【Edge Rank1111】『ウィ・アー・ザ・ワールド』が生まれた夜【中川 マナブ】
ある曲を聴くと鳥肌が立つことがあります。
1985年に発売された『ウィ・アー・ザ・ワールド』もそのひとつです。
1月下旬にNETFLIXで配信がはじまった『ポップスが最高に輝いた夜』は、『ウィ・アー・ザ・ワールド』がレコーディングされた夜を中心に、この曲が生まれた経緯や当時のエピソードを、当事者たちが振り返る回顧録的なドキュメンタリー作品になっています。
ポップスが最高に輝いた夜
『ウィ・アー・ザ・ワールド』といえば、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズなど、1980年代のヒットチャートを賑わせたレジェンドアーティスト、40名以上が集結して録音されたアフリカの飢餓救済のためのチャリティーソングです。
発売時、9歳の僕でもなんだかアメリカのすごいスターが集まって、ものすごい歌ができたということは覚えています(たしか日テレの「24時間テレビ」の中でも紹介されていたはず)。
当時は気にも留めてませんでしたが、こんなスター軍団をどのように集めて、どんな感じでレコーディングされたのか。その経緯を作曲したライオネル・リッチー(健在!)が語っています。
レコーディングは1985年1月28日の夜に開催された「第12回アメリカン・ミュージック・アワード(AMA)」の後に番組に出演していた主要アーティストをそのまま別スタジオに移動させて行われていたそう。
ライオネル・リッチーはその番組のMCもしていたそうで、かなりバタバタだったようです。
さらに曲中で印象的な歌唱をするブルース・スプリングスティーン(代表曲『ボーン・イン・ザUSA』)は、ツアー先から飛行機に乗って、現場に馳せ参じたとか。
ただ、こんなレジェンドアーティストが40名も集まれば、まとまりもつかなかったりするもので、長時間のレコーディングで途中で帰っちゃう人もいたりとトラブルがありながらも、プロデューサーのクインシー・ジョーンズと作詞を担当したマイケル・ジャクソンが午後10時から全員の期限のとなる翌朝までになんとかレコーディングを終わらせるため、奮闘する姿は感動的でした。
天真爛漫なイメージのシンディー・ローパーも、このレコーディングに参加したことが後のキャリアに通じる貴重な体験として語っている姿も印象的。
あれからおよそ40年が経過して、参加したアーティストの多くはこの世を去りましたが、今でもこの曲を聴くと、時代の天才たちが遺したくれた歌声に心が震えて、鳥肌が立ちます。
今月のEdge Rank、東京散歩ぽ(中川マナブ)号もお開きの時間です。ありがとうございました。
気付いてみるとこの「Edge Rank」今号で1111号なんですね!
キリ番ゲットだぜ!
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次号2月27日(火)は「ULTIMOFOTO」のつるたまさんが登場予定です。
どうぞ、お楽しみに!
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