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高槻ナギー先生インタビュー【めがらにか/サディスティックフルロマンス】

古今東西ありとあらゆる作品をネタにし、大暴走を続け3巻で完結した超絶パロディギャグ『めがらにか』「ノンストップSFエロギャグバトルラブコメディ(書いてて長いと思うけど、ホントにこのまんまの内容!)」な『サディスティックフルロマンス』の作者、高槻ナギー先生ロングインタビュー。紆余曲折の漫画家人生は、涙なしには語れない!?

タイムリミットは1年間。毎月の作品投稿で連載デビュー!?


漫画・アニメとの出会いはいつ頃ですか?

高槻:ウチの親父は、『サディスティックフルロマンス』1巻の帯から受ける印象そのままの人でして(笑)、厳しいなんてもんじゃなかったです。

僕は中学に入るまでは、アニメは禁止でした。映画もダメでしたね。相当頼み込んで、ようやっとドラえもんの劇場版が観れたぐらいです。ところが中学に入ってから、親父の仕事に入る時間帯が変わったおかげで、夜のご飯を食べている間だけアニメが観れるようになったんです。1番最初にハマったのが『天空戦記シュラト』です。そこからアニメ雑誌を買うようになりましたね。漫画の方で1番最初にハマったのは、麻宮騎亜先生の『サイレントメビウス』。絵の精密さと設定、それに美少女モノにもかかわらず、ハードな展開にカルチャーショックを受けました。今まで何もなかった分、一気に生活がアニメと漫画で埋まった感じになりました。隠れキリシタンのように欲求が溜まっていたようで、適度にアニメを見ていたらそこまではならなかったと思います。なんでもかんでも禁止・規制すればいいってもんじゃないですね(笑)

そこから自分でも漫画を描くようになり、大学ノートに1日1ページ漫画を、中学3年間ずっと描き続けていました。

高校や大学はどのような活動をしていましたか?

高槻:中学がほとんど漫画しか描いていないような生活だったので、当時の担任の先生から美術に特化した高校を勧められました。その高校で知り合った唯一の漫画友達が、今でも仲の良い漫画家仲間のナカG君だったんです。当時、彼の絵をパッと見て「こいつは天才だ、友達にならないと」と思いましたね。

ナカG先生とはお互いの漫画を見せあったりしていたのでしょうか?

高槻:当時も1ページ漫画を、よく授業中に描いていたのでよく見せあっていました。ネタは、主に学校内の内輪ネタでしたね。

高校を出てからは、とある専門学校に入学したのですが、イラスト学科でしたので漫画とは無縁の授業でした。衝撃だったのが、在校生のほとんどが「授業を受けてれば卒業後プロデビュー出来る」と思ってる事でした。

当時は気づかなかったのですが、専門学校のほとんどの生徒が課金兵なんです。課金兵は言い過ぎかも知れませんが「本気」の人以外はそういう扱いになってしまいます。せっかく学校に意見を聞ける先生が居るんですから、授業以外の漫画やネームをどんどん描いてどんどん意見を聞く方が賢い専門学校生活だと思います。それに専門学校に通ってなくても、月1本漫画を完成させられれば、その辺の授業を受けるより何倍も得るものがあると思います。

専門学校に行きさえすればデビューできるほど甘い世界ではないと。それではデビューまでの経緯を教えてください。

高槻:漫画家を目指す直接のきっかけになったのが、小学生の頃から飼っていて、もう兄弟同然の気持ちだった飼い犬が、20歳ぐらいのときに死んでしまったんです。ほっといたら治るだろうと思っていたら、フィラリアという心臓に寄生する犬特有の病気に罹っていたんです。犬が元気になると、虫も元気になるので餌をやるなと医者に止められてしまった。ところが、餌が欲しいときはお手をするようにと躾ていたので、ぐったりしながらずっとお手をするんですよね。ガリガリにやせ細っていくのをみながら、それでも長く生きて欲しいという一心だったんですが、最後病院に行ったときは「もう間に合わない」と言われてしまいました。

死ぬのを看取りながら、「死」ってあっけないなと思うのと、「あのときああしてやれば」と色々後悔したんです。それで自分の人生も振り返って考えてみると、このまま後で後悔するような生き方をするのは嫌だと思ったんです。

それで、自分のなりたかった漫画家を目指すことに?

高槻:僕は最初、イラストを描く仕事がしたかったんです。ところが当時は、イラストレーターという仕事も少なく、どうやったらなれるのかもわかりませんでした。それなら漫画家として大成すれば、イラストの仕事もくるのではと思い、まず漫画家になろうと思いました。
漫画家になりたいと思ったところで自分の中で掲げた目標が、毎月1本作品を描いて投稿するということです。投稿先は、結果がすぐわかるということで、毎月講評をやっている雑誌を選びました。そこで毎月30~50pくらい描いていましたね。

それはすごいペースですね!親御さんの反応は?

高槻:それはもう大反対。最初、親に何も言わずにバイトを辞めたんです。完全ニートな生活でひたすら漫画を描いていたのですが、半年ぐらいで親父がついに我慢できなくなってしまい。いきなり呼び出されて座らされ、「ホントに漫画家になれると思っているのか。なれるわけないやろ!」と親父に怒鳴られました。僕は「とにかく1年だけやらしてください」と頼み込みました。すでに半年終わっているので、残り半年頑張らせてくださいと。それで気が済むならと、きっちり話をつけたら納得してくれました。

1年間というのは、相当厳しいタイムリミットです。

高槻:本当にギリギリで危なかったです。その分、漫画に魂はこもったような気がします。
それで、毎月佳作しか取れていなかったんですが、大体10ヶ月目ぐらいに担当が付くことになりました。なぜ担当が付いたかというと、毎月のコンスタントな生産量を評価してもらえたんです。スピード的には連載するのも問題ないし、ちょうど枠が空いたということで、その1ヶ月後くらいにはすぐさま連載デビューという形になりました。
1番喜んだのは、むしろ両親でした。今はうちの親父が、多分1番の僕のファンです。単行本を買うときに、「ウチの息子が描いています」と言いながら買うんですよ(笑) 高槻のアニメイトでは、変なじいさんが、自分の息子が描いていると言いながら美少女漫画を買っていくということで有名です(笑)

絵面はシュールな気がしますが(笑)、感動的な親子エピソードです!

自分でも気付かなかった、「ギャグ」の才能

デビュー後は、様々な雑誌で連載経験をお持ちですが……

高槻:初連載が終わったタイミングで、実際に担当に会って打ち合わせをしていければと思い、上京したんです。そしたら、出すアイディア出すアイディアが全てボツ。貯金もどんどん尽きていって、更にマズイことにオンラインゲームにハマってしまい……どうしようもない貧乏生活をしていました。

『めがらにか』の半ドキュメンタリー回では、1日200円の食生活だったという衝撃のエピソードが……

高槻:作中通り、ネギをコップで栽培していました(笑) それで、1日1食で生活していましたね。一合ご飯を炊いて、半分にして2日分。スーパーで買った80円のチキンカツと、納豆に育てていたネギを刻んで入れたものをおかずにしていました。お腹が減ったら水を飲んでごまかしていたので、あの頃はガリガリに痩せていましたね……
いい加減まずいと思った頃、mixiが流行りだしていたんです。あの中には色んなコミュニティがあるじゃないですか。あらゆるイラストや漫画募集をやっているコミュニティにコメントを書きまくりましたね。その頃からHPでも、頻繁に自分の絵を載せるようにしました。

その後描いた作品では、シリアスの『女神のカルナバル』、ギャグの『めがらにか』、エロコメディな『ミルクティースキャンダル』と、様々なジャンルにチャレンジされています。

高槻:僕は本当は、シリアスな漫画が好きなんです。『サイレントメビウス』から入ったというのもあったので、そっち方面まっしぐらだったんです。ところが友達のナカG君と高校生のときやりとりしてた漫画は、ギャグだったんですよ。
「ナギーは、絶対ギャグのほうが面白い。次は必ずギャグを描け」と言われていたので、気分転換も兼ねて『めがらにか』を始めたんです。当時の連載先の編集長が、『ガム』の編集長に移動したおかげで連載が回ってきたのですが、「何を描きたい?」と言われ、「もしかしたらギャグでもいけるかもしれません」ということで、一発描かせてもらいました。
そうしたところ、巻数は3巻で終わったとはいえ、今までよりも確実に単行本は売れましたし、名前も少しは広まったんです。

自分でも思ってもみなかった才能を、ナカG先生に「発見」されたのですね!
それではエロ方面についてもお聞きしたいのですが、2008年頃から18禁による同人活動を始められております。きっかけはなんだったのでしょうか?

高槻:現在『氷菓』のコミカライズを担当されているタスクオーナ先生に、「漫画家はとにかくメディアに出続けることが大事」だとアドバイスされたんです。その中でも1番簡単なのが、同人即売会に毎回必ず出ること。編集の方にも、自分はまだ漫画を描いていますよというアピールにもなるので、やんなきゃダメだと。それに「ナギーさんの絵は可愛いので、エロを描いたら結構売れるんじゃないか」と言われ、目がくらんで始めてしまいました(笑)

結果はどうでしたか?

高槻:同人誌に限っていえば大爆死でした……いまですら、印刷代よりも稼いだことがないんです。
そのかわり、同人活動を始めてから急に、エロ方面の編集さんから「ウチで描きませんか」と声を掛けられることが増えました。その中から実際に、『ミルクティースキャンダル』という仕事につながりました。ですので、タスクオーナ先生には足を向けて寝られませんね。

伏線は、「とりあえず」でも問題ない?


現在@バンチにて連載中の『サディスティックフルロマンス』の連載案は、どのようにまとまったのでしょうか?

高槻:「サディロマ」の連載案は、ほぼ全て自分が考えたのですが、唯一の指定が『めがらにか』を読んでの依頼だったためか、「ギャグを描いてくれ」ということでした。
僕の中では、『めがらにか』で出せるアイディアは全部出してしまおうと思って描いていたので、ギャグは一度「出し切った感」があるんですよ。これ以上は、今すぐには思いつかないと思っていました。そのため設定は、途中でシリアスにも移れるように組もうと思いました。それで当初はギャグだったのが、初期の担当さんが変わった2巻の辺りから、シリアスに路線変更しているんです。

たしかに1巻当初は、ヒロインのリスカが、口癖などがいかにもな萌え要素を詰め込みすぎたというギャグキャラな感じだったのが、実は全て2巻への伏線だったという展開には驚きました。

高槻:初期プロットには既に書いていました。シリアスにグラデーションしていくために作っておいた隠れ設定の一つだったんです。
そのように狙ったものもありますが、半分くらいは描きながら適当な伏線をばらまいておくんです。そうすると後半話に詰まったときに、すごく便利なんですよ。たとえば、1巻でリスカが薬を飲むシーンがあって、2巻に出てくる薬の実験の伏線になってはいます。ですが描き始めの頃は、そこまで描くことはまったく考えていませんでした。ただの伏線だけで、あとでどうとでも膨らませられると思って張っておいたんです。

実は漫画家さんは、伏線の回収法最初から全て考えているのではなく、描きながら思いついているという話はよく耳にします。ちなみに、1巻の表紙がラストシーンだという最大の伏線は……

高槻:表紙を描いている段階では、何も考えていませんでした(笑) 最近の漫画系のニュースサイトだと、普通の漫画は取り上げられにくいので、何かしら話題になりやすいことをしないといけないなと思い、それならいっそラストシーンを描いてしまえと。
体に傷をつけておくとか、なんてことのない一言や行動は結構使えます。たとえば、「私、カレーが嫌いなのよね」と小さなコマで呟かせてみる。カレーなんて嫌いな人はほとんどいないはずなので、読者には違和感が残るじゃないですか。そういうのが残っているだけで、あとあと過去話が1話ができたりします(笑)

伏線の貼り方は千差万別ですね!そのような方法を、どのようにして学んだのでしょうか。

高槻:僕は映画が好きなんですが、伏線を探して、オチを想像しながら観るのがすごく楽しいんです。伏線になりそうなシーンを見つけたら、頭で反芻して全部覚えながら、「こういう伏線ならこういう風に終わるだろうな」と考えながら観るんです。そのとおりになったときはガッツポーズですし、そうはならずに裏切られたときは、その伏線の使い方を覚えて貯金にします。完全に職業病な観方ですね(笑)

具体的に、どのように観ているのでしょうか?

高槻:『シックスセンス』というブルース・ウィリス主演の映画があるじゃないですか。

(※ここからネタバレ注意!)

「主人公は最初から死んでいた」というのがオチなんですけど、あれは大分早い段階で気付きました。途中で、奥さんが浮気しているところを、主人公が店の外から見ているというシーンがあります。外でガーンという音がして、奥さんが振り返るとガラスにひびが入っている。そこを主人公が拳を振りながら去っていくんです。要は「主人公がガラスを殴った」ように見せているのですが、よくよく画面を見ると、ヒビの入り方が殴ったときにできるヒビの入り方じゃなかったんです。ガラスは殴ると、蜘蛛の巣状にヒビが入るはずなんです。ところがそのシーンのヒビは、圧力がかかったように縦の線が入ったものでした。そのシーンにすごい違和感があって、その違和感を辿っていくと「こいつ死んでいるんじゃないのか?」と思ったんです。

(※ネタバレ終わり)

とにかく伏線は適当でもいいんです。なんでもかんでも張れば、あとでいくらでも回収できるはずなので。

ネームの切り方/原稿の描き方


ネームの作り方を教えてください。プロットなどはまとめますか?

高槻:プロットは連載前だけです。僕はプロットが「大好きだけど大嫌い」なタチなんです。とにかく細かい設定を作るのが凄い好きで、書き出すと止まらなくなるんですけど、本編で使うことのない無駄な設定もどんどん作ってしまうので……

それではネームの作業行程を教えてください。

高槻:1日5ページくらい、それを5~6日で描いていきます。1日の使い方でいうと、ネーム期間が1番自由に時間を使えるので、昼は出かけたり映画を見たりと、情報を取り入れてます。ネーム作業は夜しかやりません。自分は静かなところでないとネームが描けないタイプなので、部屋に閉じこもって耳栓をして完全に音を遮断してやります。夜に描いたネームは、次の日の朝に見ながら修正作業をするようにしています。ネームを翌日見直すのは、一旦寝かした方が間違いや矛盾に気づきやすいからです。

ネーム作業の際、意識していることは?

高槻:最近気をつけているのは、見せ場のコマを、割と早い段階に毎回配置することと、次も読みたいと思わせる伏線を張りながら終わらせることですね。
あとは流れるように読めるような、言葉のやりとりになるようにしています。ギャグ部分が1番試行錯誤しますね。関西人の意地で、ボケとツッコミのリズムの良さは、実際に声に出して読んでみたりしながら確認しています。

ペン入れはどのように進めていきますか?

高槻:ペン入れになると作業形態がかわりまして、昼間ペン入れ、夜下書きになります。同じ作業を続けていると、飽きて集中力がなくなってしまうので、だいたい3ページずつくらいのサイクルでやります。
ペン入れまではアナログ作業なのですが、あとでパソコン上で修正すればいいので、パースの狂いは気にせずガシガシ描いていきます。ペン入れ中にデッサンを直そうと思うと、もう一枚余計に描かないといけなくなるので、あまり気にしすぎるとアナログで無駄に時間を食ってしまいますので。

ナギー先生といえば、エロコメディもお描きになるほど、女の子のエロい姿を描くのには定評があると思うのですが。

高槻:成年向け同人誌を描くようになって思ったのは、エロ漫画は凄まじいデッサン力を要求されるということです。とにかく体位とカメラアングル。同じ体位でも、カメラアングルを常に変えないといけません。おまけに次の話のときには同じアングルを使えないので、そこで多少腕は上がったかもしれません。成年向けで何年も描いているのは、本当に凄い人達ばかりです。
それと胸にしろお尻にしろ、上手い人は凄いこだわりを持って描いています。上手い人のマネをしても不思議と読者には伝わらないですね。読み手は意識していなくても、作者がこだわっていないことは分かってしまうみたいなんです。自分はその点、好きだといっても一般男性レベルの「好き」なので、その点は弱点だとも

自分も一読者なのですが、同じようなおっぱいの描き方であっても、なぜかその違いはわかってしまうんですよね……あれは本当に不思議です。

最後に、漫画家を目指す学生の方へアドバイスをお願いします。

高槻:とにかく「月に1本は漫画を描け!」ということに尽きます。それはバイトしていても学校に通っていてもできるはずなんです。僕は話をまとめるのが苦手だったので、月50pとか描いていましたけど、多分月16pくらいなら兼業でも十分描けるはずです。それと、仲間内で見せ合うと傷の舐め合いになりかねないので、pixivでもなんでも良いので、不特定多数の人にみられる場所で発表することが大事ですね。面白いか面白くないかだけで判断してくれるので、まったくの素人に見せるのが1番だと思います。

また編集さんに聞くと、新人を見るときに1番重要視するのは作品を仕上げる「スピードと生産量」なんだそうです。絵は描いていれば自然と上手くなりますし、話作りが苦手なら原作をつければいい。ネームを描けないならネームを描ける人を雇えばいい。ですので、新人の判断材料で最も重要になるのはスピードになるんです。

そしてデビューしてから大事になるのは、「コミュニケーション能力」です(笑) 自分も必要ないと思っていたし、煩わしいから漫画家になったはずなのに……とにかくデビューしてからは、ひと握りの天才を除いて、漫画家としての能力の半分くらい必要になります。逆にいうと、高すぎて損することはありません(笑)
とにかく漫画はマラソンと同じです。走り続けてれば、いつかゴールまでは辿り着くと思いますので、頑張ってください。