【セントールの悩み】村山慶先生インタビュー
「登場人物全員人外!」という驚きの設定を持つ『セントールの悩み』。そんな獣人盛りだくさんな作品のストーリーは、剣と魔法渦巻くファンタジー……ではなく、ケンタウロスの女子高生(!)「君原姫乃」を中心とした、人外であること以外は現代の自分達と変わらない、彼女達のほんわかとした日常が描かれているのです。今回は『セントールの悩み』の作者村山慶先生に、そのアイディアの発想や緻密な世界観の作り方について深くふかく切り込んでいきます!
パソコン時代に同人時代。創作活動の原点を探る。
絵や漫画を描き始めたのはいつ頃ですか?
村山:大学までは、人並みに落書きをするくらいでした。パソコンでゲームを作るときに使うスプライトのためにドット絵を描いたのが一番初めかもしれません。今みたいに便利なツールとかないので、まずは方眼紙でドットを埋め、それを16進数に計算し直さないといけないんです。それをパソコン上でプログラムとして組むんです。漫画自体は、大学時代に出していた学生新聞で描いた4コマが、おそらく初めて人前に出したものです。
ご自身のサイトを拝見すると、2000年代以前から精力的に活動なさっているようなのですが、サイトを立ち上げたきっかけなどを教えてください。
村山:96年くらいから始めていました。というのも、その頃ようやくインターネットが登場したんです。プロバイダも創成期で、それまではニフティサーブとか、パソコン通信とかがまだまだ盛んだった頃ですからね。その頃に大学のパソコンにもインターネットが導入されていったので、大学のパソコンから作品をアップしていました。
サイトでは、主に小説を公開されていましたが、当時は漫画よりも小説がお好きだったのでしょうか?
村山:小説の方に力を入れていたというのもあるんですけど、当時は漫画のデータを置けるほど回線の速度が早くないし、置けるデータ量も限られていた、というのが大きいです。最初の頃は、フリーのスペースだと2MBくらいしか置けなかったんです。なので、当時は自分以外のサイトもほとんどが文章を上げるものでした。その頃はエヴァンゲリオンが流行っていて、パロディ系のSSを描くサイトが沢山ありましたね。それが、同人の方に足を向け始めたきっかけにもなります。
同人活動を始められたのはいつ頃でしょうか?
村山:大学院を卒業してからですね。一番最初に参加したのはコミティアでした。個人誌では4コマを描いて、合同サークル用には小説を書いて出していました。
小説の方でプロデビューするということは頭にあったのでしょうか。
村山:あるにはあったんですけど、これはちょっと厳しいかな、とも思っていました。小説は、商業でやるにはジャンル化されすぎていると思うんです。純文学なら純文学、ミステリーならミステリーとくっきり分かれていて、中間が許されないというのを感じていました。漫画だとそういう中間的なところに位置する作品もあって。絵だからぱっと見で直感的に分かるというのは強いですね。僕の推測でしかないんですけど、小説だとぱっと見ではどんな作品か分からないから、買わせようと思ったら、あらかじめジャンルを区切っておかないとダメなんじゃないかと。
同人では、どのようなジャンルの作品を描いていましたか?
村山:同人をやっていて、「どうやったらウケるのだろう?」という方向性をずっと模索しながら、推理モノから恋愛モノまで、とにかく色んなジャンルを描いていました。同じようなテーマを掘り続けている人と、色んなテーマに手を出す人という2パターンがあると思うんですけど、僕は後者ですね。
同人活動であっても、買う人の反応というのはダイレクトに返ってくるものなのでしょうか?
村山:そうですね、分かりやすく売り上げとかに反映します。あと、批評家受けするのと、売れるかどうかというのは別だというのも分かりますね。テーマが難しかったりすると、評論好きの人にはウケるんです。ただ、売れ行きは極端に悪い。可愛い女の子が表紙でないと、売り上げに如実に反映します。女の子が可愛くて、テーマが深いのが理想なんですけど、中々そこにはいかないですね……。
それでは、プロの漫画家を目指すようになったのはいつ頃なのでしょうか?
村山:直接的な話をすると、政権交代のからみで、早期退職をしました。なので、他の食い扶持を探さないといけないということで、本格的にデビューを目指すようになりました。コミティアの出張編集部に持ち込みに行っていて、その中で『月刊COMICリュウ』の編集部で改めて話をしようということになって。普通持ち込んでも、そのようにはならないんです。ここを直してもう1回来てね、となるのがほとんどで。リュウの場合だとそうはならなかった。内容には触れずに、もう1度改めて会いたいということになり、もう1度会ったところで龍神賞向けに描かないか、という話になりました。
そこで出したアイディアが、『セントールの悩み』になるのでしょうか?
村山:打ち合わせをするなかで、ネームを何本か描きました。中には『セントール』に似たようなものも2~3本描きました。それらがボツになった上で、最終的にこれでいいだろうとなったのが『セントール』です。
発想元は元王朝!?『セントール』の世界観はいかにしてできたか
『セントールの悩み』に似た企画というのはどのようなものだったのでしょうか?
村山:『セントールの悩み』の元々の発想は、騎馬民族の話でした。最初は、モンゴル帝国、それも元王朝末期のいわゆる元末明初の話だったんです。それを、明側の視点で書こうと。ケンタウロス自体が、昔のギリシャ人が騎馬民族を見て、神話上の怪物を考え出したというのが始まりだという説があるので、騎馬民族とケンタウロスというのは結びつきやすいのではないかと思ったんです。
そこから、現代を舞台に『セントール』という作品にしたのにはどのような経緯があったのでしょうか?
村山:そういった作品をコミティアに出そうと思っていたんですけど、そんな壮大な話を描く時間があまりにもなくて(笑) ただ獣人がいて、それをリアルな世界観でやるという話なら現代劇でも出来るなと気づいたんです。出版社に持ち込むことも当然考えていたんですけど、自分では運よくデビューできたとしても2~3年はかかるだろうと予想していて、直ぐにデビュー出来るとはまったく思っていませんでした。
というのも最初は、「獣人のいる世界を、できるだけリアルな世界観でやる」という構造そのものを売りこもうと思っていたんです。
この世界観なら、歴史モノでも現代劇でも漫画にすることができますよ、と。
村山:結局、コミティアで描いた現代劇の方の作品が、『月刊COMICリュウ』の目に留まったわけです。今になって考えてみると、その方が断然良かったんです。それはなぜかというと、獣人しかいないという世界観自体は現実ではない、要は「嘘」な訳じゃないですか。歴史モノで描くとなると、自分が今生きている時代じゃないということは、どうしても「嘘」になってしまうところがありますよね? その「嘘」が2つ重なってしまうと、視点がはっきりしなくなって、何を基準にしたらいいのか、どう考えたらいいのか、どう受け止めたらいいのか分からなくなってしまうと思うんです。
その「視点」について、詳しく話を聞かせてください!
村山:見る基準をどこに持っていくかという話なんです。歴史モノで昔よくあったのが現代人を過去にタイムスリップさせるなどして現代人の視点を過去に持っていくか、もしくは大河ドラマでありがちなように、主人公に現代人とそっくりな考え方をさせるという方法があります。現代とは異なる価値観・考え方をする人々を描き、ドラマをつくるためには、どのような視点で見ればいいのかという、現代人にも分かる基準を設定しなくてはならないんです。
今の漫画でいうと、『ヴィンランド・サガ』のトルフィンはすごく現代人的な考え方をするんです。その当時の人物は、現代の我々から見れば考え方がまったく理解できない、はっきりいえばモンスターでしかない訳です。でもトルフィンは彼らとは一線を画した考え方をするじゃないですか。あくまでも彼の目から見ることによって、作品に感情移入できるんです。逆にそれが、当時のヴァイキングの実態を描写することを可能にしています。歴史モノというのは、現代人からみて異質な世界をどのように理解・感情移入させるかがポイントなのです。
『セントール』の作品作りに、歴史モノの考え方が流れているとは思ってもみませんでした。
一方で受賞コメントにて、『フラックス』や『竜の卵』(※)といった、SF作品に影響を受けたという旨の発言をされています。この辺りのことも詳しくお聞かせください!
※どちらも、超高重力下の知的生命体(!)の生態を描くという、いわゆる「ハードSF」な作品。
村山:SF好きから見たら全然読み足りないので、おこがましいとは思うのですが……。
ハードSFというと、SF的な設定ばかりが強調されがちだと思うんですけど、『フラックス』にしろ『竜の卵』にしろ、本当に面白いのは物理的な条件が変わったときに、社会的な部分がどう変わっているのかを考察しているところです。自分で「社会SF」と勝手に呼んでいるんですけど(笑) 前提条件を変えることで、道徳や感覚までもがどう変わっていくのかを徹底的に突き詰めて考えられているのが好きです。そういった作品が『セントール』のベースになっているところがあります。
『セントール』も、いわゆる「人外」と呼ばれるようなキャラクターが現実にいるとしたら?という思考実験を突き詰めていくところが、共通点なのかなと。
村山:人外のキャラクターを出すというのは、誰でも思いつく発想だと思います。ただし、ビジュアル的に可愛いというところで止まってしまう作品が多いと思うのですが、そのパッとした思いつきを、深く突き詰めていったらどうなるだろう?というのは、漫画ではまだあまり誰もやっていないんじゃないかなと。
人外モノでありがちな論争として、ケモ耳が2つあるだけなのか、人の耳も合わせて4つ耳なのかというものがありますが、先生の作品では、1話の時点でいきなり坊主頭の猫見君が出てくるなど(笑)、作中ではっきりと2つ耳だということが分かるようになっています。
村山:そこは明白に、最初から2つと決めていましたね。4つ耳には、進化の過程上ならないと思います。耳というのは顎の関節が変化してできたものなので、生物学上一対しかないはずなんです。
科学的にいってありえない!(笑) その点でいうと、ケモ耳キャラの眼鏡のツル、が彼ら専用の特殊な形になっているのが素晴らしいです。
村山:それも当然、考えていくとそうなるしかないと思って描きました。後は、バンドで留めるという方法も考えたんですけど……。
何か問題があるのでしょうか?
村山:眼鏡が発明された当時には、まだゴムがないので。
な、なるほど~!
村山:作中に出てくる小道具とかも、どのような歴史があるのかは一応考えています。発生した時点でどうなっているのかは、その時々の社会状況や風俗、技術にすごく結びついているので。
そのように突き詰められた思考が、『セントールの悩み』の世界観を形作っているんですね!
「世界」をどのように見せるのか?
世界観の設定は、資料としてまとめていたりするのでしょうか?
村山:いえ、全て頭の中に入れています。
あれだけ構築された世界観を描くには、詳細な設定資料があるのかと思っていました。
村山:プロットも書きません。そういったものをまとめていると、どうしても話が複雑になりすぎるきらいがあります。自分では全て分かっていても、端から見ると何の話か分からないということになりがちなので、書かないですね。自分の頭の中で覚えておけないような話は、そもそも複雑すぎて読めない。
その構築された世界観が裏にありながら、本編ではほとんど説明されることなく、特に投稿作品や1話ではまったく説明のないまま話に入っていくじゃないですか。それがすごいなと思いました。
村山:ぐだぐだと説明が入るのは良くないじゃないですか。いきなり世界観の説明から入らなければいけなくなるときというのは、やはり視点がはっきりとしてしないから、言葉で世界観を説明しないといけなくなってしまっているんだと思います。
世界観を、物語に即して理解してもらうというのはとても難しそうです。
村山:背景の絵の中でも、少しずつ説明しようとはしています。
『セントール』の、作中の世界でのベースになる考え方として「なんでもかんでも平等にならないとダメだ」という思想があります。たとえば電車の中では全員が立っているんですけど、あれは電車の中に座席が一切設置されていないという設定になっています。
それは何故なのでしょうか?
村山:「座れない人が出てきてしまうなら、いっそのこと全員立て!」っていう発想なんです。
なるほど!
村山:それが世界観の説明になっているんです。平等にメリットを配分するのが最善だけど、誰かにとってしかメリットにならず、その結果不平等になるならば、そのメリットを削ってしまえ!というのが彼らにとっての「平等」なんですよ。
電車の中のことは全く気づきませんでした……。読みが足りない……。
村山:でもそういった仕掛けは、すぐに読めなくてもいいんです。そういう掘り下げて読めるところが沢山あって、後々読んでも面白いようになればな、と。逆に2~3ページ使って大仰に説明してしまい、「そういった部分を理解しないとこの作品は読み進められないのか」と思われてしまうのは嫌なんです。お話自体は分かりやすいけれど、深く読もうと思えば読めるというのを目指しています。
そういう点で、『エヴァンゲリオン』は、参考になるところが多いです。あの作品は、話のベースとしては「使徒がやってきて、主人公がやっつける」というだけなんです。要はウルトラマン等と同じ作りなわけです。その枝葉として様々な設定が組み込んであって、それで面白がらせているんですけど、ストーリーの基本はウルトラマンなので、例えばいきなり8話から観ても、誰でもある程度は楽しんで観ることができるんです。
だから皆、安心して謎解きに精を出すことができたんだと思います。あれが、謎解きをしないとストーリーが全く分からない作品だったら熱中しづらいです。漫画の連載とか、1クールあるアニメとかだと、ストーリーとしては単純な繰り返しがベースにあるのが望ましいと思いますね。
お話作りのこだわりについて、もう少しお聞きしていきたいです。
村山:昨今は女の子を可愛く描けるのが前提条件という風潮がありますが、可愛い女の子の絵柄は流行り廃りが激しいので(苦笑)、そうすると、かえってお話作りが重要になってくるのかな、と。ストーリーテリングは、時代によって左右されづらいものじゃないですか。例えば水戸黄門とかは年を経てもずっと観られていますよね。
万が一漫画という娯楽ジャンルが廃れたとしても、エンターテインメントは必要なはずなので、お話を作る能力があればとりあえずは食べて行けるという計算はあります。ただ話の作り方でいうと、『セントール』はゴールがはっきり見えないという点で、あまり良い話の作り方ではないともいえますね。
お話の着地点が見えづらい訳ですね。
村山:そこら辺は、元々読み切りだったものを連載にするという、少々見切り発車なところがあったので、ちょっと計算しきれなかったところですね。
同じような日常系でいうと『けいおん!』は、ダラダラした日常が続くだけじゃないかと言われることもありますが、あの作品にはちゃんとゴールがあります。アニメの1クール目でいうと、人生に何の目的・目標も無かった唯が、目的を持つようになるという話に、全体では成っています。
日常系の作品でも、作品全体を繋げる「軸」が必要だということでしょうか。
村山:「良い娯楽作品は2行で表せる」という考えがあるそうです。1行目に状況の説明、2行目で主人公が何をするのかを説明できるのが良い作品だと。それこそ、先ほど挙がった『エヴァ』は2行ですよね。使徒が来るという状況が1行目で、2行目で主人公・シンジが敵をやっつける、という。3行かかってしまうのは、別の要素が入ってしまって軸がブレてしまっている状態です。
逆に、1行で説明できてしまうのは、アート系の作品に多いそうです。ドキュメンタリーは分かりやすいですね。「現状は○○である」という1行の説明に全篇が費やされるわけで。
『セントール』という作品も、「獣人しかいない現代世界にケンタウロスの少女がいる」という1行しかないので、娯楽作品としては実は欠点を抱えているんです。そこは、女の子の可愛さや世界観の構築、そこから出てくる問題などで上手く見せていきたいと思っています。
見せたい部分をはっきりと意識しているのですね。
村山:その点でいうと、タイトルも大事です。タイトルが、その作品で一番描きたいことを表しているはずなので、話を考えているときにタイトルも考えておいた方がいいかもしれません。作品を描く上で、どこに焦点を合わせたらいいのかがはっきりします。タイトルが中々決まらないときは、焦点がぼやけていることが実は多いです。
「獣人」は、骨格を理解していないと描けない!?
絵に関しても掘り下げてお聞きしたいです。まず先生の絵の魅力は、なんといってもそのリアルな獣人描写だと思います。たとえばケンタウロスを描くための作画資料等はあるのでしょうか?
村山:そうですね、大体動物のフィギュアとかを横に置いています。それと、動物を描くときは骨格を理解しながら描く、というのは重要ですね。馬と人間では骨格が違うのに、それを理解していないと、人間と同じように描いてしまいがちです。動物を描くのに慣れていないと、動きや表情の付け方も人間に引きずられて描いてしまうんです。自分も実際に骨の付き方を理解して初めて、馬の走り方が上手く描けるようになりました。
表情の付け方も違ってくるのでしょうか。
村山:例えば蛇人であって爬虫類がモデルのサスサススールさんと、哺乳類である普通の人間だと顎関節の位置が違うので、描き分けるにはそういった点も理解していないと、サスサススールさんがちゃんと蛇っぽく描けないんです。動物を描くにはコツがいるんですけど、一旦コツを覚えると楽に描けます。
作中ですと、ケンタウロスが椅子に座るなど、現実の馬なら絶対にやらない動きを描かれることもあると思うのですが、どうやって描いているのでしょうか?
村山:そこは想像ですね。実際には階段を上るなど、馬には無理な動きもあるんですけど、そこは馬とは骨格が違うところもあるんだという逃げ道を用意しています(笑) 一応、何故そういう風に進化したかという説明も用意はしています。
漫画的に、現実には有り得ないアクションを取らせるときには、骨格を理解していないとそれっぽく描くのは難しいですね。逆に美術とかの場合だと、理解していなくても見たままを描くので問題ないのかもしれませんが。骨格は、むしろ漫画っぽく描くときに重要な知識なのかもしれません。
絵柄の話でいうと、巻を重ねるごとに描き込みの線がどんどん洗練されていっているように感じます。
村山:スタイルが中々定着しないというのはあります(笑) 基本的に、ペンの絵が好きな方なので、トーンはあまり使いたくないというのがあります。トーンが沢山使われているものの中には、一見良さそうに見えても立体感や質感に怪しげなのがあって……。そういうのは、やはり骨格がちゃんとしていないからだと思いますね。上手くなくてもごまかしてしまえるけど、あまり好きじゃありません。
安彦良和さんが、龍神賞の選考コメントにて「もっと無駄な線を減らした方がいい」と指摘されていました。実際に連載では、体の陰が描かれなくなったりと、線がグッと整理されているように感じるのですが。
村山:単純に、描いている時間が無くなってきたというのがまず1つ(笑) あとは編集さんに、セントールは画面を明るい感じにしてくれと言われています。そのために、カケアミやトーンといった、中間色をなるべく減らしています。
あと自分の主線が細いので、トーンがのりづらくて……。最近気づいたんですけど、50番以上、デジタルでいうと濃度が20%以上のトーンを貼ると、トーンの丸が線よりも太くなってしまって、線が沈んでしまうんです。自分の絵柄の場合だと、トーンを貼らないほうがきれいに見えると思っています。
キャラの絵を描くときは、どのような順番で描くのでしょうか?
村山:基本的に、バストアップだったら顔を、全身だったら全身の、大体このぐらいに収まるだろうという形を描きますね。それで、顔なら輪郭から描いていきます。次に鼻を描くことが多いです。立体感は鼻の位置が中心になるので。目から先に描くという人が多いですけど、あれはバランスを取るのが難しいです。美少女キャラでも、ある程度立体感は重要になるので。だから最近まで、鼻の無い絵を描くのが苦手でした……。美少女キャラは実は描くのが苦手です。デフォルメの度合いが大きいので、周りから見て可愛いかどうかも描いていて分からなくなってしまうことがありますしね(笑)
十分女の子も可愛いと思っています!
村山:気をつけているのは、形式化しないということですね。絵柄もそうなんですけど、目の描き方とかも時代に合っているときはいいんだけど、いつか時代遅れになってしまいそうな怖さがあるので。
マイナーチェンジを繰り返していかないと生き残れない?
村山:それを繰り返して、ずっと可愛い絵を描ければいいんですけど、できるのかな?と(笑)
最後に、漫画家を目指す学生にアドバイスを!
村山:漫画家はしんどいと思われがちですが、世間一般の仕事と比べてつらいかと言われれば、そんなに変わらないんじゃないかと。自分は漫画家よりもサラリーマンだった時期の方がまだまだ長いのですが、漫画家には徹夜作業とかもありますけど、サラリーマンにももっとキツい場面はあるので……。漫画家って、自分から情報を発信してつらい、ということを強調しますので、情報を発信しないサラリーマンよりもつらいと思われているのかもしれません。確かにたくさん連載を持ったり、週刊で連載をするなどの状況になればつらいのかもしれないんですけど(笑)
さきほどオフレコで、SE時代の苦労話をお聞きしました……。
村山:漫画家の場合、編集さんが気を使ってくれますしね。仕事として考えるなら、編集者がクライアントで、漫画家が下請けなわけじゃないですか。下請け企業に気を使ってくれる仕事なんて、この世の中に普通は有り得ないですから!普通ならこっちがお金を出して接待して仕事を取ってきて、ペコペコしながら納品して遅れたら違約金を払って……という世界なので。普通ならこっちから連絡して進行状況を逐一報告しなければいけないのが、編集さんの方から連絡を取ってくれますし。
社会人経験がお有りの分、言葉が一つ一つ重いです!
村山:あと新人さんへの助言としては……サインの練習はしておいた方がいいです!漫画家になる前からサインの練習をするなんてバカみたいと思うかもしれないけど、いざ必要になった時には練習する暇が無くなっているので(笑) 後々自分みたいに困ることがないようにしてください!
最後に、とても実践的なアドバイスをありがとうございました(笑)! 今後もますます『セントールの悩み』の世界観が広がっていくのでしょう。一読者として楽しみにしています!