プラグマティズムとドグマ―ティック
ノートが三日坊主にならないように、ゴールデンウイークの後始末を捻出してみようと思います。こんばんはゆとりです。ゴールデンウイークの後半ゆとりは何をしていたかというとずっとパソコンカチャカチャしてました。
わりに合わないお仕事です。
ロースクールというところには、上からの恩は下に返すみたいな伝統がすくなくとも私の出身校にはあり、在宅勤務になったタイミングで(在宅勤務となった経緯もおもしろいのでいつかかけるかもしれない)ローからなぜか後輩たちの直前期の受験指導の話がきてしまいそれをうけてしまったため、わりに合わない資料作成をしていました。そう刑法のレジュメづくりです。
すくなくとも、私は刑法があまり好きでないです。なぜならば、同じ結論に至る場合が多いのに、めちゃくちゃ頭のいい人達が右から回ってくか左から回ってくかで常に揉めているからです(行為無価値vs結果無価値という流れがありますが興味ある人はググってください)。この、2大勢力はガンダムでいうところのアムロとシャアみたいに対立しているのでわかりあうことは多分ないんだと思います。もっとも、クワトロ・バジーナ的なポジションでたまに何かと共闘してる時もあるのであたま痛くなってきます。
しかしながら、実際の試験では刑事系がとてもよくできてしまい。このお役とめぐりあってしまったのだと思います。
刑法という科目特性としては、とてもドグマティックで原理原則を定義してそれからずれたことを言うと、ひよったワールドカップの時だけサッカーファンになる人みたいな扱いをうけます。それは言い過ぎかもしれませんが、とりあえず一貫していることがもとめられるのです。
日本の法律は、刑法を除いても制定法主義で、条文解釈が常に行われうる点ではとてもドグマティックです。割とその意味で試験勉強も、条文解釈ともに、その根底にある価値観や利益考慮を学ぶことが重要である側面もあります。
一方、英米法圏の法律は、基本的に制定法がなく、先例拘束主義のもと、類似先例との差分と重要部分の判断に基づく判例法主義であるため、プラグマティックです(とはいってもアメリカでは統一商法典とかありイギリスほど判例法主義ではないです)。ここからは想像の部分も多いのですが、やはりイギリスとかは植民地多かったからいちいち法律作る暇もなかったのかなとか世界史のことを考えたりします。
世界広しといえど、性格がまったくことなる法体系があるのっておもしろいですよね。しかし、刑法のレジュメづくりは大変です。がんばりますー
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