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焦りは一旦置いておいて、もう少し、私は私の今を大切に生きたい

ホームにステイしている。
いや、ホームステイではない、単に実家にいるだけだ。ちょっと留学感を出してみたかっただけだ。


留学は、実際していた。
留学先のフィンランドから、先週日本へと帰国した。今の日本の方針では、海外からの帰国者は2週間自由には外に出られないので、家でおとなしくしている。

全然、歩いていない。フィンランドで、平均10,000歩、多い時には一日30,000歩以上歩くこともあった私は一体、何処へと行ってしまったのか。今週の月曜日なんか、一日の総歩数19歩である。19。最近歩きを覚えたばかりの赤ちゃんでももう少し歩くのではないか。

家で何をしているのか、暇をしているのか、と言われるとそうでもない気がする。なんだか、日本の空気に当てられて、また焦り始めてしまっている。
そうなのだ、私は焦っている。

「何かしなくてはいけないのではないか」という思いに囚われている。

「何か」ってなんだ。それすらもわからないし、別に「しなければならない」ことなんて、そんなにないはずなのに。わかっているけど、日本の空気は私になかなかそれを許してはくれない。あっという間に日が暮れる。また何も出来なかった、と布団に入る。

日々が、精彩を欠いている。前に入れて放置していた瞑想アプリから”Could you do something just for fun today?”と通知が来る。そんな時間、取れていないことに気が付く。

全てに意味を持たせようとしてしまっている。「何か」のために頑張らなくてはならないのではないか。と思ってしまっている。かなしい。私は本来くだらない、意味のないことの方が好きなのに、一人では中々それが出来ない。それをすることを、許してあげられない。

「将来、役に立つことをやらなくてはならないのでは?」

そんな思いが、ずっと片隅にある。いや、片隅ではない、全ての私が行う物事が、そのフィルターにかけられている。友達と話している時でさえ、そう思ってしまったりするからもう嫌になってしまう。

どうしようもなくて、つらつらと、フィンランドで一緒にバカやってばっかいた親友に泣き言を垂れ流していた。返事が返ってきた。

“Life is also about doing things you want to do and having fun!”

友人は、くだらないことも大好きだが、真面目な相談にははっとする答えをくれることが多い。今回もそうだった。「人生は、やりたいことやって楽しむものでもあるよ。」その通りだ。

そして思い返す。私は、日々を楽しむのが下手だった。というか、「人生を楽しんで良い」と思っていない節が、確実にあった。割といつだって心あらずだった。ボランティア合宿とか、私が「意味がある」と認定出来たことの中での楽しさ、或いはその物事に一旦没頭してしまえば大丈夫なのだが、友達とご飯たべにいく、とかは時によっては最悪だ。「こんなことしてる場合なの?」が顔を出してくる。やめろ、その顔を引っ込めろ。

もう少し、で良いから、自分が日々を楽しむことを認めてやりたい。今も、刻々と真夜中に向かっていく時計を見ては「私は明日早く起きて、バリバリに活動するから早く寝なきゃいけないのに!」、とか思って焦っているけど、やめよう。どうせ早起きなんてできないのだ。

取り敢えず、今夜を楽しむこととしよう。1:00に眠るのならば、あと2時間以上もある。英語とかインターンとか学んだことまとめなきゃとかラインの返事しなきゃとか思わないで、さくっとお風呂に入って、ろうそくに火をつけて友人にもらったムーミンの本でも読もう。フィンランドで撮った写真を眺めたりしよう。

私はもう少し、私と私の今を大切に生きたい。留学中、私はこれからの人生では日々を楽しんで生きる、と決めたのだった。やりたいことを、楽しいことを、やろう。

最後にもう一人のフィンランドの親友からもらった言葉を記します。


“You get one life. Nobody is going to thank you for wasting it feeling stressed all the time.”


“If you don’t decide to enjoy and take care of yourself, nobody will do that instead of you.”

私はもっと、私の日々を、時間を、大切にして、今を楽しもうと思う。

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