エッセイを書くことの醍醐味
「交換日記」とは仄かに甘い言葉だ。
中学生の頃にはちょっとした憧れがあった。けれど、期待とは裏腹に私は日記を誰かと交換し合うことはなかった。50も半ばを過ぎた今となってはどうしようもないが、仲の良かった女の子もいたのだからやっておけばよかったと思う。それを思うと少し甘酸っぱい。
ロマンチックではないが、交換日記に近い体験はある。
中学校で生徒全員が毎日書いていた日誌だ。その日に起きたことや考えたことを書いてクラス担任に提出し、赤ペンでコメントを書いてもらう。こじつければ先生との交換日記だと言えなくもない。いやまったくロマンチックではないな。
けれど、私にはこの〝書かされていた〟日誌にまつわる大切な思い出がある。
具体的にどんな出来事だったのか忘れてしまったが、クラスで話題となった小さくはない事件があった。その事件の感想として私は日誌に「変な感じ」と書いて提出したのだが、その結果一つ忘れられない事態が起きた。別件で職員室にいるとき、「お前、(あの事件についても)深く考えていないだろう。『変な感じ』って何だ? もっとよく考えたらどうだ? みんな、いろいろ考えているぞ」と担任に言われたのだ。
「もっと考えるって、どうすること?」と思った。
クラス全体にかかわる事件だったから、私以外の生徒で日誌に思いの丈を綴った者も多かったのだろう。おそらく、各人のもったさまざまな感情や事件全体についての考察を、それぞれが自分の言葉で表現していたのではないか? それに対し私はといえば、「変な感じ」という自分の感情に対して何の考察も相対化もない無内容な言葉でお茶を濁してしまっていたのだ。
「エッセイを書くことをとおして考えよう」というのが42年後の私の回答だ。
エッセイならきっとできる。「変な感じ」を言語化し考察し相対化しよう。そのざわざわ感・モヤモヤ感に名前を与えよう。それがエッセイを書くことの醍醐味に違いないから。
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