読書嫌いへの読書のすすめ
新年モードも落ち着いてきて、すっかり通常運転モード再開。年末年始はなんやかんやバタバタして読書する時間が取れなかったなぁ、反省。
筆者は本は読む方である、読書は昔からの趣味なので、あまり自覚はないのだが、周りに言わせるとそーとー読む方らしい。両親ともに読書家だった影響もあるのだと思うが、小説・新書・ビジネス書・詩集・実用書、目の前の本棚をみても、まとまりのない多ジャンルに及ぶ本を読んでるなという実感が湧いてくる。
世の中の人はそんなに本を読む環境にいないらしい
意外とみんな本読まないんだなーっと思ったのは大学生になった頃。勝手に「大学生=学問=読書」みたいな印象をもって大学生になった筆者にとって、読書より飲酒を優先する学生ばっかりだったのは、純粋にびっくりしたのと同時に、自分の感覚が世間から大幅にずれてるコトを認識するきっかけになった。
実家に大量の本があり、家族が全員が好きだった『はてしない物語』に至っては一人一冊、家族に4冊あるような環境で育ったので、読書って別に当たり前にみんなやるものだと思っていたのだ。今、思うと我が家が特殊な環境だったのだ。
実際、本を読むという行為はそうとうにコスパの高い趣味だと思う。1冊の本から得られるものは大きいし、場合によっては人生を大きく変えてくれる本に出会う事だってある。費用にしても、よっぽどマニアックな専門書を読むのでない限りは、1冊数百円~2,000円くらいのもんである。費用対効果は大きい。
それでも、世の中の人はそんなに本を読む環境にいないらしい。そんな読書をしない方に、読書をしたくなる名言(?)by筆者の友人を2つ紹介。
「読書が趣味って言うと、さも高尚な趣味のような扱いを受けるけど、別にゲームやるのとマンガ読むのと変わらないつもりなんだけどなぁ」by筆者の友人
これは筆者の友人がいった名言、読書好き全員がわりとうなずく名言ではなかろうか。そうなのだ、読書する人たちは、読書をなにも鼻にかけた趣味にしているわけでもなければ、自己研鑽のためだけに読書してるわけでもないのだ。ゲーム好きがゲームをするように、マンガ好きがマンガを楽しむのと同じように「おもしろいから」読書してるのだ。
これは大事なポイントだと思う。読書は『娯楽』で『おもしろい』のだ。苦しい思いをして学びを得ているわけではなく、楽しみながら学びを得られるのが読書なのだと思う。
「読書する人=立派」みたいな考えをやめよう、読書好き側もやりにくい。さらに言うなら、読書する人に読書を勧められるのは、ゲーム好きにゲームを勧められるのと変わらない。勝手に読書のハードルを上げないで、ゲームやマンガと同じレベル感で読書をしてみよう。
「本を1冊読むだけで、その分野ではそーとー詳しい人になるぞ」by筆者の友人
これは個人的に目から鱗の名言。確かにそうなのだ。
筆者は小中高とサッカー部に所属していて、10年以上ちゃんとサッカーをまじめに取り組んできた。しかし、今いる場所から半径1km以内に、筆者よりサッカーが上手い人なんていくらでもいるだろうし、筆者よりサッカーに詳しい人もいくらでもいるだろう。
筆者はフィンランドの歴史については2冊ほど新書を読んだ、かかった時間も通算で数時間くらいのもんである。しかし、今いる場所から半径1km以内に、筆者よりフィンランドの歴史に詳しい人がどれ位いるだろうか。まぁほとんどいないんじゃないだろうか。少なくとも、知り合いの中でいうと圧倒的にフィンランドの歴史に詳しい人にはなっている。
つまり、なにかの分野の本を数冊読んだら、それだけでその分野でそーとー詳しい人になれるのだ。もはや軽い特技レベルだ。スポーツなんかに比べてかなり簡単に特技を名乗れるだろう。
まとめ:本を読み始めるには
「本を読むのが苦手なんだよねぇ」と言う人は多いが、おそらく苦手なのではなく、やらず嫌いの人が多いように感じる。日本語読めるならそれは、読書が苦手なのではない、興味がないだけだ。
そういう人はまず興味のある分野の本から読み始めたらいいと思う。面白いし、その分野で詳しい人になれるから。
そして何より、大事なのは読書を楽しんでる友人のそばにいること。サッカー好きに囲まれたら、だんだんサッカーに興味が沸いてくるものだ。読書をする友人の囲まれたら、自然に読書に興味が沸いてくる。
大切なのは、伝えたいのは「社会人なら読書くらいしろ」みたいな「読書=大事なこと」という目線よりも、「読書=娯楽」のような読書を楽しむ心だと思う。