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「批評的なデザインのゆくえ」備忘メモ

昨日kyoto-d-labで行われた「批評的なデザインのゆくえ」ミニシンポジウムを聞いてきたので備忘録としてnoteを書く。

参加する前に「クリティカルデザインとは何か?」の方は読んでいたのだけど、「SPECULATIONS」はまだ購入できていない状態。ただ大まかには前者の書籍を議題にしながら話が進んだので話の筋は理解しながら、知らない固有名詞がたくさん出てくる程度の解像度で聞いていたので全ては把握できてないのだけど個人的な感想も含めて書いていく。
この本のnoteも後々書こうと思ってる。

デザインリサーチを総体化していく

今回は二つのデザインリサーチに関する本の刊行イベントということで、デザインリサーチの枠組みや実践の事例の話がメインであった、冒頭の近年のCD(クリティカルデザイン) SD(スペキュラティブデザイン)に関する論文書籍の多くがデザインフィクションを取り入れた方向性にあるのではないかという、その起源としてJulian BleeckerとNear future laboratoryの作品があるのではないかという指摘が水野さんからあげられていた、またデザインフィクションの事例としてIKEAのカタログを模したTBDesignという取り組みが上げられていた。

こういった実践のみではなくより体系的、形式的な研究は多く存在し、中には論文の全編をフィクションで構成するなどの挑戦的な研究も行われている。しかしこういった研究的/実践、実践的/研究は「クリティカルデザインとは何か?」のテキスト内ではあまり語られておらず、デザインリサーチの間でも分断が存在するのではないかという指摘が挙げられていた。

その研究に批評的な意義はあるか?

しかしこのような事例のデザインフィクションの研究手法はメタ的な研究で実際には学会・研究に対しての批評的な効果は薄いのではないかという部分がある、盲目に学術的な方法論に固執してデザインフィクションを行う意味があるかは疑わしく感じる。元々はDunne & RabbyとBruce sterlingのUnited micro kingdomで行っていたようにフィクションの担当とコンセプトの担当が議論しながらアウトプットをするような手法だったが、未だその方法論に確固としたものが確立されていない中で、現在のメタ的なデザインフィクションにはあまり本質的な社会への批評性は薄いのではないだろうか。

クリティカルデザインは何を行うのか

マルパスの書籍の中ではクリティカルデザインが大きく三つの段階に分けられている、しかしその中で批評的なデザインの批評するという言葉が多用されているが何を批評するのかという事は時代によって異なりそれによって三つの段階に分けられる。

そもそもデザインにおける「批評的」という言葉は曖昧に使われている部分がある、内実が定義されずにマジックワード的に用いられる批評は、実は文芸批評などから引用して分類するとわかりやすいのではないか?
太田知也

CD_history_アートボード 1

上図はシンポジウム中に表示された太田さんの図をメモしたものです。


デザインリサーチの理論のみではなく周辺の思想や文化の変遷から相互に影響を受けあっていると推測できる。そしてスペキュラティブデザインにおいては文芸のみではなく化学や技術も関わりながら民主的な議論を行うという点が特に違う部分だ。しかしマルパスはクリティカルデザインをプロダクトデザイン、インダストリアルデザインと紐付けて定義している。クリティカルデザインを定義づけることよりもどういった姿勢でデザインを行うかという部分こそが重要ではないかという指摘もあった。

マルパスがまとめているような、クリティカルデザインというものが、プロダクトやインダストリアルデザインに特化したものではなく、同時代的に色々なデザインにおける批評というものも存在していた。その中でデザインが社会に対してどう批評の一形態となれるのかを色々な考え方ができることが大切である。大事なのはカテゴライズではなく、デザインを通じて社会なり、日常生活に対して、批評的な視点を持つことを引いて考えることが重要ではないだろうか?
古賀稔章

非デザイン思考のゆくえ

近年のデザイン思考の氾濫に対してクリティカルデザインやスペキュレーションが注目されている、だがそもそもが研究ベースであるために実践に取り入れられにくく、デザインリサーチの手法というよりは未来洞察、経済活動との接続の方に注目されている。デザインリサーチの手法が奇異なものやそれらしい未来を作る為のツールになってしまう、消費されてしまうことによって批評性がなくなってしまうことも有り得る。ITベンチャーが出資して展覧会を行うことやGoogleがデザインフィクションのチームを作るなど商業との関わり方が模索されている。

企業との関わりながらのデザインとしても、プロセスの中にSDやCDのような学術的な記述、研究も関わることになり実装と研究の双方向的なアプローチは可能ではないだろうか。そして両方が可能な大学も重要な場所になる。

大学の役割としては批評を行う学生を支援することが必要である。-中略-
大学が就職予備校化してついつい、小賢しい活動に偏るのはあまりピンときてません、もっとのびのびやる、あと熱い思いだけはとにかくぶつけてみる。実戦でも理論でも構わないが、ただ両方やった方がいいと思う、僕はもともと両方やっていたから。 水野大二郎

感想

昨年の夏にも行われていた、D-labでのシンポジウム以来のデザインリサーチに関する会だったのだけど、前回よりも専門的な話が多くあったように感じた、毎回知らない固有名詞が大量に出てくるので事後のインプット量が凄いのだけどそこから浮かび上がってきた疑問もある。

1.なぜ批評を行わなければいけないのか?
クリティカルデザインは現状のマジョリティになっているデザインを批判するがなぜ批評的学術的なデザインを行わなければならないかについて明確な答えが出てこない、デザインを行う大義的な部分はあるのだろうか?
極端なところそういった部分がなければただ手法、テイストとして好みだからとも言えなくはない、しかしそこに何かしらの意義は存在するように感じるがそれは何か?


2.商業的なデザインとの関係性
SDGsやサスティナビリティなど商業ベースのデザインにも取り入れられている(これもデザインリサーチの範疇かもしれないが)その中で学術的な、学際的なデザインはどう取り扱われるのか、もっというとマジョリティになり得るのか?あくまで商業デザインに対しての批評的なデザインという対立の構造で有り続けるとするならば他のあり方は存在しないか。


3.学会を抜け出せるか?
正直なところ、こういった手法、思考法は少なくとも今の段階では多くの人に理解しやすいものではないように感じる。ただ、厄介な問題や、社会的な部分にアプローチする上で学会内での議論のみではなく民主的な、多くの人が参加しすることができるのはどういう場所や事になるのか?

以上、自分自身はデザインリサーチ、CD,SDも好んで勉強したいので問題ないのだけど、より巨大な問題を扱っていくとしたときにもっと響く説明やプレゼンテーションの仕方はないのかなというところは気になりました。


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Hiroto Okuda
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