![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157449569/rectangle_large_type_2_6d24fd09afcc23512d072f4d843fae9a.jpeg?width=1200)
いつの間にか良いハサミの話になってしまう、というお話し
ハロー、こちら東京メタルシティ。
ようやく秋っぽい空気になった10月の夜です。
そちらはどんな天気だろう。
温かい飲み物でも飲みながら少しお話をしましょう。
先日に書いた記事で、どうしても楽器をやっているとハマりがちな落とし穴の話を書きました。
パートや要素ばかりを聞くようになって全体的に聞くことが出来なくなったり、好き嫌いに必要以上に理由を求めるようになったり、という話でしたが、
今日は演奏する上でもハマりがちな話を少し書こうと思います。もちろん、自分自身に向けても書いてますが、ノイズに囚われない取り組みに繋がれば良いなと思います。
楽器を弾いて音楽を続けていこうとすると、上達するためには、というような話はある程度避けられません。場合によっては上達しなければならない、という強迫的なイメージもついてきます。
そこら辺はしなければならないもの、ではありませんが、求めるものによっては上手く付き合う必要があります。
好きなものがあって、一生懸命やってると自然と上達もするものではありますが、その道のりで『上手くなきゃいけない』『上手くならなきゃいけない』と思って苦しくなったり、人にもそれを求めてしまったり、一番辛いのがそれを価値だと思ってしまうことだと思います。
先日の記事にも書いたことですが、価値を求めすぎると辛くなるのはなんでも一緒です。価値は普遍的なものでもありませんし、そもそものそもそもで言えば自分が勝手に好きでやってることに他の人が価値を感じることを求めるのは不毛と思います。もちろん、何かしら価値を感じてもらえるのは大変ありがたいことですが、それは決して『上手いから』という訳ではないはずです。
紙細工をするとして、切り絵でも良いけど、または布地を切るとしても、刃の噛み合わせが悪いハサミを使うと思ったようには切れませんね。
繊維が毛羽だったり、直線出なかったりして。
そこで慣れてくる部分もありますが、良いハサミが欲しいな〜となる訳です。良いハサミがあればシューっと思った通りに切れるし良いだろうなって。
そこで良いハサミを手に入れるために努力をするわけですが、良いハサミを手に入れる過程や良いハサミを手に入れた結果、何のために欲しかったのか忘れちゃって、思い通りにシューっと切れる良いハサミを持ってる・良いハサミを持てた自分に執着しがち、ですよね。
そのハサミを使って何がしたかったんだよ、っていうのが実際に他の人にとっては関心や興味があるわけです。
ハサミは道具であって、それを使って何をやるか、作るかですよね。
でもそれで作ってることとかやってることって、好きかどうかくらいの評価しかないので、良いハサミに比べると価値や評価か見えづらいですね。
その点、良いハサミ(技術とか道具とか)は何が出来るかとかもそうだし、人と比べやすいからそっちで勝負する方に引っ張られがちなんですよね。
優劣(これがそもそも錯覚ですが)も付けやすいので競争があると思い込めればそれに居心地の良さも感じやすい訳です。
でも、例えば自分の好きな音楽のことを考えた時に『上手いから好き』って思ってる訳じゃないんですよね。あくまでも要素ではあるけど、もっとそのクリエイトされたものやパフォーマンスに惹かれたわけで、良いハサミを持ってることに惹かれた訳じゃないと思います。
しかしながら、ある種の『俺は良いハサミを持ってるぜレース』をしている方が拠り所になりやすいのが厄介なんだけど、長い目でみるとただひたすら苦しい道だし、多くのアマチュア、ビギナーがそれに巻き込まれて苦しんでいると思うとやはり意識的に距離をとったほうが良い価値観・尺度なんじゃないかなと思います。
良いハサミをもって自由自在に、というのが目的であって、良いハサミを待つことに縛られてはもったいないよ、というお話しでした。
みんなが少しでも楽しく自分の人生に取り組めますよう。
急に寒くなったから風邪ひかないようにね。
東京メタルシティより愛を込めて