大井昌和先生インタビュー【おくさん/起動帝国オービタリアetc……】
小学生が主人公の作品から「熟女もの」作品、ほんわか日常ものから超巨大ロボットが登場する本格派SFまでと、様々なジャンルの作品を手掛ける大井昌和先生。インタビュー当時には連載10周年を越えた四コマ漫画『ちいちゃんのおしながき』10巻に、32歳の「カワイイ」奥さんを描いた『おくさん』6巻が発売され、さらには『起動帝国オービタリア』2巻の発売を間近に控えている。六作品の連載を同時に手がけながら、さらに近年は漫画執筆だけに留まらない「とあること」にも力を入れだしているらしい……!?驚異的なバイタリティーで様々な活動に取り組む大井先生の全体像に迫る!
1章:漫画家志望者はハリウッドの脚本術に学べ!
2章:大井先生の師匠直伝、「連載の取り方」とは!?
3章:『おくさん』のバストサイズには綿密な計算があった!?
4章:大井先生が描く巨大ロボットものの新境地!『起動帝国オービタリア』
5章:漫画家が評論活動を行う狙いとは
漫画家志望者はハリウッドの脚本術に学べ!
漫画を本格的に描き始めたのはいつ頃ですか?
大井昌和先生(以下大井):漫画をちゃんと描こうと思ったのは、大学二年生ぐらいからだったと思います。一年生の頃が絵に描いたように暗い大学生活だったんで(笑)、「大学辞めてぇ」と思いまして……とはいえ、仕事してご飯は食っていかないじゃないですか。その時に、やりたいと思えた仕事が漫画家ぐらいしかなかったんですね。子供の頃は科学者か絵描きになりたかったものの、自分才能の無さを感じて諦めていたんですけど、その二つの経験を活かせるのは漫画家なんじゃないかと思いまして。
どちらかというと描き始めは遅めなのですね。そこから、どうやって漫画の描き方を覚えていきましたか?
大井:当時はインターネットもない時代だったので、完全に手探りでしたね。漫画用の紙がわからなくて、雑誌の新人賞の要項を読んでみたら、ケント紙か画用紙と書いてあって、「なんだ画用紙でも良いんだ」と画用紙にミリペンで描いてみたらすっごい滲んだり(笑)。でも知識がないからこんなもんなんだろうとそのまま出版社に持っていっちゃっいましたね……それでも有難いことに、賞に引っかかって五万円頂いてしまいましたが。
そ、それはすごいですね。ちなみに、持ち込み先はどのように決めましたか?
大井:まだ始まったばかりの『ベルセルク』を読んで「これは今日本で一番面白い漫画だ!」と思って白泉社に持って行ったり、SFが描きたかった、というか新人時代はSF以外描く気が無かったので(笑)、SF描かせてくれそうなところということで、当時コミックガオで『銀河戦国群雄伝ライ』を載せていたメディアワークスに持って行ったり。ものすごく単純な動機で決めていましたね。
好きな作品が載っている所に自分も載りたい、と考えていた訳ですね。
大井:これ、本当は良くないことなんですよね。本来新人は、みんな「少年ジャンプ」に持ち込みに行くべきだと思います。
と、いいますと?
大井:実はデビューする難しさってどこの雑誌でも一緒なんですね。既に連載を持っている先生達と張り合って連載を取る困難は、新人にしてみればどの雑誌に行ってもそうは変わらない。むしろ、ジャンプには新人枠がある分まだ希望が持てます。出版不況もありますし、とりあえず新人を試してみようという余力がある雑誌は今ジャンプぐらいしかないですからね。だったらまずは、一番お金になる可能性がある所に行った方が良い(笑)。
確かに、ジャンプで毎年定期的に入れ替わる「新連載枠」というものは、他の雑誌にはない制度ですね。それも毎回、3作品近くが入れ替わりますし。
大井:ちょっとひねた漫画オタクって、最初はジャンプをちょっと下に見るじゃないですか。僕も若い頃はそんな漫画オタクだったから、「ジャンプよりちゃんと面白い漫画描くぜ」みたいな青臭いこと考えていて(笑)。もちろん今ではめちゃくちゃ尊敬しています。これを読んでいる学生の皆さん、まずはジャンプへ持ち込みに行きましょう!
具体的なアドバイスありがとうございます!(笑)。とはいえ、大井先生が持ち込まれた先で、何か良かった点ももちろんありましたよね?
大井:メディアワークスの編集部に持っていった時の担当さんが、ものすごくロジカルに教えてくれる方で、自分もロジカルに描きたいと思っていたので、その人から受けた影響はすごく大きいですね。
具体的にはどういう事を?
大井:一番は脚本の書き方を教えてもらえた事ですね。「脚本のシステマチックな書き方というのは既にハリウッドが完成させている。だからハリウッドの脚本の本を二、三冊ぐらい読めばすぐ書けるようになるから、まずはそれを読んで勉強しろ」と。確かに読むと、ははあ脚本ってこういう構造でできているんだというのがわかって、それからはスラスラと書けるようになりましたね。そうやって、作品を作るという事にも考え方みたいなものがあるんだというのがわかって、その考え方を自分の中で漫画に応用していけば、ほぼ何でも描けるなと。
手前味噌にはなりますけど、新人さんはまず脚本の書き方を覚えてしまった方が良いと思いますよ。
それはどうしてでしょう?
大井:脚本がコンスタントに作れるようになったら、他の作業に余力が回せるからです。脚本というのは勉強さえすれば書き方を覚えられるし、コツさえつかめば一話二、三時間で書けるようになります。脚本でうんうんと悩まなければ、漫画家としての魅力を高める努力、たとえば絵の練習や今の流行りを勉強したり、それこそ作家性を上げていくことに全勢力を注げばいい。逆に話を考える時に、いちいち「自分の中から湧き出てくる何か」みたいなのを待っていたら、それこそお話にならない訳ですよ(笑)。
キチッと勉強すれば覚えられるものなら、さっさと覚えた方が得、ということですね。
大井:正直、最近僕は脚本というのを全く重要視していないんですよ。というのも、脚本は只の技術なんですね。
自分がよく引用させてもらっている言葉で、作家の岡田斗司夫さんが言っていたことがあります。あの人って元はガイナックスの創設者でアニメ畑の人なんですけど、岡田さんが言うに、アニメ業界で脚本家というのは「どぶさらい」の人だと。アニメの脚本家がやることはほとんど、監督や演出が言っているアイディアを、ひたすら脚本という形にまとめるだけなんですね。ものすごく大変でひたすら面倒臭いばかりの仕事だから、やりたがる人は実は少ない。
根幹にあるのは「アイディア」であって、脚本はそのアイディアを過不足なく伝えるためのツールなだけだと。
大井:魅力的なキャラクターとか世界観を作る方がよっぽど大事です。ところが、多くの人は脚本に作家性やら魂やらが宿ると考えているんですね。そこを勘違いしているから、新人さんは脚本でうんうん悩むという無駄な努力をしちゃう。脚本は、構成さえ合ってれば良いんです。
作家性やオリジナリティを出そうと思っているのは、むしろ構成が破綻してるだけというか……
大井:そうそう。それに脚本に頼らなくて良い時に良い物が出来る。脚本の話は個人的なテーマというか、脚本が必要以上に高く評価される世界は積極的に壊していきたいなと思っている所なので(笑)、ついつい長くなってしまいましたね。
大井先生の師匠直伝、「連載の取り方」とは!?
大井先生はアシスタントもご経験されたとお聞きしました。その時の苦労話やそこから学んだことなどあれば教えてください。
大井:すごく優しい先生だったから、苦労らしい苦労といえば通う場所が遠かったぐらいですね(笑)。先生から学んだ事は沢山あるんですが、ひとつ一生心に残そうと思った事があります。ある時先生が「大井君、どうやったら雑誌で漫画が描けると思う?」って聞いてきたんですね。「いや、わかんねっす」と答えたら、「漫画はね、『コネ』で描くんだよ〜」って言われて。コネ、という言葉を変えれば「人との繋がり」ですね。僕の師匠は『メタルスレイダーグローリー』ってファミコンゲームを作った☆よしみる先生って人なんだけど、そのゲームを作った後に出会った担当さんが先生を買ってくれたから、漫画を載っけてくれるようになった。そういうつながりみたいなので描くんだよと。
師匠の☆よしみる先生も、担当さんと繋がりを持ったことが連載を持つきっかけになったと。
大井:これはね、才能がべらぼうにあれば関係ないけど、自分みたいにまったくない奴にとってはものすごく大事な事です(笑)。たとえば、『ちいちゃんのおしながき』(以下「ちいちゃん~」)は、友達の知り合いの編集さんが、友達づてに「ウチでやりませんか?」と言ってきた。今ヤングキングアワーズで『起動帝国オービタリア(以下オービタリア)』を連載しているのも、『おくさん』を同じ少年画報社のヤングキング゙で連載していた事からスタートしました。すべて人の繋がり、いうならば全部コネで描いている訳です(笑)。
なるほど~。しかし学生の身としては、どうやったらその「コネ」が作れるのかが分かりません……
大井:月並みですけど、初対面の人でも自分から話しかけられるようなコミュニケーション能力でしょうか。とはいえ僕も元々はそういうのが出来ない人間だったから、出来ない人の気持ちも分かるんですよ。自分から話かけにいって嫌われたりとか、失礼な事言ったらどうしようとか思っちゃうんですよね。
でもある時、そういった失敗は全然大した事ないんだって気付いたんです。たとえば、自分はライトノベル作家・脚本家のあかほりさとる先生にすごくお世話になっているんですけど、あかほり先生と知り合ったのは、たまたま出版社の飲み会みたいなのでお会いしたのが最初でした。「売れてる人だ、あの人と喋らせてよ!」と編集に頼みこんで取り合ってもらって(笑)、あかほり先生って気さくな方だからすごく話しやすくて、どうやったら売れるのかっていうのをガツガツ聞きまくって―おそらくその時相当失礼な事も言っていた気がするんですが(笑)―それ以降すごく気にかけて頂けるようになったんです。
失敗を恐れず、というかどんどん失敗するべきなんですね。
大井:そうそう!特に若い頃にどんどん失敗しといた方が一番良いんですよね。とはいえ、若い頃には分からないのも分かっちゃう。自分の身に起きた時に初めて分かる(笑)。
それでも僕達が言っちゃうのは、自分の中で「気付くのが遅かったな」という後悔があるからなんですよね。自分もおっさんになって初めて分かりましたね……
そういえば、以前インタビューした漫画家さんの中に「漫画家に必要な能力の八割はコミュニケーション力」と仰っていた漫画家さんもいらっしゃいました。
大井:売れている人は、皆高い気がしますね。それこそあかほり先生はすごく喋りが立つし、あと「カイジ」の福本伸行先生と一度お会いした事があるけど、ものすごく喋りが上手くて話していてとても楽しかった。だから売れるには多分、「ここ」だなと(笑)。僕も元々は本当にコミュ障なので、これでも大分人と喋るようになったんです。
こうやって直接お話していると、そうだったとはまったく思えません……(文字では伝えらないのが残念!) それでは時系列がちょっと戻ってしまうのですが、連載デビューを果たされた時の経緯など教えて頂きたいのですが。
大井:大学に居る間までに連載が始まれば良いな〜、とかちゃらんぽらんに考えていたんだけど、連載無いまま卒業しちゃって……これは変にこだわっている場合じゃないということで、編集さんに「どうしたら連載取れる?」と直球で聞いて(笑)。そうしたら「とりあえず女の子がメインの漫画でないと、ウチでは載っからないな」と。自分は一般的な女の子が苦手というか、『おくさん』みたいな熟女にしか興味無かったんで(笑)、女子高生とか描けねえよと悩んでいました。
なるほど(笑)。しかしデビュー作の『あいこでしょ! ―ひまわり幼稚園物語』「以下「あいこ」」は熟女とは程遠く、タイトルにある通り幼稚園が舞台の漫画です。どうしてそのような舞台を思いつかれたのでしょうか?
大井:連載案でうんうんと悩んでいた時に、ある日ぼんやりテレビを観ていたら幼稚園が舞台のコントをやっていたんですね。それを見て「あ、幼稚園児だったら描けるかもな」と閃いたんです。幼児なら、女の子というよりもむしろ犬や猫のキャラみたいな扱いで描けるんじゃないかと(笑)。それで、幼稚園の女の子が出てくる漫画を描くって編集に伝えたら、「良いね、じゃあその幼稚園の子と主人公が恋愛する話にしよう」って言われて……「恋愛?四歳なのに!?」って話ですよ(笑)。いったいどうやって恋愛になるんだと編集に聞いたら「それは君が考えるんだよ」と言われて(笑)。
頭を捻ってどうにか連載案を作って担当に渡したら、次の日ぐらいに「あれ会議通ったんで連載ね」と電話が掛かってきました。おそらく担当が、そろそろ僕をデビューさせようと頑張って頂けたと思うんですけど、漫画は十年ぐらい描いてきた中であんな短さで連載が決まったことは無い(笑)。それが連載デビュー作の「あいこ」ですね。
連載を取るまでは相当時間がかかりながらも、通る時はすんなり通ってしまった訳ですね(笑)。
『おくさん』のバストサイズには綿密な計算があった!?
他『ちいちゃんのおしながき』について
『先生のフェチがたっぷりと詰まっている、というお話が出てきたので早速『おくさん』についてお聞きしていきます(笑)。『おくさん』を読んでいて気になったのが、「三十歳台の女の人を可愛く描く」という視点です。いわゆる熟女系だと、経験豊富でエロいお姉さん、というキャラ付けをされることが多いじゃないですか。
大井:自分の中ではむしろ普通の感覚だったんですよね。三十歳の女の子カワイイじゃんというか、「三十歳前まではまだ子供」っていう感覚だったので。
三十歳を越えてからはじめて「女の子」になる訳ですね?(笑)
大井:それが僕の中では世界の真理としてある訳ですよ!自分はただ女の子を描いているだけ。女の子を可愛く描くのはむしろ当然でしょ?という(笑)。「あいこ」を描いている時から「熟女を描きたい」と編集に主張していましたからね。その頃は「売れないから」ってけんもほろろでしたが(笑)。
しかし、現に『おくさん』という作品が描けているということは、転換点があったんですね?
大井:時代が来ているようだから、そろそろ行けるはずだと。その判断になったのが、実はエロ漫画なんです。漫画の絵の流行はエロから来ることが多いので、エロ漫画を読んでいると、次に何が来るのか分かるんですよ。ちょうど『おくさん』の連載が始まる前から、成年誌で熟女ものが増えている傾向を察知したので、おそらく三、四年経ったらこれが一般誌でも出来るようになるだろうと踏んだんです。
その頃ちょうど『よつばと!』も出てきて、「ああなるほど、キャラクターにスポットを当てた作品というのはこういう風に描けば良いんだ」というのも分かったので「これはイケる!」と。
『よつばと!』は、同じ日常もの系列なので腑に落ちるのですが、エロマンガも根底にあったのは意外でした。
大井:漫画に限らず、表現にとってエロは本当に大事です。だからエロを禁止するみたいな流れが周期的に起こりますが、本当に良くないですよね。日本の漫画家というのは、一般向けの人を含め、大体エロ漫画を読んで「カワイイ女の子はこう描けば良いんだ」と勉強しているんです。エロ漫画には、作画の勉強的な意味でも皆大変お世話なっているはずなんです(笑)。映画だって、ポルノ映画から名監督が出てきたりする訳ですし、その部分を何とかしようというのは、なんというか教養が足りないですよね。
「エロがわからないのは教養がない!」良い言葉を頂きました(笑)。エロ、といえば主人公の沖田恭子さんのバストサイズが107cmという、大変男性を引き付ける設定となっていますが、あの数値はどうやって決められたのでしょうか?
大井:あれはキャラクター性に準じてですね。巨乳キャラというのは大前提だったんですけど、いまどき90cm台じゃパンチ力が足りないだろうと思って、とりあえずメーターは越えようと。とはいえ101cmじゃギリギリ越えただけの感じがして面白味がない、しかし108、9cmまで行くとデカすぎて数字に迫力が付きすぎちゃうし、110cmを越えると僕は嬉しいけど、読者には早すぎるかと(笑)。それに106cmぐらいまでだと、何だかまだ甘えている感じがする。
そういった綿密なシュミレーションの末に、「107cmだ!」となりました。いやー、あれは久しぶりにちゃんと悩んで決めた設定でしたね(笑)。
う~ん確かに言われてみると、ギリギリ自分達の周りにいてもおかしくないと思えるような、絶妙な数値ですね!
大井:万が一有り得るかもしれない夢の数字ですよね。『おくさん』はお隣の苗字を間違えてしまうぐらい緩~く描いていますが、あの数字だけは超考えました。
お隣さんの名字については、某お絵かき投稿サイトでもその問題が言及されていましたね(詳しくはコチラ)。結局のところ、どちらが本当なんですか?
大井:えー、どっちだったけかな……すみません、ちょっと待っててください。
(大井先生、おもむろに席を外しアシスタントさんの所へ向かう。)
……分かりました、「九坂」の方です。
問題は決着が付きました!お隣さんの名字は九坂です!
大井:いやお恥ずかしい。というかたまに出すからいけないんですよね。出さなければこんなことは起きなかった(笑)。
わははは(笑)。出さない、といえば、恭子さんの夫である「だーさん」は、顔も本名も出さない設定になっていますよね。
大井:あそこにちゃんとした固有のキャラクターを出すと、恭子とだーさん、二人の関係性の話になっちゃうんですね。あくまで恭子だけにスポットを当てる話にしたかったし、「皆の『おくさん』」になって欲しい、そして読者であるあなたのおくさんでもあるんだよ、というように感じて欲しかったんですよ。
ある意味、『トムとジェリー』方式ですね。あの作品には、トム達を追い回す黒人の家政婦のおばさんが出てくるんですけど、彼女は手元足元しか出てきません。話には関わってくるけどキャラクターではなくて、ただの設定として機能しているだけなんですね。だーさんも、「恭子には旦那さんがいる」という設定を表しているだけであって、どこの誰という事はあまり関係ないんです。
なるほどあくまで話のスポットを恭子さんに当てるためだったのですね。
それ では次に、『ちいちゃんのおしながき』について。現在先生の中では一番の長期連載作品になっている代表作ですね。まずは、4コマにおける作業工程について教えてください。
大井:最初に確認するのは、次に描く雑誌の月号です。9月号だけど描くのは7月だったりするから、季節をズラさないように(笑)。そこを間違えると本当に大変ですからね。次は、9月といったら何だろう、台風かな、いやお月見かなという感じでお題を決めます。お月見だったら、団子も使えるしそばの卵も使えるなとか考えつつ、ちいは小学生だから、小学校だったら運動会とかもあるかな。そうやって出てきたネタ同士を、今度は月見と運動会で何かかかるかなとか、そんな風にダジャレみたいな感じで、どんどんと繋げていきますね。
毎回のお題を決める基準は何ですか?
大井:過去の二、三年のお題と照らし合わせて決める感じでしょうか。クリスマスは去年やった気がするから、今回は目線を変えて大晦日かなとか。その辺りは、主人公のちいがうまい事キャラクターを作れたので、あまり悩まなくてすむ所がありますね。
作者的にちいちゃんは、非常に有難いキャラクターなんですね。
大井:ちいが万能すぎるんですよね。何でも良いから最終的にちいに振っておけばなんとかしてくれるので(笑)、逆に常連キャラに振りすぎて収拾がつかなくならないよう気を付けています。ちいは本当、若い頃でほとんど何も考えずに作ったわりには、デザインも含めて非常に上手くいったキャラクターですね。
キャラクター作りのコツって何かありますか?
大井:キャラクターはまだ全然分かっていない所があるから、偶然任せに近いですね……キャラクターデザインはシルエットでパッと分かるのが大事、というのも後から知ったぐらいで(笑)。かといってシルエットを意識しすぎるとかえってゴテゴテしてしまいますし、その辺のバランスはまだちょっとわからない。実際にやってみないとわからないというか、キャラクターの作り方は本当に分かるようになるのかな?というのが実感です(笑)。
「ちいちゃん~」は料理漫画の側面もありますが、漫画で料理を美味しく見せる工夫などは何かしていますか?
大井:最初の内は描き方が分からなかったから、手当たり次第料理漫画を読みましたね。とりあえず『美味しんぼ』とかリアル系のものは真似するもんじゃないなと思い(笑)、自分のように、絵自体で美味そうに見せれない人はどういう風に描けば良いのかな、自分でも真似出来る人誰かいないかな?と探していた時に、ラズヴェル細木先生の『酒のほそ道』を読んで、自分はこの系統かもしれないと思ったんです。
どういった点に注目されたんですか?
大井:料理をきちんとデフォルメして描くことですね。お刺身とかで新鮮なところは、テカった感じにするとすごく新鮮に見えるとか、冬の料理だったら湯気をいっぱい描くと温かい料理に見えるとか、そういう記号的な部分です。あとは料理の絵だけはちょっと密度を上げたりしてメリハリを付けて、このページでは料理が主役ですよ、みたいなのを読者に印象付けたりとか。料理もキャラクターの一部なんだと思いながら描くのが大事って事ですかね。
「ちいちゃん」は今年で連載10周年を迎えました。次の10年も視野に入れつつ、今後の目標を教えてください。
大井:後はもう、死ぬまでやるだけでしょう(笑)。終えようと思えばいくらでもストーリーの終え方はあると思いますが、でも今更オチ付けてもしょうがないですからね。ちいは終わらないのが目標です!
大井先生が描く巨大ロボットものの新境地!『起動帝国オービタリア』
「オービタリア」は、前の二作品ともまたテイストの違う、SF巨大ロボットもの作品となっています。大井先生が巨大ロボットものをやろうと思われたきっかけは何ですか?
大井:「オービタリア」は、実は「あいこ」の次にやろうとした企画だったんです。「あいこ」の時の編集も面白そうじゃんと乗り気になってくれたので、編集長をきちんと説得するために脚本や世界観、キャラクターをじっくり練っていたんですけど、そうしていたら当の雑誌が、廃刊になっちゃったんですよね……
それは、先生個人ではどうしようもない問題で、企画がとん挫してしまったのですね……
大井:自分でも自信のあった企画だったので、このままお蔵入りされるのは勿体ないと思いまして、担当とどこの雑誌に持っていけば良いか相談して、実際に企画を持ち込んだ編集部もありました。そこでは、一話目を手直しすれば載せます、という話だったんですけど、今度は人事異動で編集長が変わってしまって、企画自体がお流れになってしまい(笑)。
またしても作品の外の問題が立ちはだかったと。
大井:じゃあどうしようかって途方に暮れたとき、そうだ今なら『おくさん』やってんじゃん、なら同じ少年画報社のアワーズがあるじゃんと気付きまして。それで担当に、「こんな企画があるんだけど、アワーズで描かせてくれない?」と聞いたら「いいっすよ」って軽く言われて(笑)。紆余曲折したわりに、最終的にアワーズではすんなりと決まったという感じです。
「オービタリア」に登場する「蒼の終国」は、一国丸ごとがロボットという、過去最大級の超巨大ロボットになっています。その設定はどのように思いつかれましたか?
大井:ガンダム等の巨大ロボットものの評論で、「巨大ロボットとは、少年が社会に立ち向かうための比喩である」とよく言われるんですね。少年が大人の社会にコミットするためにロボットに乗りこむ、それはマジンガーZの時代からのモチーフだ、という批評がある。
そんな中で、もし自分がロボットものをやるとしたら、そういう系統の作品とはまったく違ったものをやりたいな、と思ったんです。
今までのロボットもののフォーマットをなぞるのではなく、新たな方向性を打ち出したいと。
大井:そもそも「人が乗り込むロボット」という時点で、SF的には説得力を持たせるのが非常に難しいギミックだから、何らかの比喩として使うしかないというのは感じていました。ではどういったものにするか。自分はロボットの操縦席での出来事が、少年一個人の話だけでなく、国の政治そのもののように見せられないかと考えたんです。
自分は基本的にアナーキストで、政府って要らないんじゃないかと思っているんですが、でもそれをただ単純に、現代を舞台にした物語には出来ないだろうし、ムリヤリやってもうそ臭くなるだろうと。それで、子供達が皆で国を動かすという比喩として、子供がロボットを動かす話にすることにしたんです。
多くのロボットものが、少年が「ひとり」でロボットに乗り社会に立ち向かうものなら、「オービタリア」は「みんな」でロボットに乗り込むのだと。
大井:その辺りも、一巻の時点では緊急事態だからみんなで頑張って協力して動かしている状況だけど、これからは「蒼の終国」を、合議制で動かすのか、それとも独裁制で動かすのか、そういった方向に持っていけるかな、と考えていますね。
それは今後の展開にも注目しないといけませんね!
本作品で 一つ気になるポイントとして、画面のトーン処理があります。明らかに他作品とは違う絵作りになっていますよね?
大井:「オービタリア」ではパソコンのグレースケールで塗っています。昔だったらグレースケールでは印刷に出なかったんですけど、コンピューターや印刷技術が上がって可能になったので、そういったものを取り込んだ、今の時代の絵作りが出来れば良いなと思いながら描いています。
なぜ「オービタリア」ではそういう方針にしたかというと、連載の企画を練っている初期の時から「ロボットものをやるなら、絵もコンセプトとして新しくないといけない」と考えていたんですね。視覚的に何か新しさが無いといけないよなと。たとえばガンダムにしろエヴァンゲリオンにしろ、そのロボットのデザイン性にみんなびっくりした訳じゃないですか。
ただ僕にはそこまでデザインセンスが無いのは分かっていたから、ロボット本体のデザインで勝負するのは難しい。なら、もっと次の時代の漫画の画面作りみたいなのを提出出来れば良いかなと考えたんですね。企画を立ち上げた時はまだパソコンの技術がこんなに発展する前だったんで、その時は薄墨で描こうとも思っていました。なので、「オービタリア」は技術の恩恵を100%頂いているといえますね。
今回取り上げた三作品以外にも、漫画アクションで『モトカノ☆食堂』、まんがタイムきららフォワードにて『ここが限界のオーバル学園』の原作担当をされるなど、膨大な連載作を抱えております。これだけの連載を並行して描くのに問題はないのでしょうか?
大井:正直、今はかなり無理しています(笑)。とはいえ、無理だからといって仕事量を減らしたりすると、今以上手は早くならない訳ですよ。出来ると踏んだ上でちょっとずつ無理をしていくと、またキャパシティが増えるんです。そうしていけば、自ずと問題なく回せるようになると思います。それは、たとえばさっき言っていたような脚本術を完璧にしておけば、話で悩まずに済みます。それに、絵もきちんと勉強をしておけば、いちいち「どうして描けないんだ」と悩まなくて済むし、ネームの切り方も、自分の中にこういうシーンだからコマ割はこうだっていうロジックが出来ていれば、変に頭を使わなくて済む。そういう事を積み重ねておけば、コンスタントに漫画が描けるようになると思いますね。
漫画家が評論活動を行う狙いとは
昨年の冬コミケで『漫画家企業論』を発行したり、ニコニコ動画にてブロマガ・チャンネルを開設したりと、近年大井先生は創作活動だけでなく、評論的活動も積極的に行われています。作家自身がそういった言論活動をする狙いは何なのでしょうか?
大井:最終目標としては、アートのお金を海外から引っ張ってくることです。ただこれだけでは、何の事だかさっぱり分からないと思うので、一から説明しますね。
出版業界全体からしてそうですけど、漫画業界も今不況だって言われているじゃないですか。で、その対策としてもっと海外で漫画を売れないかということが議論されている。たとえば、日本の漫画も全部左綴じの横描きにすれば良いと言っている方もいます。ただ、そういうものの多くは根本的な解決にはなっていないと思います。
それは、どういったことが問題なのでしょうか?
大井:一番の問題は、「圧倒的に市場がない」という事実がまったく考慮されていないことです。それは漫画の読者が、という訳ではなくて、そもそも本自体を読む人口が日本に比べて圧倒的に少ないんですよ。海外で本を読むのがどんな人達か考えられていないというか、全部日本と一緒だと思っている訳ですよ。日本は江戸時代から庶民が本を読むという異常な民族で、こんな国は他に無いですからね。
そもそも本を読む人口が少ないのだから、増やせる漫画人口の最大値も限られている訳ですね。
大井:じゃあ、どうしたら海外で書籍が売れるかといったら、海外でそういうものを手に取るのはハイクラスの人達なんですね。そしてそういう階級の人達と親和性が高いのは、むしろアートの領域になるんです。この層のアート市場というのは、世界的に見れば実は映画の市場よりずっと大きいんですよ。このアート市場に、漫画はコミットしないといけないと思っています。それで、アート市場にコミットするには何が必要かというと、「批評」なんですね。アートというのは、作品を読み解くための批評が無いとアートにはならない。
アートはそれ単体では売れない、文脈や歴史観をいくつも折り込む。それを批評家が読み解くことで、初めてアートとしての価値が生まれる、という説明を、どこかで受けた気がします。
大井:でも日本人は批評というものが嫌いじゃないですか。何故日本人が批評を嫌うかというと、批評というのは本来もっとアカデミズムなものであるのに、学校の感想文の延長線ぐらいだと勘違いしているんですね。
それは80年代くらいに、日本には反教養主義の時代があって、教養とかアカデミズムから離れていくことが、表現に関わる者の使命だという風潮が蔓延した時期がありました。そのせいで、ここ何十年かの技術や知識の蓄積が無くなっちゃったことにも原因があるんですね。たとえば漫画批評でよく「視線誘導」という技術が取り上げられますが、そういった視線を動かす・止める技術というのは、アートの領域で既に体系化されています。これをいちいち皆が自分で発見し直すのは、正直無駄な手間ですよね。
とはいえそういった部分も、生まれながら漫画に親しんでいると問題なく読めてしまうので、気にする人は少ないですよね。
大井:日本人はそれを自然にやっちゃうから、なんて事ないものだと思って言語化しない。でも言語化しないと、日本人以外の人には分からない訳ですよ。 誰かがその内、その辺りを分析してくれる批評を作ってくれるかなと待っていたんだけど、誰もやってこないしその間に村上隆さんがガンガン金を儲けている(笑)。
僕は村上隆さんのことも好きなんですけど、あの人だけしか漫画文化などをマネタイズ出来る人がいないのはキツい。あの人とは別の形でもう一つ、漫画の世界を完全に理解した批評があれば、そちらからも海外のアートクラスに接触が出来て、そこからマネタイズが出来るかもしれない。自分は、「ここ」を作りたいんです。
ただこれをやるには、僕一人で何か言っていてもしょうがないし、僕にはどこかの大学で教授をしているといった、一般の方にもわかりやすいバックボーンが無いので、とりあえず「批評も出来る漫画家」であることを証明するため、ブロマガを配信したり同人で批評誌を作ってみようかなと思った訳ですね。こういった活動を続ければ、最終的にさっき言ったアートの世界にも接触出来るかなと。ものすごく長いスパンの話なんですけどね(笑)。
今回のインタビューで、ロリから熟女もの、SFから批評活動までと、多岐に渡る大井先生の活動の一端に触れられていれば幸いです。それでは最後に、一応我々は学生団体でありますので(笑)、漫画家を目指す学生の方へメッセージを頂けたらと思います!
大井:作家さん同士でもよく言っている話なんですけど、「漫画家になりたい」んじゃなくて、「こういう漫画を描きたい」という気持ちがなければいけないと思います。
それと、「悩んじゃダメ!」ということですね。新人の頃が一番ツラいし色々悩むのは、僕も辛かったのでよくわかる。ただそういうのは、解決法がわからないから悩むんですよね。一度わかってしまえば悩まない。それこそ脚本術とか、理解すれば済むものはさっさと覚えれば悩まず済みます。あれこれ悩んでいる時間は本当に無駄だし、悩むぐらいだったらどんどん漫画を描き上げていった方が、上達は早いと思います!
ありがとうございました!