どうなりたいか、ではなく、どうありたいか。
こんにちは、フムです。
今回も僕の記事を読んでくださり誠にありがとうございます。
僕が人生で大事にしている意識のことをお話できたらと思います。
今回のテーマは「どうなりたいか、ではなく、どうありたいか。」
ということです。
みなさんは人生を生きている中で、
あの人憧れるな。
あの人みたいになってみたいな。
サッカー選手になりたい。
など色々な目標や夢を十人十色で描いてきたのではないかと思います。
僕も小さい頃から29歳まで(つい最近まで)これの大事さをわかることが出来ませんでした。
師匠みたいになりたかった。
そもそも、最近みなさんはこうなりたいな~と考えたことはありますか?
僕は自己紹介の記事でもお話させていただきましたが、
事業を立ち上げて経営者を目指して生きていました。
その理由は、自分を経営者として育てて頂いていた「師匠みたいになりたい。」という一心で目指していました。
その師匠みたいになりたい理由は
・会社という概念に縛られず、自分が好きな仲間に囲まれてる。
・人望が溢れていて、お弟子さんもたくさんいる。
・人を大事にする粋な仕事ができる。
・芸能人とも会える。
・きれいなお嫁さんがいる。
・裕福な暮らしをしている。
などでした。
僕はそれを全部叶えるには、この人の弟子になって経営を学べば
この人みたいになれるぞ
という希望で弟子入りを果たして7年頑張りました。
なりたいって何だ?
なりたいってなんだ?
ただ、漠然とした疑問が残りました。
僕の師匠はお弟子さんもたくさんいる師匠で、
僕はそのお弟子さんの中の1人で、ずっとライバル(他の弟子)たちと勝負し続けていきました。
その中でずっと自分に、なりたい自分を言いきかせ続けてきたからこそ
「自分がなったではだめなのか?」から考えは始まりました。
色々な経験を通して考えは広がっていき、
僕が行き着いたなりたいの答えは
なりたいは「人の評価でのみ決まる状態」のことを指すんだと、たどり着きました。
それを見つけた時に思ったのは
自分に勝手につけられる評価や意見は「だれかの個人の意見でしかない」ということなんだという結論に至りました。
それは、どんなに結果を残した人の意見も例外なくです。
誰かの評価を得たくて、人生を生きているんではない。
「自分を幸せにしたくて人生を生きているんだ」とこの時僕は気づくことが出来ました。
どうなりたいか、ではなく、どうありたいか。
なりたいは人を枠に縛り付けます。
あの人になりたい。
強くなりたい。
色々ななりたいがありますが、
なりたいは自分をそれだと決めつけてしまう要素でしかないと感じます。
僕が思うに、人は「何者になることはできない」と思っています。
それはすでに生まれた時から「自分という人になっているからです。」
ただ、ありがたいことに人生は自由です。
好きなように時間を使うことが出来て、僕らは思い描けることが出来ます。
どうなりたいではなく、その人生という自由な時間を「どうありたいか。」
自分のあり様は自分でいくらでも決めることが出来ます。
みなさんはどうありたいですか?
人を喜ばせる人でありたい?
強くありたい?
商売が上手い人でありたい?
僕は「全てに優しくありたい」です。
さいごに
どうなりたいか、ではなく、どうありたい。
小さな言葉のニュアンスでしかないかもしれません。
けど、僕はそれが大事だと思っています。
「全てに優しくありたい」はまだまだ発展途上です笑
僕の今がそうなっていると言えることもあるかもしれませんが、そうでないとも言えます。
自分のあり方を探せれば、どういう生き方をしていくかも明確になります。どういう生き方が明確になれば、人の評価も気にならなくなります、
そして何よりは自分の人生に更に期待できると僕は思っています。
僕の考えが皆さんのなにかのきっかけになれば幸いです。