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火種

大学を卒業した年の4月から、私はある著名な大学教授が開いた私塾に通うようになった。教授が雑誌に出した告知を見つけたそばから申し込んだのだ。細かいことは忘れてしまったが、月に数千円の会費を払い、月に数回開かれる自分が選択した分野のワークショップに参加するというものだった。私が選んだのは「生命論」だった。

この私塾発足時には主宰する教授以外に唯一の講師がいた。彼は東大院生だった。私より2歳年上で、いま振り返っても大変包容力のある人だった。ワークショップでは所定の書籍を読み進んでいくのだけれど、塾生からはさまざまな意見が出たり出なかったりする。それをうまくファシリテートして楽しく有意義な時間に仕立ててくれていた。

そんな彼に私が大きな恩義を感じていることがある。それは、私がある思いつきをノート見開きにまとめたときのことだ。彼が「分量なんて気にせずに全部書いてみてごらん」と助言してくれたのだ。

言いたいことをノート見開きにまとめたのは「文字数を気にしていた」から。私は、自分の書く文章が、学校のテストの模範解答のようなものでなければいけないと思っていたのだ。テストでよくあるのは「○文字以内で書きなさい」という文字数の指定だ。彼は「そんな、学校だけで通用する約束事なんか忘れちゃっていいんだよ」と背中を押してくれたのだった。この助言のおかげで、私は自分の感じる「過不足ない」分量で論文を完成させ、それは私塾の発足から一年半後の会報最終号に間に合ったのだった。

私の原稿について彼は「これがきわめて大事なことだと考えているのだが氏の原稿にある一種の透明さ、真に生きるものの原稿のみがもつ透明さを堪能していただければ幸いである」と記してくれた。別の機会には「児玉君は突き抜けたから、これからも大丈夫」とも言ってくれた。

最大の賛辞だった。これが原動力となり今でも書いているのだし、出版もできたのだと思う。

(797字)

このエッセイについて

作者意図

課題本が『東大思考』ということで、自分が遭遇した数少ない東大生について書こうと思いました。私が直接面識のある東大生は、この彼の他におなじく私塾に参加していた東大院生のカップル2人と、ゲストとして私塾に来た東大院生1人のみなので、合計4人しかいません。特に一番強い印象を残しかつ語りやすいエピソードを選びました。
書き上げてから「このエピソードがあったからこそ今も書き続けているのだなぁ」とあらためて強く感じました。そこで、タイトルを「火種」としました。

完成までの経緯

このエッセイは第1稿です。課題本は12月3日に届き、その日のうちに読み始め2~3日程度で読了しました。エッセイの熟成をテーマにして4カ月目ですので、すぐに書き始めればよかったのですが、心と時間の余裕がなく、締め切り日12月22日まで取り掛かることができませんでした。
仕事では数年に一度市に提出する事業継続のための最重要書類を自宅に持ち込んで書く必要があり、プライベートでは7月から稽古を始めた市民劇の公演が12月15日にあったのです。身体的にきつく、コロナでもインフルエンザでもないのに発熱するというありさまでした。劇の公演を終えてからも諸般の事情でなかなか取り掛かれませんでした。ようやく落ち着いたのが締め切り日だったというわけです。書き始めてからは、2時間半ほどで完成させました。この所要時間が長いのか短いのかは問わないことにします(笑)


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