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多元的デザイン雑感2022年7月

この記事を読んだ感想として現状の多元的なデザインに対する自分の理解の雑感をまとめておく。

この記事の要点を整理すると
1.今日の文明の危機において都市を再考することは喫緊の課題である。
2.この課題は西洋中心主義的な(主にデカルトに由来する)都市や建築の設計のモードに起因している
3.特に人間がデザインによってデザインされる世界で、西洋的な関係性の認識が居住様式として社会には埋め込まれている。
4.そのため、根本的な相互依存性を前提とする多元的なデザインを都市に適用していく(フライのいうメトロフィッティング)ことで、サステナビリティからサステイメントへとトランジションを起こしていくことが目下重要となる。
5.エスコバルはそのための方法として、ノンヒューマンも含めた共同体や衣食住のシステム、家父長制に抵抗するためのケアなどを構築することを主張する。

Designs for the Pluriverseで、エスコバルは度々西洋的な建築のモードや居住空間がいかに我々の生活を相互依存性(Interdependence)から切り離しているのかを詳述している。
例えばアメリカ的な郊外の住宅と、マロカ(コロンビアなどに見られる集団で暮らすための家)を比較しそのどちらに住まう(dwelling)かで環境との人間の相互依存性が変化するだろうと指摘している。
関係的な住まいや集合体への眼差しは一見するとインゴルドのメッシュワークを想起させるが、エスコバルのはフライの存在論的デザインを援用することで、生態学的な人類学の議論に都市を統治するアルゴリズムやシステム、インフラストラクチャーの観点を挿入する。特に4章ではトニーフライの文献を進化、自己組織化、道具の観点から人間の進化を理解することで、テクノロジーがもたらす可能性を批評的に受け入れるハラウェイのサイボーグフェミニズムとも共振するような主張を扱っている。
本記事で(というよりもエスコバルのデザイン論全般で)重要なのは、都市のメトロフィッティングが単純な近代建築や工業社会の解体と「自然」への回帰を押し進めるものではなく、ブラットンのいうスタックを前提とした上での新たな住まい方の設計を対象とする点にあるだろう。
しばしば、南米での脱開発を背景としたエスコバルの議論はデザインの文脈ではマンジーニに代表される地方分散型のボトムアップなモノづくりとして(少々牧歌的に)理解されるが、エスコバルは決して地産地消のラグジュアリーを推奨する訳ではない。むしろそのように、資源を異なる形式で資本化しようとするデザインに内面化された権力を批判する。
つまりメトロフィッティングとして多元的な都市デザインを考えることとは、都市の新たな機能として緑化やエディブルインフラストラクチャーを構築しそれを新たな経済として駆動させるのではなく、そもそも文化-自然が混然としてしか成立しない新たな居住様式を探索することにある、エスコバルは、ヴァレラのオートポイエーシスや仏教の縁起、フェミニズムのケアの概念にこの探索の足場となる機能を見出そうと試みているのではないか。これらに通底するのが根本的な相互依存性なのだと思う。


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Hiroto Okuda
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