こせば、娘が小さい頃にも本をつくっているんですよね。たぶん、グリコのおまけだったと思うのですが。小さな絵本がお菓子のおまけでついてきて。それと同じサイズでいろんな絵本をハンドメイドでつくったわけです。
その後も、3331で開催されたかえっこで、絵本づくりの工作ワークショップを開催したり。横浜のアップサイクルをテーマにしたくるり工房さんで古布を使った本づくりのワークショップを開いたり。つい先月は、初台のブックカフェで、手作りの本を持ち寄るグループ展にも参加させていただきました。
今、ふと思い出したのですが、学生時代にも実は本づくりに関わっていました。製本会社の、夏休み限定のバイトで。カタログ雑誌や、中古車の情報誌など、その製本工場でつくってましたよ。
2018年からは、毎年なにかしらKindleで出版しています。冒頭にも書きましたが、自分の創作活動を振り返る回顧録的な本を昨年末に出版。他にも、自作の超短編小説の作品集や、むかしばなしを100以上の言語にリレー形式で翻訳をしつづけたらどうなるか、なんていう本を出したり。
いろいろつくりたい本はたくさんあるので、今後もつくり続けていきたいです。
というわけで、そんなポートフォリオのダイジェスト版をnoteで解説してみました。先月まで、初台のブックカフェで展示していた本のデータに少し手を加えて。育てて(グローイング)、調理する(クッキング)。
そして、文章はいつものフリーライティングスタイルで、一気に書いていきました。
1万文字、超えてるみたいですね。
とりあえず、自己紹介がわりに、ポートフォリオとして公開しておきます。
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「日曜アーティスト」を名乗って、くだらないことに本気で取り組みつつ、趣味の創作活動をしています。みんなで遊ぶと楽しいですよね。