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【エリア51/ノブナガン】久正人先生インタビュー

古今東西の偉人が兵器として蘇り、宇宙から飛来した侵略者と戦う『ノブナガン』。モンスターから神々に至るまで、ありとあらゆる超常現象を押し込めた街が舞台の『エリア51』。そんな独特な設定の物語を、あますことなく伝えきる画力。久正人先生は「絵」と「物語」という漫画の二大要素を、高いレベルで兼ね備えた漫画家の一人だ。今回は久先生に、創作に関するあれこれや、我々大学生にとって、一番身近で気になる、学生時代の話を聞いてみた。

奇想天外なアイディアの「ひねり出し方」


久先生の作品作りの特徴として、実在非実在問わず、歴史上の登場人物をストーリーにからめていく作劇法が挙げられます。以前のインタビューでは『ドラキュラ紀元』等から影響を受けたとおっしゃっていました。自分達学生には、馴染みの薄いタイトルなのですが。

久:『ドラキュラ紀元』というのは、『吸血鬼ドラキュラ』っていうブラム・ストーカーの、吸血鬼モノとしての古典作品がありますよね。それの「ifもの」とし て、ドラキュラがロンドンに上陸したところで、ヘルシング教授が負けて、イギリスを占拠しちゃうという話で。
バンパイアが王室などの権力をのっとって、バンパ イアと人間が共存してる世界になってるっていう設定。おまけに、現実世界と同じような時間軸を取っていて、作品内で切り裂きジャックの事件が起きたり、しか もその被害者の女性がみんなバンパイアだったりする。で、物語はその事件を解決する探偵モノなんです。それの面白いところは、バンパイアが一般化してる世界なんで、実際の歴史上の人物が出てくるだけじゃなくて実在の人物までもが、人によってはバンパイアになっていたりするんです。オスカー・ワイルドがバンパイアになってたり(笑)
 加えて、古今東西の吸血鬼モノのキャラクターが、その小説に出てきたりするんですよ。たとえば、白黒映画の『ノスフェラトゥ』という映画のバ ンパイアが、ロンドン塔の看守をやってたりだとか。登場人物には全部元ネタがあって、巻末に人物表が載っていて、新しいキャラが出てくると、そこで確認できる。こんなこと商業誌でやっていいんだっていう驚きがあって、これは本当に面白いなと感じました。

初連載である『グレイトフルデッド』の時点で早撃ちキッドとかも出てきますよね。

久:そう、『グレイトフルデッド』のときそれを考えたんでした。だから孫文が出てくるのも同じ動機で。あと『ジャバウォッキー』のときは、『リーグ・オブ・エクストラオーディ ナリー・ジェントルマン』というアメコミも参考にしました。海底2万マイルのネモ船長とか、ジキルとハイドのジキル博士とか、そういうフィクションのヒーローが集まってチームを組んで敵と戦うっていう話。ヒーローが実存するっていう体でチームを組んでるのが面白かったので、やってみかったんです。

そういう作品作りには、それ相応の知識量が必要だと思うのですが、連載の前に資料を集めたり取材に行ったりしているんですか?

久:家からほとんど出ることがないので、取材には全く行っていないんです(笑) その代わり、本は資料をいっぱい買って読んでましたよ。たとえば『グレイトフルデッド』のときなんか、上海が舞台だから、資料で町並みの写真とかすごい見るじゃないですか。それで最近上海に行ったら、すげえ見覚えある風景ばっかだ、知ってるとこばっかだ、とまるで何度も行ったことがあるような気分になりました(笑)
 そういう薀蓄や雑学が自分の勝負できるところかなって思うので、そこを最大に活かせるような話を考えていますね。王道な漫画を描いても他の人に勝てないですから(笑)

資料に当たる際には、まず最初は純粋に楽しんで見るのか、それともネタ探しするつもりで見てるのでしょうか?

久:それはもう両方ですよ。同時にできるようになってる。ただネタになんないかなって思って見ても、何も拾えないですよ。それにそう都合よく今求めてるものが出てこないですから。
もし面白い設定やアイデアの映画あったりとかしたら……たとえば、平山夢明さんという作家の作品で、地図帳が一人称という小説があって。その地図帳を持つタクシードライバーが、実は連続殺人魔で、それを地図帳が観察しながら話が進んでいくという小説なんですが、面白いアイデアじゃないですか。そういう人間じゃないものの一人称で進める作品を何か書こうとしたら、俺だったらどうするかな、とか。
だから、直接何かネタを探すというより は、何か独特のアイデアや方向性があれば、「自分だったらこうするな」っていうことを考えてストックにしていますね。基本的にそのとき必要なものを探すのは無理ですよ。

いつか役に立つと思っていたものが、3・4年後に実際に役立ったりするんですね。 

久:その通りです。蓄えとかなきゃ駄目ですよ。

久先生といえば、どの作品にも恐竜ネタが出てくるくらい、先生は恐竜に関する知識が特に豊富で。そこで色々調べていたところ、先生のお父様は、日本の恐竜イラ ストの第一人者、「ヒサクニヒコ」さんだという、驚きの事実を知ってしまい(笑)  やはり、影響は強かったんですか?

久:逆に親父がそういう仕事をしてたんで、反発して恐竜を好きにならないようにしてたんですよ。恐竜を最初に好きになったのも、『ジュラシックパーク』を見 てからですもん。だから高1か高2のときかな? それまで全然恐竜のことには詳しくなかったです。『ジュラシックパーク』が公開されたあとに、ホビージャパンで恐竜のジオラマとかたくさん特集してて、それが格好良いなって思ってハマりました。

お父様の仕事が、絵を描くきっかけとかにはなったりしなかったのですか?

久:もう覚えてないですね。小さいときから描いてるんで。そういう家ですから、もちろん絵を描くことをやめることもなかった。べつに親父の仕事場には入らなかったので、当時の仕事を見たことはないです。
後々、仕事として父親が図鑑を描く際に恐竜のウロコとか描かされましたが(笑)

う~む、現実はそうそうドラマティックな「親子継承」の物語にはならないんですね(笑) では、「物語作り」に話を戻しまして。本編以外にも、設定が巻末にたくさん描かれているじゃないですか。それらの設定は資料集のようにまとめているのでしょうか。

久:ないですね。ただキャラを作る上で、ストーリーの元だけ考えつくってわけにはいかないから、やっぱりバックボーン的なものは細かくはなくても頭にあると思うんですよ。たとえば、この場面でこういう行動をするってことは、これこれこういうバックボーンがあって、こういうキャラになったからなんだな、っていうのがあるわけですよ。
それを広げればいくらでも物語はできる。それがないと、行動に正当性がなくなっちゃう。よくキャラが勝手に動くとか言われますけど、そういうふうにしか行動できないんですよ。こういうストーリーにしたいな、というイメージがあっても、このキャラならこうは動かないだろうなぁというのが自分でも分かるんですよね。

逆に、生き残って最後まで活躍してもらうはずのキャラとかも、物語を転がすうちに死んじゃったりする(笑) たとえば、『ジャバウォッキー』のアングレームは死ぬはずじゃなかったんですよ。生き残って、主人公達の仲間になるはずだったんだけど、なんか死んじゃったんだよね(笑)  キャラが勝手に死ぬのが、止められない。

設定の話でいうと、先生の作品に登場するモンスターは、一般的な人が持つイメージからアレンジを加えられていて、素晴らしいと思っているのですが。

久:たとえば『エリア51』のバジリスクの場合だと、文献に記してある通りに、まずは頭に王冠を載せました。そしてバジリスクと目が合うと死んでしまったり、口や視線自体に毒がある ので常に顔をむき出しにしているのは危険なんじゃないかと思い、普段は隠しているような設定にしました。そうすると王冠に合わせて、騎士のような鎧を思いつきました。その鎧が開くよう なギミックを考えた際に、ウルトラマンのガボラという怪獣が思い浮かび、それを融合させたら今の形になりました。ユニコーンなんかもそうですね。馬って思われがちだけど、実は元の伝説に馬とはどこにも書かれていない。角があって、山羊の顎鬚、ライオンの尻尾を持った四足獣といった具合です。なので馬にする必要はないと感じて、恐竜のパキケファロザウルス――一時期頭部に大きな角があったのではないかという仮説が出たことがある恐竜なのですが――その骨格を アレンジしてユニコーンに仕上げました。

同じ怪物を取り上げるにしても、先生は作品ごとに解釈を変えていますよね。例えば河童なら、エリア51はそのままですけど、『ジャバウォッキー』では、実は恐竜が正体だったという設定がありました。

久:それは、一時期考えていた河童と天狗の闘争の話が元になっています。
天狗は、ヴェロキラプトルみたいな肉食の恐竜の、人型に進化した種族。カッパはアンケロサウルスとかのヨロイ竜の人型に進化した種族で、戦いあってるみたいな話を考えたことがありました。そのネタ捨てるのもったいなかったんで、ジャバの巻末に小ネタとして入れたんですけど。
実際アンキロサウルスとかが半分水に浸 かって生活してたんじゃないかっていう学説があって、そこから浮かんだアイディアなんですね。

お話を伺っていると、アイディアが湯水のように浮かんでくるような印象を受けます。

久:いや、毎回そこは必死ですよ。なんとしても思いつかなきゃいけないので。アイディア出しは、例えると大きなごつごつした岩があってそれを何かの像に仕上 げる感じですね。最初は何も分からないので適当に削っていく。暫くしたらなんとなく形ができる。そこでアイデアを思いつく感じです。

何か思いつこうという 意識を念頭に置いておかないとアイデアは浮かんできませんね。

なるほど。ではこのセクション最後の質問にしたいと思います。漫画家志望者が陥りやすい2つのパターンに、自分が描きたいアイ ディアを作品に詰め込みすぎて話が破綻する、逆に1つ考えついた先から中々話が転がらない、というのがあると思います。それぞれ、どのような対策があるでしょうか?

久:多分描きたいキャラや設定、世界観がごっちゃになってる人は、アイディアを1個にすれば良いんだと思います。新人は、最初はどうしても読み切りになる じゃないですか。読み切りで、例えばページ埋めようとしたら、アイディアは1個しか入りませんよ。連載の途中の1話だったら、今までの話の流れで説明しなくても良い事も多いけど、読み切りの短編で、といったらワンアイディアしか無理ですから。どれかに絞るしかない。

逆の場合の人は、もっと膨らませないと。40ページにもならないアイディアなんて、アイディアとはいえない(笑) そのアイディアを読者に解るように説明して、なおかつ面白くしようとしたら、どうしたってページかかりますから。

絵柄・コマ割り・アクションシーン

作品を読んで、最初に印象に残るのは白黒のコントラストがくっきりと付いた絵柄です。どういった経緯でこの絵柄に行き着いたのか教えて下さい。

久:現在の絵柄に行き着いたのは、最初の連載を終えてからです。『グレイトフル・デッド』は、読切を載せることなくいきなり連載を載せて頂いた。裏付けがあって 載せてもらったというよりは、担当さんの手腕によるゴリ押しで載せてもらったと思っています。一方で、編集部には泥臭い絵だと思われていたようで。次の作品ではもっとシャープな、一般受けするような絵柄に変えてみようかという話になったんです。例えば、ジャンプに載っているある作品を模写しろと言われてしたんですけど、そこで身に付いたことはあんまり無かった(笑) それ以降も色んな絵柄を試してみたけれど、いくら直しても一般的な絵が描けませんでした。そんな中、以前から好きだったアメコミ作家フランク・ミラーが描いた『シン・シティ』の絵に衝撃を受けて、今の絵柄に近いものを担当さんに見せました。その時にはもう担当さんも、普通の絵にすることを諦めていたので(笑) 「目を引けばどんなのでもいいよ」って感じになっていて、じゃあそれでいけよと通ってしまって。

とはいえ、絵柄を変えようと思ってすぐ変わるものではないですよね?

久:それは無理ですよ、今の絵柄にするのももちろん苦労しました。だってフランク・ミラーの絵は、どうやって描いたらいいのか、見てても解らないじゃないですか(笑)

フランク・ミラーはトーンを一切使わないですけど、久先生の作品にはトーンも使われていますよね。

久:白黒だけで描くのは、ものすごく技術がいることで、これはフランク・ミラーだから出来ることだと思います。僕はトーンを貼らなきゃ無理だなと思ったんですよね。

例えば、彼の絵だと地面とキャラクターと背景が、ちゃんと別々に見える。でも相当なデッサン力と計画性がないとそうは見えないんですよ。僕の場合は輪郭はないまでも、地面にトーンを貼って、キャラを浮き上がらせなきゃ無理だろうな、と思いましたね。でも完全にフランク・ミラーの絵柄にしたいわけでも無いですから。方向性として、この方向を目指している感じです。ここから、自分の方向に行けばいいかなと考えています。エリア51になると、大分自分の絵柄として使いこなせるようになったかなと。

白黒の配色のバランスとかはどうやって決めているんですか?

久:下書きの時は、全部普通に描くんですよ。で、基本どっかをベタで塗りつぶすので……例えば、拳銃のシーンとかだと、普通に拳銃を描いて、こっちをベタにするか、こっちをベタにするか・・・みたいなのを、ペン入れの時に決める感じですね。あと、背景に関しては、ここが白だったら、次は黒にしたりと、なるべく同じ色調のコマが続かないようにしようとは意識しています。

また、先生の描くキャラクターは人・モンスター問わずとても良い表情をします!どうやって描き分けのコツはありますか?。

久:最初、アフタヌーンの四季賞に応募していて、担当さんついたんだけど、アフタヌーンはああいう雑誌だから、表情とかもアーティスティック なことを求められるんですよ。表情は、もっとつけろと。無表情のキャラばかり出さないで、個性的な表情のキャラクターを出すようにと。それで表情を付けるよ うに描いていました。そうしたらマガジンZで書き始めた時に、今度は表情を抑えて描くようにと言われて(笑)

後は鏡を見ながらその表情をしてみるのは大切ですね。実際にその表情をしてみると、顔の筋肉がどういうふうに動くかなんとなくわかるから、実際に見なくてもここを上げればいいのかなぁという感覚はつかめるようになりますね。
ポーズとかも、実際に鏡を見なくてもいいからそのポーズをして、今ここに力入っていて、この部分が前に出ているなとか、感覚で分かる部分は結構あります。

絵柄に加え、久先生の作品で特徴的なのは「コマ割」だと思っています。

久:コマ割りとかで勉強になるなぁと思ったのは、石ノ森章太郎さん。
例えば1ページに横にガーッと8から10コマ割っているページがあって、そこに台詞もあって人も描いているのに全然窮屈に感じなかったり、そういうところはもう、すげぇなと思いましたね。自分の作品の中でも6コマとかで、多用しています。

見開きを縦に2分割して使うのは?

久:それは子連れ狼ですよ。小島剛夕さんのよく使う手で、半分だけ見開き。これも格好いいなって。こうすると普通の見開きよりも、横長になって映画っぽくなるでしょ。
前ゴジラの映画で、ゴジラ対メガギラスっていう映画があって。あの頃の特撮映画は、テレビでやることがなかったんですよ。だもんで、テレビ画面に落とすこと をまったく考えていない画面構成がある。例えばワイドスクリーンの端と端にゴジラとメガギラスが相対しているようなシーンがあって。すごく迫力があるし、 緊張感もあった。ただ、漫画で普通の見開きだと、あの「感じ」を表現出来ない。だから半分サイズで見開きにして、端と端で(キャラクターを)向き合わせるのが手になります。

分割も含め、久先生の作品では毎回見開きのシーンが印象に残るのですが。

久:僕の場合は、見開きの方が作画的に楽な部分もあります。
キャッチーな絵を書けばいいから、目を引くところだけ描いて、細かいところは飛ばしちゃう。逆にそういう手法が使えるなと思っているところがあって。ちっちゃいコマでそれをやっちゃうと手抜き感が出ちゃうけど、見開きでかますと、あえてやってるんだと思ってもらえる。あと、今のバンチの担当さんは見開きをたくさん使って欲しいって言ってますね。やっぱり台詞が多い漫画だから、パッと見開きだけのコマを使って、絵だけのコマを使ったほうが良いのではないかと。なんにしても、絵的に緩急を付けるのが大事です。
映画でいうと、(サバタとかジャンゴの名前のもとになった)マカロニウエスタンっていうジャンルの映画は、予算の関係でセットがあまり組めないから、人間の顔だけのアップが続いて、急にすごい遠景に切り替わったりというシーンが多い。そういう緩急はとても参考にしてます。

小さいコマでもきっちりと形を捉えられていて、奥行感が出ているなと思うのですが。

久:それは漫画家なら出来ないと(笑) 僕はどっちかというと細かい絵は苦手な方です。細かい人は、本当に小さなコマのモブまでしっかり描きますから。一番すげぇなと思ったのは宮崎駿さんの風の谷のナウシカの原作漫画。あれはすごいよね。本当にちっこいコマに、大合戦シーンを描いてありますもん。限られたコマ内 に大きな世界を作れていて、本当にすごいなと思う。自分の得意な大きさはみんな描けるんですよ。それより小さい絵が描けるかどうかが、ある意味腕と言える かもしれない。

グレイトフルデッドのときは描き込みが多かった印象なのですが、近年は線の数が整理されてきてるように感じます。意識して線を減らしていることはあるのですか?

久:まずぶっちゃけちゃうと、実際問題として線が少ないほうが時間がかからない(笑) でも、線を減らしただけでは手抜きに見えちゃうので、そう見えないような描き方を覚えるようにはなったと思いますね。目一杯力を出さなくても済むようになったというか。

頑張って150キロの剛速球投げなくても、130キロの球でコーナー攻めれば打ちとれるみたいな?

久:そんな感じです笑) まあ、描き込みを増やすにしても、がむしゃらに描き込んでるんじゃなくて、効率的に描き込むっていうんですかね。いくら絵が上手くっても……上手い絵で画面全部描き込んじゃうと逆に見にくくなってしまいます。だから描き込む場所とか量のバランスがとれるようになるのが、(漫画としての)絵が上手くなるっていうことの1つなのかもしれません。

描き込みの量は、アシスタントさんとも共有しているのですか?

久:いや、今アシスタントは雇っていないんですよ。以前1人いたんですけど、デビューしちゃったので。まあ、アシスタントといっても、枠線描いて、吹き出しつけたり、あとベタ塗ってもらうくらいしかやって貰ってなかった。ベタとかの修正はパソコン使えば早く済んでしまうので……

実際背景も久先生のタッチがすごい出てるんで、他人には任せられないのでしょうか?

久:そもそも背景はほとんど描かないので、他人に任せるような量じゃない。ワンシーンのあたまにこういう背景ですよ、というキモになるところを読者にきっちり印象付けることが出来れば、あとは背景描かなくても、どこにいるのか混乱することはないので。基本的に作画時間より、ネームとか話作ってる方の時間のが長いから、作画にはそんなに時間はかかっていないですね。

作画の時間を出来るだけ削っていって、そのぶん出来るだけネームを練る時間に充てているのでしょうか。

久:削るというか、結果的にネームの時間が増えていって、作画の時間が削られちゃっています。ネームができるのがほんとに遅くて……たまに、雑誌が出るのがこの日なのに、こんな日にネームがあがってて大丈夫なのか?ていう時が本当にある(笑) ホントにびっくりするくらい。

島本和彦先生の『燃えよペン』の世界ですね(笑)
話は変わるのですが、先生が描くアクションシーンには、並々ならぬこだわりが感じられまして。必殺技を叫んでいるだけのバトル漫画も多いじゃないですか。一方で、先生の戦闘シーンでは、1つ1つのアクションに必ず意味があって、しかもそれを言葉を使わずに絵だけで伝えよう、という気迫のようなものを感じます。

久:あんまりほら、映画で必殺技叫び合うような作品ってないでしょ?(笑) 漫画よりは映画とかのほうを意識してますね。
香港映画とかアイデアがあるアクションがすごい好きで。勝ち方にちゃんとロジックがあるもの。こういうふうに切り替えしたから勝てたんだっていうのがないと燃えないんですよね。なんとなく勝ったっていうのだとちょっと。気合いで勝ったんだとか。

諦めない想いが届いたからだとか、真の力に目覚めただとか。

久:そうそう。山田洋次監督の時代劇三部作、『たそがれ清兵衛』と、『隠し剣鬼の爪』は最後勝つときになんで勝ったのかがわかるんだけど、最後の作品だけは、どうやって勝ったのかよくわからなかった。あれはやっぱり残念なところでした。そういうパズル的なロジックがないアクションは好きになれない。『聖闘士星矢』ぐら いまでいってくれればもう全然いいんですけどね(笑) なのでまずはどうやって、どういうシーンで勝つかっていうキモのアクションシーンや勝ち方を考えます。

こだわりのポイントがよくわかりました!

漫画をひたすら描き続けた大学時代


ここからは、マンガラボ部員にとって最も身近な学生時代の話と、漫画家志望者には最も切実なデビューまでの道のりについて伺っていきたいと思います。
初期の作品から既に相当の画力を持っていらっしゃるように感じるのですけれど、その域に達するには相応の練習の積み重ねが必ず必要になってくると思います。そこで、学生時代にどれくらいの枚数の絵、あるいは漫画を描いていたのかお聞きしたいです。

久:漫画を描くようになったのは、大学に入ってからですよ。漫研入ってから描き始めました。中高は弓道部だったんで、部活が忙しくて。大学では、漫研の期間誌が夏と秋に一1冊ずつ、あと春に新歓用の冊子の計3冊があったんですけど、どれにも必ず載せるようにはしてましたね。ページは相当多くて、40~50、最大で70ページまで描いたことがありますね。

持ち込みとか、賞に応募したりするための原稿は別に描いてたりしたのですか?

久:持ち込みは、大学4年の時から描き始めましたね。本当に就職活動を始めなきゃ、っていう時に、持ち込んだ作品が佳作もらって、もう大丈夫だと思って就職活動やめてし まって(笑) でもそこからが長かったですね。賞は貰えても連載させてもらえず、家の近くの有隣堂という本屋でバイトしたりしてました。グレイトフル デットの連載が始まるまでバイトしてましたよ(笑) バイト先の本屋で、単行本が出たからサイン本を作って欲しいって言われて、レジの中に 入って描いてたんだけど、傍から見てるとサイン本偽造してるみたいにしか見えなかったり(笑)

ははは(笑) なにはともあれ、漫研原稿と併せて相当描かれていることになりますね。一ページ辺りどれくらいの時間をかけていたのでしょうか?

久:朝から晩まで描いてたけど、ペン入れなら一時間に2頁くらい。学生の頃は雑でしたから。

ちなみに、久先生は慶応大学がご出身とのことで。先生が大学に行って良かったこと、吸収できたことといえばなんですか?

久:そうですねぇ……大学に行って良かったのは、文学部というのもあったのですが、課題をこなす内に本や古典を読んで面白いなって思えるようになって、そこから凄く本を読むようになったことですかね。一応、国文学科だったんで、森鴎外とか、中島敦とかも読んでました。中島敦の作品は、漫画家としての心構えを教えてくれました。例えば『狐憑』という作品 なら、現代社会で作家がどうして生きていけるか、っていうのが書いてある。「同じようなことを繰り返してると飽きられるよ」とか、「作家は、社会が不安定 になったら真っ先に必要なくなる厳しい職業なんだ」とか。今考えても漫画家としてクルものが書いてある作品だと思います。

大学に入ってから漫画を描いて、文学も読むようになって……話を聞いていると、どうやって時間管理をしていたのか気になります。

久:基本は部誌の締切を守ること。今考えてみると締切でもなんでも無かったんだけど(笑) あんなモンに間に合わないヤツはダメだよ、と。自分も当時は時間無いなー、と思ってましたけど……時間、あるよ(笑) 学生の時に時間無いなんて言ってたら、やってらんない。プロになって、学生の時 より時間があるなんて絶対ないですから。絶対口にしない方が良いことってあるし、時間無いっていう言い訳だけは絶対しない方が良い。

肝に銘じておきます。賞に受かるまでにいろんな賞に出したり、複数の出版社に持ち込んだりということはしたんですか?

久:無いですね。最初四季賞に応募して、箸にも棒にもかからず。投稿するだけだと何が悪いのか分からないから、次には前のものも合わせて持って行って。持ち込みして読んでくれた人が、担当に付く訳ですよ。そうすると他の所に行かなくて良いかな、と思っちゃうんだけど。

ただ、今思うと、担当さんが付いたとしても、新人さんがデビューできるかどうかっていうのは、凄い才能がある人だったら別ですけど、そうじゃない場合は担当さんのプレゼン能力が時には、その作家の能力よりも大きく掛ってくるので。なんで、担当が付いたからといって安心してはいけなかったんだね、本当は。すぐ載らないようだったら別のところに持ち込みいかなきゃいけなかったな。この人にまかせておけば大丈夫だろうと思ってたんだけど……いい加減やばいな、と思って、マガジンZに持ち込みし直しました。その人は非常に優秀な編集さんだったので、同じ作品持っていったんだけど速攻でデビューさせてもらいましたね。だからフットワーク軽くしたほうが良いですね。どんな編集者さんに当たるかも運だし。
まぁ、持ち込みとか超怖いですけどね(笑) 怖いけど頑張っていく しかない(笑)

志望者が一番最初にぶつかる壁って、編集者じゃないですか。作家志望なんて我が強い方ばかりですから、作家性の強い作品を描きたいと思って持ち込んだ所、編集者さんにもっと一般ウケのいいものを描け、なんて言われるのはよくある話だと思うのですが。

久:その場合は、作家性の強いのが描きたいのかもしれないけど、編集がそう言うってことは、自分の思っているようなのが描けてないんだと思った方が良いですよ。作家性が強いのが描けてたら、絶対編集の人はそれを生かそうとしますから。凄い一般的で、何の引っかかりのないのを描いていったら、それこそなんとも 思わないんで。編集者さんは個性を欲しがってるはずですから。だからそう言われるってことは、描いちゃダメなんじゃなくて、まだ描ききれるレベルに自分 が行ってないんだって思った方が良いです。

学生時代に話を戻しますね。多くの雑誌の編集者さんが、プロの漫画家になるには1日1頁が最低条件だということをおっしゃっていたのですが、やはりそれくらい描かなければ駄目ですか?

久:そうですよ。学生は本当に時間があるのでやってない人は駄目ですよ。

描いてはいるのに、納得しないみたいでずっと原稿直している人とかも居たりとかしますよね。

久:言っちゃあ悪いですが、学生の描くものなんて所詮学生レベルなんですから納得出来ないのは当然ですよ。デビューしたって、自分の理想に比べたら大分下ですよ。そんなこと言ってるなら早く描いた方が良い(笑) それに実際に書いてみないと、どこが駄目だったのかが分からな い。実際に描いて、完成してから3ヶ月後くらいに見直すともっとこうすればいいっていうのが分かるようになるので。

客観的にみれるようになると。

久:そうです。3ヶ月という時間があるのが学生のいいところですよ。プロになったら、プロットの時点で気付かなければいけない。本当に、時間を置いて見れるのは学生の強みです。それを繰り返して次の段階に行く、自分を覚醒させるってことが大事なことだと思います。

長時間にわたり、本当にありがとうございました。最後の質問になるのですが、アイディアが尽きてしまうという不安はないのでしょうか?

ありますよ。今だって毎月いっぱいいっぱいですからね。でも、尽きるってことはないです。だってアイディアは、捻りだすっていうことをやめなきゃ出てく ると思うから。もし何も思いつかなくなったのだとしたら、アイディアが尽きたんじゃなくて努力をやめたんだろう、そう考えるようにしています。


久正人先生プロフィール
慶應義塾大学文学部出身。アフタヌーンの新人賞を複数回受賞したのち、マガジンZ(講談社)で連載。連載2作目である『ジャバウォッキー』は、「人間並の知性を持つ二足歩行の恐竜が、19世紀末まで生き延びていた」という独自の世界観から、連載終了後も根強いファンを持つ。『エリア51』を@バンチ(新潮社)に、『ノブナガン』をコミックアース・スター(アース・スターエンターテイメント)にて連載していた。