もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方
10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。
第1話 仕事の仕方と学び方
ルカが目を覚ますと、朝の11時だった。
昨日も午前3時くらいまで仕事をしていたので、どうしても起きる時間はこのくらいになってしまう。仕事と言ってもスナックのアルバイトなのだが、これはこれで意外にも奥が深い。
カーテンに太陽の光があたっている。外は天気がよくて暖かいかもしれない。
ルカは最近、仕事のために必要なので「カッコいい」というセリフの言い方を練習している。姉と二人のアパート暮らしだが、姉は朝早く仕事に行くので、今は部屋にだれもいない。だから、こういうことは心置きなくできる。
今日も早速ふとんのなかで言ってみる。
「カッコいい」
うーん、ちょっとわざとらしいかな。
「カッコいい」
少しよくなったかな。
「カッコいいー」
少し語尾を伸ばして気分を込めてみた。こんなものだろうか。でも、何か足りないような気がする。練習する時に心がけるべきコツのようなものがあったはずなのだが。まあいいか。
洗面所に行き、表情もチェックすることにした。
鏡は昨日姉が磨いておいてくれたのでピカピカしている。でも、鏡の中にいる金髪で丸顔の女の子は少し眠そうだ。
(われながら眠そうなすっぴんにもかかわらずそれなりに可愛い)
と思いつつ、鏡に向かって「カッコいい」と言ってみることにする。
「カッコいい」
少しにやけている。
もう少し真面目な顔をしなければ。
「カッコいい」
うーん、だいぶよくなってきたぞ。しかし、どうも何かが足りないような気がするが、気のせいだろうか?
それと、これは一人のお客さんの対策にしかなっていない。もっと一般的で汎用性の高いことを練習しなければいかん。って、そんなことに今さら気づいてどうするのだ。
でも、まあ、気がつかないよりはましか。
「いらっしゃいませ」
これが一番大事だ。
「ありがとうございました」
これも大事。やはり、基礎・基本が重要だ。
と一人で納得しつつ、立て続けに3回もあくびをした。
それにしても起きて早々「カッコいい」の練習をするとは、我ながら少し変なのではないか。変なところで仕事熱心だ。とルカは少し自分のことをいぶかしく思った。
今日は、7時40分頃に仕事に行く日だ。肩書は、スナックの女の子ルカちゃん。肩書というほど大げさなものでもないか。年は23歳。いわゆるフリーターで、今のところスナックのバイト以外の仕事はしていない。
少し部屋を掃除してからテレビを見たり、パソコンでニュースを見たり漫画を読んだりして過ごした。
ちなみに昨日のプロ野球は巨人が勝った。
(うーん、なかなかいいことだ)
勤めているスナックのマスターが巨人ファンなので、巨人が勝った日の翌日は機嫌がいいのである。
家を夜の7時ごろに出て、7時半過ぎにスナックについた。店の名前は『おしゃれねこ』。
まだマスターは来ていないので、渡された鍵でドアを開け、電気やエアコンをつけたり、掃除機をかけたりする。カラオケ兼テレビの画面の電源を入れると、「ボワーン」と独特の音がして画面が明るくなる。この音を聞くと、「今日も仕事が始まるぞ」という気持ちになる。
8時前にはマスターが出勤してきた。マスターは小柄で短髪の精悍な顔つきの男で、スキーが得意なスポーツマン。時々、原因不明の怒りを爆発させるので油断のならない人物である。
早速、挨拶の練習が始まる。
「いらっしゃいませ」
「もっと元気よく」
「いらっしゃいませ」
「まあまあだな。次」
「ありがとうございました」
「よし、じゃあ、次は沢田さん対策だ」
「例のあれですか」
「そう。例のあれ。あれは、ちゃんと沢田さんの変なポーズを思い浮かべないと効果半減だぞ」
そうだった。沢田さんの変なポーズを思い浮かべながらやらないと効果半減。家で練習した時はそこが足りなかったのだ。
ルカは、ほっぺを膨らませながら手を顔の横でぶらぶらさせる沢田さんの変なポーズを思い浮かべながら言った。
「カッコいい」
「うーん、ちょっとわざとらしいなあ」
「カッコいい」
「もうちょっと、真実味のある言い方はできないか」
「カッコいいー」
語尾の伸ばし、気分を込めてみた。
「よし、だいぶよくなってきた」
「練習してきたんですよ」
「それはいいことだ」
マスターは、ちょっとだけニコッとした。やはり、昨日巨人が勝ったので機嫌がいいのだろう。
8時半くらいに、リナちゃんとエリコちゃんが出勤してきた。
リナちゃんは背が高くて黒髪、額が広く目がパッチリしている日本美人。エリコちゃんは茶髪・中背でボーイッシュな顔立ち。ちょっとみると17才の男の子みたいだが、もちろん女性だ。3人とも店に週5日くらいくるレギュラーメンバーで、この3人がいれば、そんなに人手不足にはならないだろう。
お客さんは5人。この時間だったらまあまあかもしれない。
その時、ドアが開き、例の沢田さんが来た。
沢田さんは、40代くらいに見える常連のお客さん。書店を経営しているらしいが、いつも「大登場おー」と言いつつほっぺを膨らませて手を顔の横でぶらぶらさせる変なポーズをしながら入って来る。本当に経営者なのだろうか。どうも疑わしい。
本日も、例外ではなく、いつものポーズとセリフが出てきた。
そして、いつもと同じように「カッコいいポーズでしょう」と、ルカちゃんのことをキモイ涙目で見ながら聞いて来きた。
今までの練習が試されるのはまさにこの時だ。
もちろんルカちゃんはできるだけ気持ちを込めて「カッコいい」と答えた。
「うーん、だいぶ良くなってきたけど、まだ、少しわざとらしいなあ。無理して言っているでしょう」
「ばれたか」
「まあ、でもよくなってきたから、この調子で練習するといいよ。今日もちゃんと練習してきたでしょう」
「もちろん」
「ちゃんと練習してきたとは、偉いねえ」
多少は練習の成果があらわれたようである。
店の閉店時刻は特に決まっていない。お客さんが全員帰るか、アルバイトの女の子が全員都合が悪くて帰らなくてはいけなくなると、そこで閉店になる。この日はこの店には珍しく1時半頃終わったので、近くの居酒屋で反省会をすることになった。
メンバーは、マスター、ルカ、エリコの3人。リナは都合が悪いらしく帰った。
近くの朝6時までやっている『シルバー酒場』という焼き鳥屋に行った。
まず最初にビールで乾杯。
そして、なぜか、沢田さん対策の話になった。
「あんな変なポーズをやる人に『カッコいい』なんていう言葉をわざとらしくない言い方で言うのはなかなか難しい。いやー、ルカは偉いよ」
マスターから褒められた。
「でも、拙者は、そばで見ていて、まだまだ今イチかもしれないと思ったのですよ」
エリコちゃんは、こういう席では自分のことを拙者と言う。
「うーん、それもそうだけど、あれ以上は難しいですよ」
「欲を言ったらキリがない。でも今日のところはだいぶよくなっていた。よし、じゃあ、こうしよう、明日から都合のいい人は7時半までには出勤して場面を想定した訓練をする。もちろんその時間の時給は払う」
マスターは、時々こういうことを言い始める。
「わたしは、いいけどみんなやるかな」
「拙者は、そういったことには興味があります」
「じゃあ、決まった。やる人だけでいいから、早速明日、というかもう今日か。今日の夕方から始めることにしよう。おれがみんなにメールで知らせておくよ」
言い終わるとマスターは、ニヤニヤとにやけた。これがマスターの会心の笑みなのである。
※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方(その2)
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