【2024/07/28】UNISON SQUARE GARDEN 20周年記念 日本武道館公演〜 ユニゾンと私〜
2010年、中学校から帰宅して家族で食卓を囲み、夕ご飯を食べていた。
我が家は夕ご飯を食べるときはテレビを見ながら食べている。
そんなある日、テレビをつけて見始めたのが『ソウルイーター リピートショー』だった。
OPが流れた。
なんだこのアーティスト、つんざくような声質、耳に残る尖った楽曲、電撃が走ったような感覚。
2010年、UNISON SQUARE GARDENに出会った。
癖あるタイプのアーティストだ。
一発で好きになる未来は見えなかった。
だけど、頭が離してくれなかった。
YouTubeで「UNISON SQUARE GARDEN」を検索した。
複数のMVがあるなかでメジャーデビューシングルを選んだ。
そのタイトルは『センチメンタルピリオド』。
疾走感溢れるメロに加えて印象的な歌詞が特徴。
「ロックだけで暮らしていけるなんて言い訳にしか聞こえません」
こんなことサラッと言えてしまうバンドすごいな。
真っ白な衣装と真っ白な楽器が絵の具に染まってカラフルになっていく、今後のUNISON SQUARE GARDENを表しているMVになっている。
UNISON SQUARE GARDENかっこいいな、もっと知りたいなと思った大事な曲になった。
そしてさらに漁ったときにとある一曲に出会った。
人生で最も大事な楽曲だ。
それが、フルカラープログラムだ。
ドラムのイントロから入り、全員で鳴らされた音楽を聴いた瞬間、世界が広がった感覚がした。
世界が広がったというか、これまで経験したことのない新しい感覚であった。
新しい世界が広がり、世界が始まる音がした。
この瞬間、私の人生が変わった。
そこからいろんな曲を聴いた。
cody beatsを最初に聴いたとき、あのサビのメロはこれまで自分がずっと求めていたメロだ。
夢中でUNISON SQUARE GARDENを調べ、なんだこの音楽は、なんだこのアーティストは、胸の高まりが止まらない。
そしてここから2年はライブに行けなかった。
部活の大会とPopulus Populusのツアーの野音が被ってたり、テスト直前とユニゾンをなぞるの下北沢GARDENが被ってたり、ことごとく気持ちを抑えながら日々を過ごした。
2012年、ついにはじめてUNISON SQUARE GARDENを見れる機会がやってきた。
先行が外れて、一般発売当日にローソンのロッピーの前に立ち懸命にチケットを取った。
2012年1月31日、fun time HOLIDAY 4 @渋谷CLUB QUATTRO
Guest:中田裕二
椿屋四重奏も好きで良く聴いていたので中田裕二も一緒に見れるのは嬉しかったがユニゾンの話に戻す。
3 minutes replayから始まり、over driver→マスターボリュームも聴けた。
未完成デイジーも001も流星行路も演奏していて、今思うとかなりすごいセットリストだ。
ただ、フルカラープログラムは演奏しなかった。
2012年4月21日、Spring Spring Spring @Zepp Tokyo。
セッションから始まり2曲目のフルカラープログラムに突入した。
ようやく聴けた、フルカラープログラム。
ようやく聴けた、「完全無欠のロックンロール」。
その後はUNISON SQUARE GARDENをひたすらに追いかけた。
我が家の小遣い制度は良い成績を残すとその結果に比例して小遣いが変わる制度だ。
バイトはできなかったけど、限られた小遣いで必死にユニゾンのライブを見に行った。
2012年12月31日、LIVE DI:GA JUDGEMENT @渋谷CLUB QUATTRO。
一緒に行く友達もいなかったが好きが高じすぎて高校1年生の年越しを1人でライブハウスで過ごした。
そこではじめて年越し後1発目のセンチメンタルピリオドを聴いた。
今思うとマジで迷惑だったし他の人たちも絶対やっちゃダメで反省しきりだが、ライブ後にずっと憧れだった田淵と話して握手とサインをもらった。
待たせちゃってごめんな、CIDER ROAD楽しみにしててね、気をつけて帰れよ、最も憧れる人からそう言ってもらえるのは心の底から嬉しかった。
ちなみに、その後も数回話したことがあるが、小遣い貯めてユニゾンのライブに行ってることが生きがいですと話したときに、そのお金は誰からもらってるんだい?と親への感謝を忘れるな的な意味合いのあるコメントをもらって心臓がギュッとなった記憶もある。
もうそれ以来本人の意向も踏まえつつ、本人に会いたい話したい近づきたいと思ったことはない。
別にもう話すことはないし、ファンとアーティストの適切な関係を望むようになった。
だいぶ話が脱線してしまった。
2014年6月22日、fun time ACCIDENT @EX THEATER ROPPONGI。
斎藤さんのポリープによる活動休止が明けてから1発目の主催ライブ。
1曲目のクローバー→2曲目のシャンデリア・ワルツのイントロで「ただいま、UNISON SQUARE GARDENです!」でフロアのオーディエンスが泣き崩れた。
かなり異質な空間であったことは間違いない。
そしてアンコールラストのフルカラープログラム。
ラスサビ前のアカペラが聴けた。
ここでもオーディエンスは大号泣。
そして最後にスクリーンが落ちてきて、『Catcher In The Spy』の発売発表。
天国と地獄のショートMVも公開。
涙でボロボロのオーディエンスたちがEX THEATER ROPPONGIのフロアを出る。
忘れられないライブになった。
2015年7月24日、fun time 724 @日本武道館。
11周年の幕開けがキャリア初の日本武道館ワンマン。
緊張感溢れるままに武道館へやってきた。
書くと長いので割愛するが、絶対に演奏しないといけないフルカラープログラム。
アンコールラストでラスサビ前がアカペラのフルカラープログラム。
ライブで泣いたことなんてなかった。
よくSNSで「泣いたわー」ツイートをする人がたくさんいるけど、泣きアピールがどうも好きではなかった。
ただ、このライブのフルカラープログラムのアカペラでこのフレーズを聴いたときは涙が止まらなかった。
崩れ落ちるように泣いてしまった。
ライブが終わった直後も座席で泣いていた。
そうだ 涙キラキラ西の空に光る
モノクロでは説明できない完全無欠のロックンロールを
様々なライブを見てきた。
セットリストが良くて感動するライブばかりだった。
20周年である2024年、何をやるかがとても楽しみだった。
きたる2024年1月1日、日本武道館公演3デイズが発表された。
2024年7月24日、ROCK BAND is fun @日本武道館。
前日の7月23日には受注生産限定版のベストアルバムが届いた。
ついに明日ロックバンドの集大成が見れると変な緊張感とともにソワソワしていた。
当日、ギリギリまで仕事をこなし、日本武道館へ向かった。
昂ぶる気持ちと緊張感に溢れたまま、照明が落ちた。
すべて書くとキリがないので一部楽曲を抜粋する。
01. Catch up, latency
大事な大事な結成日の20周年記念ライブ。
何をやるのかずっと楽しみだった。
記念すべき武道館の1曲目にふさわしい、それ相応の楽曲をやると思っていた。
最初の音が鳴らされてゆったりしたテンポでセッションが始まった。
斎藤さんが武道館で最初のフレーズを歌った。
敬具、結んでくれ 僕たちが正しくなくても
記念すべき1曲目はCatch up, latency。
田淵がどこかのインタビューでこれまでの人生を踏まえたとても言葉を書けたと言っていた。
相当の思い入れがあってこの曲が相応しいと選んだのだろう。
サビの歌詞に武道館に相応しい一節がある。
だから記念日と称してしまえ 皮肉は却下だぜ、クワイエット
この一節が出てきて、これは武道館でやらねばいけない一曲だと痛感した。
UNISON SQUARE GARDENにとっては724は記念日であること間違いない。
サビの「ジグザグすぎてレイテンシーが鳴ってる それが意外なハーモニーになって あまりにも不明瞭で不確実でもたまんない」もまさにまったく音楽の方向性でもなくめちゃ仲の良い友達でもないけどここまで一緒に歩んできた才能のあったUNISON SQUARE GARDENの3人を表しているのだろう。
武道館スリーデイズを終えて一番聴いてるのはこの曲かもしれない。
10. もう君に会えない
武道館でやるとは思ってなかった。
明確に本人が明かしているわけではないが、亡くなった赤い公園の津野米咲とヒトリエのwowakaのことを歌った楽曲。
ここまでのバンドの歴史に大切な仲の良いバンドマンを失ったことはあまりに大きく、亡くなった2人へちゃんと20周年の武道館のステージに立てているよを報告したかったのかもしれない。
バンドを続けるっていうのは大変なのだ、3人で20年やってこれたのは奇跡なんだ、いつ何が起きてもおかしくないバンドの歩みをこの楽曲を通しても伝えたかったのかもしれない。
16. 101回目のプロローグ
この日のために作られたと言っても過言ではない楽曲。724の大事な場面できっと演奏されると思っていたら、『いつかの少年』のあとで演奏。
君だけでいい 君だけでいいや こんな日を分かち合えるのは
このサビの一節が後々の田淵のMCに効いてくる。
この曲の歌詞は今日に向けて書かれている(だろう)ことが多すぎていちいち書いていると別の記事になってしまうが、絶対にここで書いておかないといけないことがある。
本当の気持ちを話すのは 今日ぐらいしかありえないだろう
通常この一節は「本当の気持ちを話すのは 4年ぐらいは後にするよ」だ。
2020年にリリースされたPatrick Vegeeの最後の楽曲が『101回目のプロローグ』。
2020年の4年後は2024年だ。
すでにこの2020年から今日に向けてこうやって歌詞に伏線があった。
ここで今日本当の気持ちを話すと意思表示されたことにより、見ていたオーディエンスは息を飲む。
23. シュガーソングとビターステップ
ユニゾンで一番有名な曲。
世間的にこの曲が先行してしまい、普段おおっぴらに赤の他人へユニゾンが好きと言うことはないが、もし答えざるを得ない状況で言うと「シュガーソングとビターステップの人じゃん」と言われる。
ライブでは毎回演奏するし、そうなるのも仕方ない。
ただ、ユニゾンのすごいところはタイアップ曲も自分たちの譲れないものややり方など自分たちを表現しきるところ。
2015年のリリースの際、はじめてこの曲を聴いて心を撃たれた一節がある。
Someday 狂騒が息を潜めても Someday 正論に意味がなくなっても Feeling song & step 鳴らし続けることだけが 僕たちを僕たちたらしめる証明になる、QED!
QEDとは"証明完了"という意味である。ライブバンドであり、MCもせず、ただひたすらステージで音楽を鳴らし続けるユニゾンの生き方が詰まった一節だ。
ただひたすらファンからするとグッと来てしまう。
2015年の武道館でも中盤でサラッと演奏したが、今演奏するのとでは重みが違う。
この一節を武道館で歌うことに意味がある。
24. 春が来てぼくら
個人的にはこの3日間は『春が来てぼくら』なしに語れないと思っている。
この3日間の感動が詰め込まれた一瞬の時間は『春が来てぼくら』にあると言える。
23曲目の『シュガーソングとビターステップ』が終わった後にそそくさと田淵が「今ので終わりで〜す笑」と言い始めた。
そこから忘れたくても忘れられない20周年の歴史を詰め込んだMCが始まる。
ここで『101回目のプロローグ』の歌詞に込められた本当の気持ちが綴られる。
MC直後に『春が来てぼくら』のサビが始まった。
間違ってないはずの未来へ向かう
その片道切符が追い風に揺れた今日は花マルだね
涙が止まらなかった。
ユニゾンに出会ってから14年追いかけてきた。
『春が来てぼくら』は田淵が世界が変わると思って世に出したけど世界は変わらなかった。
だけど自分だけではなく、この会場にいる人や配信を見ている人は自分の人生をUNISON SQUARE GARDENに変えられた人だ。
そんな人たちが集まってこの日をお祝いしている。
田淵の「ロックバンドを諦めなくて良かった」という言葉を聞けて、こんな結成日は当然花マルで、ずっと好きでいて良かった。
『さわれない歌』では「もしも僕が君の前まで来て 何かできることがあるとしても この手は差し出さない きっかけは与えたいけれど」だったり、田淵が「飽きたらやめる」という発言を多々していて、ずっと見ているファンからするとどこかでやめてしまうんじゃないかという不安があった。
これまで一貫して「俺たちはやりたいことをやるだけ」という特にファンやオーディエンスを気にかけるようなコメントはなかった。
そんな彼らのスタンスは当然わかっているのでファンに対しての想いだったりそんなものを期待したことは一切なかったし求めなかった。
ライブするのが楽しくて、新しい曲作るのが楽しくて、そんなUNISON SQUARE GARDENを"見続ける"ことができればこれ以上ない幸せだった。
ただ、この20周年の結成日の武道館という彼らにとってこの上ない大事な日にこんな言葉を聞くとは思っていなかった。
ずっと好きでいて良かった、ユニゾンが好きでいて間違ってなかった、人生を支えてくれてありがとう、好きを肯定してくれてありがとう、続けてくれてこの景色を見せてくれてありがとう。
いろんな感情が一気に頭の中に走馬灯のように現れて涙が止まらなかった。
自分はユニゾンがいなかったらこうなってはいないし、ユニゾンの音楽で世界は変わらなかったけど、自分の世界を変えてくれたのは確実にUNISON SQUARE GARDENだ。
「君が好きなロックバンドは君がずっと好きでいてくれたからここまで来れた。」で好きでいてよかったんだ、ユニゾンが続けてくれる理由の1つになれたんだと思えて、それだけで十分だ。
26. センチメンタルピリオド
冒頭でも記載した『センチメンタルピリオド』。
記念公演はこの曲を聴けずに帰れるわけない。
最初の武道館でも2019年の舞洲でもラストで披露した。
本人たちもメジャーデビューシングルが結成20周年のときに再録で表題曲としてあらゆるところで流れるなんて思っていないだろう。
「高性能のヘッドフォンなんで世界の音も聞こえません」
たくさんの音楽を聴いてきた。当然ロック以外の音楽も聴いてきた。
なんなら昔と比べてロックバンドを聴かなくなってしまった。
それでもUNISON SQUARE GARDENは紛れもなく一番大切なアーティストであり、音楽であることは間違いない。
ある意味、世界の音も聞こえなかったのかもしれない。
異質な空間での緊張感溢れるライブが終わった。
2024年7月25日、オーケストラを観にいこう@日本武道館。
武道館公演2日目。
ここも書いているとキリがないので総括だけ。
普段見れないこの日限りの超天変地異のようなライブを見た。
初っ端のアンドロメダ→フルカラープログラムは予想通り。
ストリングスとホーンが入ったフルカラープログラムの音圧は凄まじかった。
724が"涙"だったら、725は"笑顔"だろう。
それほど笑顔に溢れた空間だったと思う。
ここでは話しきれない内容なのでぜひ映像作品で見てほしいが、特別ゲストでBIGMAMAのビスたんとハンブレッダーズのukicasterが出演した。
ビスたんはBIGMAMAに途中で加入して、貴雄を尊敬し、BIGMAMA加入前からYouTubeでユニゾンのドラムを叩いている。
ukiくんはユニゾンのガチファンであり、桜のあとのMVに出演していた、ファンなら知らない人はいない人物だ。
そんなファンの2人がユニゾンの20周年記念ライブに出演し、ユニゾンと同じステージで演奏した。
ずっと憧れていたロックバンドと同じステージで日本武道館に立っていることは奇跡であり、ロックバンドのロマンである。
こんなことがあっていいんだといち観客としてステージを見て感動した。
音楽って夢があっていいよね。
心からそう思えた。
2024年7月26日、"fun time 歌小屋"@日本武道館
ゲスト:クリープハイプ
この日については少しだけ曲について触れようと思う。
17年前?から下北沢で一緒に演奏していた盟友クリープハイプ。
頻繁に対バンしているわけではないけど、お互いの活動を気にしながら、節目節目で対バンをする関係性。
時には尾崎世界観と田淵の仲が悪くなるときもあった。
そんな時代を経て、下北沢の小さなステージに立っていた2組が日本武道館でツーマンする。
個人的にもクリープハイプはCDもちゃんと買っていたぐらい当時好きだったバンドだ。
今でも忘れないのは『おやすみ泣き声、さよなら歌姫』のシングルを買った時だ。
池袋のタワーレコードでとある他バンドとのシングルでどちらを買うか迷っていた。
当時高校生でお金はなかったし、どっちも買うという選択肢はなかった。
ただ、初回盤の特典に入っていた2012年の赤坂BLITZのライブ映像がとてつもなくかっこよかった。
当然シングルの曲も好きだったが、それが決め手でクリープハイプのCDを買った。
その後武道館やリキッドルーム、新木場STUDIO COASTなどいくつかライブを見に行った。
最近はあまり聴かなくなってしまったが、今日は久しぶりに見れるのが嬉しかった。
ユニゾンのトリビュートの『さよなら第九惑星』も聴けたし、すごく好きな『ボーイズENDガールズ』も聴けた。
01. アナザーワールド
絶対この曲から始まると思っていた。
この日はこの曲から始まらないといけなかった。
インディーズ1stミニアルバム「新世界ノート」の1曲目。
ライブで聴く『アナザーワールド』は格別である。
ユニゾンはこれまでアルバムのラストに"世界"が入る歌詞が多かった。
ユニゾンの世界がずっと様々なアルバムを通じて表現されていた。
そんな世界の始まりは、「新世界ノート」の『アナザーワールド』である。
なんて新世界だ 思ったよりきれいなもんだ ハロー
07. to the CIDER ROAD
個人的に思い入れのあるアルバムが4thアルバムの「CIDER ROAD」である。
当時ワクワクしながらCDの封を破った。
CDコンポにCDを挿入し、コンポの前で目を閉じて聴いた。
徐々に盛り上がっていくイントロ、爽快感のあるメロ、綺麗なフレーズ。
『to the CIDER ROAD』は1曲目ながらも壮大でユニゾンらしいキャッチーでポップな楽曲だ。
きっと武道館で演奏したらすごくすごく綺麗なんだろうなと思ってたら7曲目で聴くことができた。
これからも突き進んでいくユニゾンの決意表明とも捉えられるこの曲が聴けて本当に良かった。
その目を離さないで
さあ 次はどこへ、どこへ行こう?
12. フルカラープログラム
この日だけステージ後方の南スタンド席が開放されていなかった。
東、南、西の3方向からステージが見れた。
ドラムソロが終わってから10曲目は『徹頭徹尾夜な夜なドライブ』で「東の空から夜な夜なドライブ」、11曲目は『シュガーソングとビターステップ』で「南南西を目指してパーティを続けよう」、12曲目は『フルカラープログラム』で「涙キラキラ 西の空に光る」。
これで3方向コンプリートした。
言葉遊びにニヤニヤしつつも本編ラストを迎えた。
武道館のラストはもうこの曲しかないでしょう。
メンバーにとってもファンにとっても自分にとっても大切な曲で、UNISON SQUARE GARDENを表すような1曲。
ラストにドラムのイントロを聴いて、あぁユニゾンの武道館が終わってしまうんだ、と急に実感した。
そして絶対に欠かせないラスサビ前のアカペラ。
涙キラキラ西の空に光る
モノクロでは説明できない完全無欠のロックンロールを
客席も一気に明かりがついて、完全無欠のロックンロールで本編が幕を閉じた。
素晴らしかった。
UNISON SQUARE GARDENで武道館を終えなくちゃ。
そのためにはラストにフルカラープログラムをやらなくちゃ。
みんなが同じ気持ちだったと思う。
そんな時間だった。
9年前の武道館のフルカラープログラムでは号泣だったけど、今回は笑顔で終われた。
大好きなUNISON SQUARE GARDEN、20周年おめでとう、ただただ純粋にそんな気持ちだった。
En. シャンデリア・ワルツ
本編終了後、比較的すぐにメンバーがステージに出てきた。
全員がドラム付近に集まって、何をやるか作戦会議をしている。
1分ぐらいだろう、作戦会議が終わって、メンバーが持ち場につくと724で聴いたフレーズを鳴らした。
『シャンデリア・ワルツ』の武道館バージョンのイントロである。
田淵はこの曲をシングルにしたかったけど、スタッフの反応が微妙でシングルにできなかった。
それからこの曲を認めてもらうために何度もライブで演奏し続けた。
音源化される前からライブで聴いており、とても好きな曲だった。
そんな曲が「CIDER ROAD」のラストを飾る曲になって当時はびっくりしていたが、はじめて「CIDER ROAD」のアルバムを聴いたときにこの曲以外このアルバムのラストを飾れないと思い涙した。
自分が最も好きなアルバムが「CIDER ROAD」であり、そんなアルバムのラストを飾る曲に思い入れがないわけない。
CIDER ROADツアーのファイナルであるNHKホールのライブである1フレーズにすべてを持っていかれた。
譲れない物もある
ここの歌い方を変えて観客は涙する。
UNISON SQUARE GARDENは譲れない物が常にあり、スタイルを変えずにひたすらライブをし続けた。
MCはしなかった。
とにかく曲をやり続けて、そのパフォーマンスでフロアを圧倒した。
変わらずに突き進んできたUNISON SQUARE GARDENが武道館の正真正銘のラストで「譲れない物もある」と言われた日にはファンはどう思うだろうか。
ユニゾンにとって『シャンデリア・ワルツ』がとても大切な曲ということが再実感できたし、この曲でアンコールが締め括られて良かった。
ハローグッバイ ハローグッバイ
行き着いた先に何も無くても
息をする僕らは構わない
世界が始まる音がする
「新世界ノート」の1曲目の『アナザーワールド』から始まり、『シャンデリア・ワルツ』で世界が始まる音がして終えた武道館。
セットリストにこれまでの歴史のストーリーとUNISON SQUARE GARDENの意思表示があり、こんなにも綺麗で意味のある軌跡をこの1日で目撃できた。
自分は幸せものだ。
UNISON SQUARE GARDENに人生を変えられた。
UNISON SQUARE GARDENに出会って世界が変わった。
UNISON SQUARE GARDENのおかげでたくさんの良い出会いがあった。
良いことばかりであったが、好きが高じすぎて、近くの友人たちに迷惑をかけたり、配慮が足らない対応もたくさんしてしまった。
後悔もありながら、恥ずかしいこともありながら、ユニゾンと共に歩んできた人生であることには間違いない。
高校生の時は田淵智也に憧れすぎて、見た目も寄せてたし、UNISON SQUARE GARDENのようなバンドをやってロックバンドで飯食いたいと思っていた時期もある。
でも、歳を重ねるごとに本人たちに会いたい、繋がりたいと思わなくなってきたように、UNISON SQUARE GARDENのようなバンドをやりたいとか、田淵智也になりたいとも思わなくなった。
UNISON SQUARE GARDENに代わるものはないし、田淵智也に代わるものもいない。
同じような存在になっても意味はない。
なぜなら当の本人がいるから。
だからこそ自分は自分の人生を生きていこうといつからか決心していた。
自身のバンドに関してもユニゾンのようなバンドはやってないし、仕事も音楽を演奏して飯食っていくようなものではない。
自分ができること、向いてることをひたすらにやる。
それだけで良いと思いながら歳を重ねて生きている。
就活していた当時ぼんやりエンタメやりたいと思っていたのもユニゾンをはじめ、音楽や映像、興行などエンタメが好きだったからだ。
転職を決断したときも「譲れない物があった」。
そのまま同じ環境にいたら、仲の良い友人や後輩、尊敬できる上司や先輩がいる。
生活水準も高く、生活には全く困らない。
生活に満足できた良い人生が送れた気がする。
だけど、「譲れない物があった」。
どうしてもエンタメの仕事が諦められなかった。
いろんなリスクがあり、人間関係も一変するが、すべてを覚悟して現職に就いている。
きっとUNISON SQUARE GARDENに出会っていなかったら、転職もしていないし、エンタメの仕事に就いていない。
それぐらい、自分の人生はUNISON SQUARE GARDENが切っても切り離せない関係なのである。
まだまだ自分にはやりたいことや野望がある。
田淵が、UNISON SQUARE GARDENがロックバンドを諦めなかったように、自分も諦めない。
きっと諦めなかったらからこそ見れる景色があるはずだ。
「モノクロでは説明できない完全無欠のロックンロール」に魅力されたいつかの少年は、フルカラーのような、虹色になるような人生になれるよう突き進んでいく。
UNISON SQUARE GARDEN、ありがとう。
UNISON SQUARE GARDEN、20周年おめでとう。
UNISON SQUARE GARDEN、これからもよろしくね。
敬具