地球儀を自転車にのせて 第二回「火星の暮らし」
木村太郎
第二回「火星の暮らし」
ピカデリーだったか、バルト9だったか忘れたけど『ボヘミアン・ラプソディ』はペドラザの足立と観に行った。
映画は好きだけど、シネコンなんて年に一度も行かないものだから妙に気合いが入ってしまう。デートだねえなんて笑いながら、コーラを買ったり、ポスターの前で写真を撮ったり、浮かれていた。
暗くなって、おしゃべりを止める。正直ちょっとなめてたんだけど、冒頭から泣けてしまって、それじゃあちょっとださいので困った。
ステージに向かうフレディの背中に自分を重ねる。誰もがそうしたように。彼と僕の人生に、似たような場面などきっと一瞬もないのだけれど。
共感は、時間を距離を無視するスピードだ。年齢も性も人種も越える。それを信じる権利は誰にでもある。おこがましいなんて思う必要はひとつもない。
丸坊主の中学生だった僕は、剣道具を背負って、誰もいない畑の畝を歩きながら、遠い昔の外国のロックンロールに思いを馳せた。鼻歌まじりに転がるスイカを蹴飛ばして。
なかでも、デヴィッド・ボウイは特別な人だった。例えようもなく美しい音楽。美しい顔立ち。それでいてどこか隙のある、可愛いらしい人。やさしい人。いちばん好きな曲は、"Life on Mars?"。
両親と喧嘩して家をとびだした少女が、夢想の中を歩いて、気づけば映画館にやってくる。映画はどうにも退屈で、期待外れに白けてしまって、要するに、少し大人になる、そんな短い時間がドラマチックに歌い上げられる。
「見て、保安官が悪人を殴り倒してる。ああ、彼もいつか気づくのかな、自分が一番売れてる映画に出てるってことに。」
そして唐突に思う、「火星にいのちはあるんだろうか」
そんな夢想に応えるように、次のアルバムで彼は「ジギー・スターダスト」火星からやってきたロックスターを演じることになる。
たしかな繋がり。自分はこの人に守られていると思った。遠い世界を見せつけられているんじゃなく、同じ夢を見ている気がした。少なくとも彼はそれを望んでいたと思う。
そして今から四年前、2016年の1月10日にボウイは亡くなった。半年くらい考えつづけて、少し整理がついたところで「火星の暮らし」を作った。手遅れのファンレターを送る気持ちで書いた。きっと読んでくれたと思う。
「きみ」とは、ボウイのことでした〜!なんてつまんない話じゃないから安心してほしい。そんなつまんない話が多いですね、近頃。
これからきっと、人が人と共有できる本当のことはどんどん少なくなっていくと思う。そんな世の中です。
つらいつらい、わかるわかる、俺も俺も、そんなつまんない同情じゃ人間の壁は越えられない。あと一歩だけ踏み込んでみよう。人の心は難しいのだから。
火星人になるしかなかったボウイの気持ちが丸坊主の僕にはちゃんとわかったし、火星の暮らしは喉が焼けそうなことくらい、きっと誰にでもわかることだと信じています。信じていいのかしら。あとは皆さんに、お任せしますね。