もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第3話 仕事の学び方
10年くらい前に流行った『もしドラ』を意識して書いた小説です。
自分がよく行くスナックで行われていることを脚色して書きました。
『もしドラ』と違って、テーマごとに違う話が展開する短編連作です。
※ 第1話から読みたい方は、もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第1話 仕事の仕方と学び方から読むことをおすすめします。
第3話 仕事の学び方
マスターはいつものように、7時半に店に着き、ルカと協力して電気をつけたり掃除をしたりして8時に店を開けた。
その日は8時15分頃に新人の面接の予定が入っていたが、その時間になっても現れない。
8時20分頃になってやっと来た。遅刻だが、せっかく来たので面接をすることにして、店の片隅で向かい合って座った。
背が低く貧乳で、顔はブスというほどでもないが美人とは言えない。額が狭く目が小さくて、どうも頭がよさそうな感じがしないのである。話し方もゆっくりであまり気が利きそうではなく、とろくて不器用そうな雰囲気。あまり取り柄のなさそうな女の子である。
でもこういう女の子は、うちの店に来るあんまりいけてない中高年の男性には好かれることが多いので、雇った方がいいかもしれない。雰囲気だけでなく、本当にとろくて不器用だったら他の女の子とうまくいかなくなるかもしれないが、そこは実際に何日か働いてもらわないとわからない。
まず履歴書を出してもらった。
手書きで少し字が汚いが読めることは読める。
名前は北里アヤメ。店ではアヤメという本名をそのまま使うことにした。
出身大学は名門のお嬢さん学校A女子大。どうもこの娘がA女子大とはイメージに合わないが、銀座の高級クラブなどではなく、スナックの面接くらいで嘘をつく人はごく稀だと思うので、たぶん本当なのだろう。一応、試験的に店に入ってもらうことにした。
「こういう仕事は始めてかな?」
「はい」
「それじゃあ、まあ、今日は短い時間だけど見よう見まねで水割りを作ったりお客さんと話したりしてみよう」
「はい」
「それと、これは、個人個人の感性の問題で今俺が言っても仕方がないことかもしれないけど、でも一応頭に入れておいてもらった方が、なんとなくうまくいく場合もないとは言えないので、ここで言っておく。この店に来るお客さんは、仕事もうまく行っていて家庭も円満で幸せな人生を送っているという人はめったにいない。どこか残念なところのある変な人が、100%全員とは言い切れないかもしれないけど、でもほとんどだ。働いている女の子も、昼間の仕事がうまくいっていて、いい彼氏もいる。という人はたぶんいない。一言で言えば、どうにもいけていない残念な人が集まって、日々おかしなことを繰り広げているのがうちの店だ。そういう場所が楽しい。と思える人でないと長続きしない。ここは、リア充の人の方がかえって浮いてしまうという変な場所だ。異世界と言ってもいいかもしれない」
「イセカイって…?」
「異なる世界と書いて異世界。普通じゃない世界、という意味だ。でも、残念な人ばかりなのに、いや残念な人たちだからこそ、他人のことを応援しよう、人と一緒に助け合って生きて行こう、という心の温かい人が多い。そのことに気がつく前に辞めてしまう女の子がいるのがとても残念だ」
と言ってマスターは涙目でアヤメを見た。
アヤメは思わず「まじ、キモイ」と言いそうになったがぐっとこらえ、思いとどまり、複雑な表情を浮かべながら「わかりました」と答えた。
その日アヤメは、カウンターの内側に入り、先輩のやっているのを見よう見まねで水割りを作ったり、お客さんと話をしたりして、10時くらいに帰った。
その2週間くらい後。
マスターが目を覚ますと、10時少し過ぎだった。
昨日は店が終わったのが2時。それから反省会も行わずにまっすぐ家に帰ったので、寝るのが早かった。だから、マスターにしては比較的早めに目が覚めたのだろう。
何気なくテレビをつけたら、「世界エア・ギター選手権」の様子が映し出された。
次々に出てくる人たちはみな、手に何も持っていないにもかかわらず、さも熱狂的にギターを弾いているような激しい動きをしている。国を代表して出ているらしく、みんななかなか熱心だし、リアリティがある。
黒人も白人も黄色人種もいる。日本人らしき人も出ている。長髪の人もいればスキンヘッドの人もいれば金髪もいるし、黒髪の人もいる。女性は少なく、ひげ面のおじさんが多い。
みんな大真面目に演奏している。と言うのだろうか。演じていると言った方がいいのかもしれない。
(楽しそうだなあ)
どこかで見たことがあるような気がするが、たぶん以前見たのもテレビだろう。
と思いながら、マスターはテレビを消してから身支度をして、近くのファミリーレストランにモーニングサービスを食べに行くことにした。
その後、いつものようにスポーツクラブに行ってから喫茶店に行った。
これまたいつものように『プロフェッショナルの条件』を取り出した時、さっき見た「エア・ギター選手権」の映像を思い出した。
(なんで、ここであれを思い出すのかな?)
まあ、あんまりつながりはないのかもしれないが、何か関係があるのなら、そのうちわかるだろう。特に悪い予感はしないので、考えないことにした。
今日も「第2章 自らの強みを知る」を読むことにした。最近この章を読むと何かと役に立つことが多いので何回か読んではいるのだけれども、もう一度読むことにした。
章の初めから順番に読んでいって、「仕事の仕方に着目する」のところを読んでいる時、気になる文言があった。
かつて一流の大学教授について調べたとき、かなりの人たちが、学生に教えるのは自分がする話を自分の耳で聞きたいからだ、そうすることによって初めて書けるようになると答えていた。
人に教えないと自分が学ぶことができない。という話は時々聞くけど、ここにも出てきた。これも何かに役に立ちそうだが、今すぐに何かの役に立つのだろうか?
マスターは、さしあたって今のところ役に立つかどうかわからないが、一応頭の片隅に置いておくことにして、手帳に書き写す文言を考えた。
今回は少し省略して書くことにした。
学生に教えるのは自分がする話を自分の耳で聞きたいからだ
他人に話すことによって、自分が話すことを自分の耳で聞くことができる。それが仕事などを覚えていくうえで大切だというのは、確かによくありそうなことだ。とマスターは思ったので、この文言にしたのである。
その日のメンバーは、ルカ・エリコ・アヤメの3人だった。女の子の人数が少なかったがお客さんがけっこう来たので忙しく、マスターもお出かけしないでずっと店にいた。
アヤメは、遅刻してきてマスターに怒られた。
「何度言ったらわかるんだ。君のせいでみんな迷惑してるんだ」
マスターは怒る時は真剣だし、すごい迫力だ。アヤメは泣きそうな顔になって謝った。
「すみません」
「もう、こんなことばかりだとクビにするよ」
9時くらいになると、沢田さんが入ってきた。白いコートを脱いで椅子の後ろにかけようとした時、カウンターの外側に立っていたアヤメが「コートお預かりしましょうか?」と言うと、一瞬沢田さんが嫌そうな顔をした。
カウンターの内側にいたリナはそれを見て、すかさず「預からないでも大丈夫でしょう」と言い、アヤメはジャンパーを預かるのをあきらめた。
こういうところは、リナがよく気がつく。
沢田さんは、どういうわけだか上着類を預かられるのを嫌がる。ポケットに大事なものが入っているのか、寒くなったらすぐに着られるようにしたいのか、なんなのかよくわからないが、とにかく嫌らしい。
その後アヤメは、カラオケのチケットを同じ曲で2回とろうとしてリナに注意されたり、麦焼酎と芋焼酎の瓶を間違えてマスターに怒られたりした。
アヤメが店に来たのは、この日で5回目。どうも覚えが遅い。
でも、アヤメがいると機嫌がいい中高年の男性は今日も何人か来ていた。
「まあ、お客さんの中にはアヤメちゃんのファンがけっこういるから、失敗にめげないでがんばろう」
沢田さんはそう言って励ましていた。
※ 次の話→もしスナックのマスターがドラッカーの『プロフェッショナルの条件』を読んだら 第3話 仕事の学び方(その2)