施川ユウキ先生インタビュー 【バーナード嬢曰く。/鬱ごはん/オンノジetc……】
10年以上に渡り、数々のギャグ漫画を世に送りだしてきた漫画家、施川ユウキ先生。先月も『バーナード嬢曰く。』、『鬱ごはん』、『オンノジ』の3冊を同時刊行、さらに秋田書店から創刊された新雑誌「もっと!」にて『サナギさん』が復活新連載を果たすなど話題は尽きない。施川先生に、それぞれの作品制作にまつわるあれこれをお聞きしてきました!
1章:本を読まない読書漫画!?『バーナード嬢曰く。』
2章:『鬱ごはん』―読むと食欲が無くなる、異例のごはんもの―
3章:『オンノジ』―少女とフラミンゴと世界の終わり―
4章:『サナギさん』―5年の時を越え「もっと!」にてまさかの復活新連載!―
本を読まない読書漫画!?『バーナード嬢曰く。』
各作品のあらすじ・内容についてはサイドバーをご覧ください。さて、本作の構想はどのようにしてできたでしょうか?
施川ユウキ先生(以下施川):まずはじめは編集に、「図書室を舞台に本をネタにした、ジャンルものっぽい漫画を描いてくれませんか」と言われたんです。最初の内はあまり乗り気じゃなくて「そのうち考えます」と言ってはぐらかしていました。そうしたらいつの間にか締切ギリギリになってしまい、「ヤバい、そろそろやんないと」みたいな感じで大慌てで作りました。
とりあえず「読書家に憧れるんだけど本を読まない」ド嬢というキャラクターができ、そのツッコミ役としての遠藤君、それだけじゃ物足りないからもうひとり、図書室が舞台ということで図書委員の女の子、長谷川さんも出したところで連載を始めました。
当初は世界の名言をネタにしたものでしたが、途中から本そのものを扱ったネタにシフトしていきます。
施川:自分自身、本は好きだけどそんなに読書家じゃないので、ネタが続かないんじゃないかと思ったんです。それなら「名言」という縛りを入れて、名言集を何冊か読みながらそれをネタにしていけば話が膨らむんじゃないかと最初は考えていました。ところが連載として始めてみると、いまいちネタとして弱いかなと思い直しまして、やっぱり普通の読書漫画にしようと方向転換したんです。
それからは随分と描きやすくなりましたね。結局、「読書家に憧れるけど読むのは面倒臭い」というド嬢のキャラクターは僕そのものなので、普段自分が言っていることをそのまま描いていただけなんです(笑) それとSFなら多少覚えがある分野だったということで、連載してから生まれたのが、神林しおりというキャラクターです。コミックスでは2話で神林が出てきますが、元々の連載では4話で出てくるんです。神林がキャラとしてすごく「立った」ので、単行本の時には2話で早々に出し、描き下ろしも加えてレギュラーキャラのようにしたという感じです。
彼女の、超難解で有名だというSF作家グレッグ・イーガンを、「実はみんなよくわからないまま読んでいる」と看破したシーンは、SF好きの方からは「よくぞ言ってくれた」という感想も寄せられているようでした。
施川:イーガンはすごく面白いからオススメなんですけど、実際自分も読みながら「わ、わからない……みんな本当に理解しながら読んでるの?」と思ったからそのまま描いただけです。自分はSFマニアといえるほどではないので、怒られるのは怖いですから一応保険として「分かっていない『に決まっている』」と言わせてはいます。
神林がそこから続ける超解釈も、とてもSF的で素晴らしかったのですが。
施川:作者が自分の本の理解度がどうのこうの、シュレディンガーの猫がどうのという量子論ネタですけど、イーガンも長編で結構ダイナミックな量子論ネタをやっているんですよね。それのパロディにもなっているという……
浅学なものでまったく気づきませんでした!ネタの解説をさせてしまうことになって申し訳ありません……
施川:自分のギャグの説明をするのは、すごく好きなので大丈夫です。正直、ギャグは説明すればするほど面白くなくなっていくんだけど、中々分かってもらえなかったりするので、つい自分から言ってしまうんです。言わないとわからない時点で相当ダメなんですけどね。
インタビュアーとしては、この場で全話解説して頂きたいくらいです(笑)
施川:ギャグに関しては難しいですけど、自分は作り手の側からも作品についてもっと語っても良いんじゃないかと思っています。映画のDVDのコメンタリーが大好きなんですよ。監督とかが自作について語ってるのを聞くと「なるほど、そうかー。この映画作者に愛されてるなー」って思います。「作者は作品で語れ」みたいな、本人が自分から語るなという風潮もありますが、それでツマらなくなるようならそれまでの作品だったと思うようにしています。
実際、あとがきなどで語る先生の作品解説も、単行本の大きな魅力の一つだと思っています。
それ以外にも、ド嬢の各話ごとに差し込まれる読書評や、他誌で手がける映画コラムなど先生の作品解説はどれも作品の面白さの構造に迫るようで読んでいて大変刺激になります。コラム仕事をやるようになったきっかけはなんですか?
施川:自分のブログに映画の感想を載せていたら、それを見た編集の方に声をかけられたので引き受けました。「試写会とかも仕事で行けるようになるだろう」とも思いまして(笑)
映画コラムの末尾に付いている一コマネタも、施川先生らしさが出ていて好きです。
施川:一コマネタに関しては、いつも締切まであと1~2時間というなかで「やばいやばい」と無理やりひねり出しています。本当に時間がないときはダジャレっぽくなりがちですね……
ネタ出しといえば、多くのところで「自分はネタ出しが遅い」と嘆いていますよね?
施川:4コマでもついダジャレというか、「○○だよね、××だけに」みたいな、『ちょっと上手いこと言ってやった』的なネタになりがちなんだけど、そういうのは安易だから注意深く使う必要があると思います。ネタとして成立はするけど、成立したからといってそのネタが面白いかどうかはまた別問題ですから。「ネタとして成立しているからといって仕事として成立しているわけじゃないぞ」というのは、他人のネタを読んでいても思うし、自分の作品作りでも戒めとして心に留めてます。
「××だけに」、という言葉遊び的なネタとしては、ド嬢ではないですが『サナギさん』で雪だるまをお題に、次々と「××だけに」と言い続ける回はすごく面白かったです!
施川:あれはいいですね。あれは、「連続で出すこと自体が面白い」という―今完全に面白さの解説をしにかかっていますが(笑)―ネタで、自分でも気に入ってる回です。読み返しても「よくあそこまで思いつくなー」と他人事のように思います。
ほかに、ネタ出しで苦労されるところを教えてください。
施川:最初の一コマ目が、全然とっかかりを掴めないということはよくあります。たとえば4ページあったとして、締切まであと3日になってもできない、1日になっても1ページ目の1コマ目もできていないという状況があって、ここだけの話ですが、そんな中で編集さんから連絡が入ったときには「7割方できています」と返すようにしています。どういうことかというと、頭の中に思い描いている表では1ページに4分の1の時間を割いているんじゃなくて、9割の労力を最初の1コマ目に充てているというイメージがあるんです。だから、紙の上では実質何もできていないけど1番リソースを割いている1コマ目が、気持ちの上で出来つつあるから、まあ配分的にはある意味7割終わっているという……だから自分のなかでは嘘は付いていない(笑) そんな歪んだ時間軸の中で「あとこれくらいです」というのを編集に伝えて、自分の中では理屈を通しているつもりです!
このままだとズルズルと脇道に逸れてしまいそうなので、一度「ド嬢」に話を戻させて頂きます(笑)
ツッコミ役の遠藤君も、「一昔前に流行った本を読むのが趣味」であったりと意外と読書家キャラでしたよね。
施川:「一昔前に流行った本を読むことがクール」というのがあるんじゃないかと思ったんです。流行にあえて乗らないというか、この時代はこういう作品が流行っていたというのを批評的立場から再検証するみたいな感じで、「一歩引いた目で見ているぜ、俺は」というカッコ良さ……僕が思っているだけですかねこれ。
遠藤君といえば、連載の最終話でド嬢に対する「気持ち」が垣間見えていました。そのことは、連載当初から想定して描かれていましたか?
施川:本人の口からは言わせないにしても、それは第1話を描き始めた時点で既に、図書委員の長谷川さんが「彼はド嬢のストーカー」と言っていますからね。端から見れば大体バレバレなんですよ。
結局『バーナード嬢曰く。』は、「こういう生活・青春いいよね」みたいなすごくわかりやすい話として描いたつもりです。図書室という閉じた世界のなかで、周りに本好きの女の子がいるという「ハーレム漫画」として見れないこともないですからね。
『鬱ごはん』―読むと食欲が無くなる、異例のごはんもの―
施川先生としては初の「食モノ」漫画となっています。こちらも、編集サイドから何らかの提案があったのでしょうか?
施川:そうですね。編集から「次は飯漫画をやって」と言われたのがきっかけです。1番最初に思ったのは、「いやいやいや、できるわけがない」と(笑)
飯漫画というのはごはんが不味そうに見えたらいけない訳で、大・前提条件としてまず絵が上手くないとダメなんですよ。美味しそうに見せるためには絶対に画力がいるけど、自分はそんなのは描けない。おまけに自分自身、そんなに食に興味がない(笑)
だから無理だと断ったんですが、「いいからやってよ」と向こうも折れないので、「じゃあ飯が不味そうで、食に全く興味のないオトコの話をやりますよ?」ってなったんです。
ネットで「読んだら食欲が無くなる」という感想が上がるほど、普通のグルメものとは真逆をいくコンセプトが面白いと思っていたのですが、それは……
施川:それしかできないんだからしょうがない(笑) 不味そうにしか描けないし、食事に興味がないんだからそういう話にしかならないのは当たり前なんですよ。
「この手があった!」というひらめきがあったわけでもなく、やろうと思ったら単にそれしか描けなかっただけです。こんなん描いたら反感買うよ、どっかから怒られるかもしれないけど良いの?っていう。まあ、月4ページだしコミックス出るのも随分先だし、バレないよう細々とやればいいかという感じで連載を始めました。「ド嬢」も、ある意味「読書漫画って……オレ読書家じゃないから、読書家ぶる話しかできないよ!」って描いた漫画だし、似た感じです。
それが3年間のときを経て、ついに単行本になってしまいましたね(笑) 実際、具体的な店名までわかってしまうような描写がありますが、どこかからクレームが入ったことはないのでしょうか……?
施川:まだ何も言われていないからそのままやってるんですけど、怒られればもしかしたら連載が終わるかも、とは思っています……一応気をつけているのは、その商品が不味いとかそういう話にはしないことです。鬱野が何かやらかしたり、単にこいつの態度というかメンタルに問題があって「物が旨そうに食えない」というだけで、そこの店に何か問題があるようなことは描いていないつもりです。
とはいえ、いかんせん業界の基準というものがよくわかっていないまま描いているので……いつか怒られて出版停止、回収沙汰という可能性もゼロじゃない気がします(笑) なので買おうか迷ってる人は、今のうちに買っておいてほしいです!
作中では、鬱野のツッコミ役としてイマジナリーフレンドの黒猫(?)が出ていますが、あのキャラを出すようになったきっかけはなんですか?
施川:最初試しに描いて自分で読んだときに、鬱野に対して「コイツ本当にいけすかねえな、ひっ叩いてやりたい」と思ってしまって……特に序盤の方はドタバタした話も少なく、鬱野がひねたことをずっと言っているだけなので、ツッコミ役がいたほうが読者にもある程度すっきりしてもらえるかと思って出しました。
あとがきで「実体験と作り話が半々」とおっしゃっていました。実際読んでいると、どこからどこまでが実体験なのかがわからなくなってきます。たとえば、蕎麦を食べようとしてセミが飛び込んでくるという話が、気持ち悪さの上で群を抜いてますが……
施川:あんなことある訳がないじゃないですか(笑) あれは、今でも打ち合わせのときに何か物足りないよねという話になると、「例のセミ的な何かが欲しいですね」という代名詞的エピソードになっています。非現実ではあるけど、もしかしたら起こるかもしれないという基準の一つではあります。
『鬱ごはん』は現在も連載中ですが、1巻のラストにはドキリとさせられました。連載が続いているのもあるし、なんだかんだギャグ漫画だと思いながら読んでいたので、よりギャップがあって衝撃的だったというか。
施川:あれはたまたま打ち合わせのときに、こういう話もやってみたら面白いんじゃないということになり、そういえば単行本1巻の最後に入れる話としてちょうど良いなと思いました。単行本では5ペ―ジあるのですが、元々本誌には4ページで載っていたんです。それだとミスリードが上手くできていなかったので1ページ足し、リアルタッチの絵も加えました。
それに単行本をあとから読み返すと、餃子の回で言っていた「ある台詞」とも繋がるので、よりドキッとさせられて良いかなと。
それには気づきませんでした!ギャグの合間にも、少しずつ伏線が貼られていたのですね。次にお聞きする『オンノジ』は正にそういう話でしたが、『バーナード嬢』も『鬱ごはん』も、そういった視点で1度読み直してみようと思います。
『オンノジ』―少女とフラミンゴと世界の終わり―
まずは原作未読者の方へ。ここから先はネタバレ満載ですので注意して読んでください!さて『オンノジ』は、ギリギリになるまで内容がまったく決まらなかったそうですね。いったいどれくらいのレベルで決まっていなかったのでしょうか?
施川:とりあえず、まず始めにタイトルを決めました。4文字のタイトルってよくあるというか、売れそうだなという安直な気持ちで(笑)、なんとなく意味ありげな4文字を付けてみたんですが、それ以外内容については、本当に何も決まっていませんでした。あとはあとがきにも書いた通りです。
そこから、「人のいなくなってしまった世界」を描こうと思いついたのはなぜですか?
施川:ちょうどその頃にあの大震災があり、1話のネームを考えてるときに東北のゴーストタウン化している街の映像を見たのがきっかけです。とにかく「人がいなくなってしまった街」というのが強く印象に残りました。とはいえ、直接震災をテーマにした作品は描けないので、とにかく「人がいなくなるほどに世界が変わってしまった」という部分から話を拡げていきましたね。
『オンノジ』のギャグは、たとえば手紙が入れられなくなったポストがガリガリにやせ細ってなってしまうなど、ほかの作品に比べて非常にシュール・ナンセンス度が高いです。そのことからも、「世界が変わってしまった」という感じがさせたれ、笑いながらも時折ゾクっとしました。
施川:これはよく言われてることで、自分でもちょくちょく言ってるんですが、「ホラーとギャグは紙一重」なところがあります。そういう得体の知れない状況を目にしたときに、この漫画の場合だったらツッコミを入れたり「ガーン!」みたいな漫画的な反応をするけど、ホラーだったら女の子が悲鳴を上げたりだとか、もっと恐怖を演出するリアクションをするでしょう。
ミヤコはその場その時をすべて受け入れますからね。彼女は「過去を持っていない」からこそ、過去に固執せずに目の前の現実をあるがまま受け入れられるんじゃないかって思います。
ストーリーの途中に、ミヤコの記憶が失われているということが明かされるのですが、どうしてそのような設定になったのでしょうか?
施川:読者はいきなりその世界に放り込まれるような状態で読み始めるので、主人公が過去を持たないほうが読み手もその世界に入り込みやすいだろうと思いました。逆にミヤコが何らかの過去を背負っていたら、読者が自分の話として読みにくいだろうと。
それに過去を出すと、その過去に関するエピソードをいろいろ描かないといけなくなるじゃないですか。なるべく後ろ向きというか、「以前何が起こったのか」という話は描かないようにしていたんです。
フラミンゴの男の子を出すというアイディアはどのようにして思いつかれたのでしょうか?
施川:1人だけでは話として寂しいので、何か動物キャラと女の子のバディ的な感じにしようかなというのが頭にありました。ただ、なぜフラミンゴなのかは自分でもわかりません(笑) そういえばニュースで、浪江町で野生化したダチョウが一匹ウロウロしている映像が取り上げられたことがあって、それのイメージでフラミンゴを出したんだとずっと思っていました。ところがあとで調べてみると時系列が逆で、自分の漫画の方が先にできていたんですよ。
それは不思議なシンクロニシティですね……ともかく、彼の登場から物語の流れは変わっていきます。
施川:絶望的な世界で、一人と一匹が肩寄せあって暮らしていく寂しげな話なんですが、改めて読み直すと普通にほのぼのとした「イチャラブ」漫画のようにも見えるんですよね。繰り返し読むと見え方も変わってくると思います。
ただよく見ると、恋愛の話はあまり描いていないです。単にお互いを必要としているということを描いているだけで、そこに恋愛的なドキドキはないというか、極限状態に置かれているからそういうふうにも見えるというだけで、基本は子供と動物の話ですから。
確かに、人が誰もいないという絶望的世界を描きながらも、二人の関係性に絞って考えていくとユートピアにも見えてきます。
施川:僕の漫画の多くはユートピアを、それもすごく閉鎖的で安定した日常がずっと続くかのようなユートピアを描いています。
それが元々何の影響かというと、自分の場合は鳥山明先生です。僕が幼い頃1番最初に好きになった漫画が『Dr.スランプ』なんですが、ペンギン村こそ自分の中にある原体験的ユートピアなんです。あの世界観、ある種ピュアで平和な世界というのがすごく好きで、そういうのをファンタジーの一種として描きたいという気持ちが常にあります。以前描いた『森のテグー』は正にペンギン村的な世界の話でした。鳥山先生は、他者や外界というものを完全に排除した閉鎖的世界を繰り返し描かれていて、たとえば、カメハウスやカリン塔や界王星、いずれもこの世の果てのような場所にある、世捨て人的ユートピアだと思います。オンノジとミヤコの並び姿には、ウミガメと亀仙人、バブルスと界王様のイメージが、無意識に投影されているのかも知れません。
物語途中、ミヤコが恋愛要素をすっ飛ばしていきなり「結婚しよう!」とオンノジに言う展開には驚かされました。
施川:それこそ「スランプ」では、則巻千兵衛とみどり先生が結婚するのですが、恋愛をすっ飛ばして突然プロポーズするんですよ。それとおんなじなんです。「結婚」という関係性・現実だけを進めるという。『ドラゴンボール』でも悟空は恋愛とかすっ飛ばして唐突にチチと結婚しますよね?鳥山明先生ご自身、そういう恋愛要素とかに興味が持てなくて、だからそのまま結婚させてしまえ、というようないきさつがあったと、どこかで書かれていたと思います。ああいうのが理想的というのは、感覚としてすごく解る気がします。男性の考える結婚観って、大体あんな感じじゃないかと。
だからミヤコが「結婚しよう!」と言ったのは、恋愛というよりも「1人にしないで」という約束をして欲しかったんだと思います。それ以降、夫婦になったからといっても、ずっと「結婚ごっこ」をしているだけで、実際夫婦生活があるのでもなく、ひたすら「ごっこ」を続けているだけなんです。
しかし世間一般的には「恋愛があって結婚がある」というのが常識だからこそ、あのシーンが衝撃的に映るような気がします。
施川:「恋愛が楽しい」というのと「結婚」というのは別物だと思います。恋愛というのは気持ちの「状態」であるのに対して、結婚というのは契約、単なる取り決めです。恋愛を描くのと契約を描くのはまた全然関係ない話です。
「ド嬢」も「鬱ごはん」も、一言で言えば「他人から見た自分をひたすら気にする主人公の話」だったと思います。その点『オンノジ』は、そういった「他人」の視線が一切排除されているという点が非常に興味深いです。
施川:「ド嬢」も「鬱ごはん」も他人を意識し過ぎる話ですが、結局他人の世界には踏み込まないぬるま湯的な世界で完結しています。『オンノジ』は、踏み込む以前に他人の世界そのものを消し去っています。表現というのは、何らかの願望とか欲望を形にすることだったりもするのですが、そういう意味では『オンノジ』は非常にグロテスクな話ですよ。ドラえもんの『独裁スイッチ』みたいな設定ですから。「全員いなくなれ」っていう。酷い話です。
社会が存在しない世界で、2人が延々と「結婚ごっこ」を続けている。ずっと成熟から逃げ回っているような話だとも思います。「ド嬢」も「鬱ごはん」もそれは同じですけど。『オンノジ』の最後に写真が出てくるじゃないですか。実は、あれこそが「世界の終わり」なんじゃないかと。それまでの「ごっこ」が終わって、本当の成熟した一つのある形、そういう未来が映しだされてしまう訳です。いつか「ごっこ」が終わるというのが、あの写真に示されている。日常ほのぼの系作品の多くは、繰り返される日常がいつかどこかで終わるんじゃないかというのがあるからこそ、一瞬一瞬が輝いてみえるのだと思います。『オンノジ』は、終わる予感だけがずっと続いている話です。「卵」も「写真」も、2人の関係を強制的に前に進めてしまうという意味では、「終わらせるもの」、恐れるものであるんです。
「ごっこ」、というのをつねに強調されていました。たしかに二人の間には、たとえば口の形の違いからキスもできないといったように、性愛的なものが全く介在しませんよね。
施川:だからこそ「ごっこ」であるし、プラトニックな関係がいつまでも続く訳です。そのおかげで、童話っぽいというかおとぎ話のような話にできた気がします。普通に男の子が美少女と2人だけの世界に取り残されるというよりも、更にひねくれている話になって良かったんじゃないかと……欲望のひとつの形としてみた場合、動物になって小学生の女の子と結婚するだなんてのは、どう聞いてもちょっと頭がおかしいような話で、歪み過ぎだと思いますが(笑)
『サナギさん』―5年の時を越え「もっと!」にてまさかの復活新連載!―
連載を再開することになったきっかけはなんですか?また、久しぶりに彼女達を描いてみていかがだったでしょうか。
施川:連載再開は単純に、「そういえばあれ、もう1度描かないの?」と「もっと!」の編集に言われたから、「えーと、じゃあ……」と描き始めただけです。
久しぶりな割には、「あれ、つい先週まで描いてなかったっけ?」と思うぐらい、ネタ出しはやりやすかったですね。でも、少し絵柄は変わったかもしれません。読み返してみたときに「なんか等身低すぎないかこれ?」と思ったのが影響しているかもしれません。
『サナギさん』は、「キャラクター性を出していく」「小中学生が抱くような妄想を掘り下げていく」といったような、それ以降の先生の作品に共通する要素が組み込まれだした作品です。特に後者は、今でもよく子供時代に考えていたことを覚えているなと感じるのですが。
施川:その前に描いた『がんばれ酢めし疑獄!!』のようなものだけをずっとやっていても限界がある、と思っていました。あまり発展性がないというか、結局のところ「俺の発想を見ろ!」とずっと言っているような話なんです。それよりも、その作家の人間性みたいなものが見えるようなキャラクターをちゃんと描かないと、自分の表現をしている意味がないという気持ちがありました。妄想については、子供の頃をよく覚えているんじゃなくて、今もそのまんまそういう奴なだけだと思います(笑)
現在の「もっと!」の発刊ペースに比べると、ページ数が相当抑えられていますよね。計算したところ、以前のコミックスと同じページ数で単行本になるとなると発売が8年後ということになったのですが(笑)
施川:最初聞いたときは、自分も読切なのか連載なのかよくわからなかったけど、どうやら連載のようですね。もしコミックスを出そうと思ったら、ページ数を増やすなりもうちょっと描かないといけないと思いますが、まだいまのところ特に何とも言えないです。
期待するに留めておきます!それでは最後に、今後の目標についてお聞かせください。
施川:今は、「次何を描いたらいいのかな」と考えているところです。今まで通りのショートギャグで、変わった切り口のものが出来ればやるかもしれません。原作に回った『ハナコ@ラバトリー』という作品もありますし、もしかしたらギャグ以外で描くかもしれません。
自分が何をやりたいのか、何ができるのかというのは、実際にやってみないと中々わからないところがあります。「ド嬢」も「鬱ごはん」も、最初にお話を頂いたときは、やれるともやりたいとも思っていませんでした……将来的なものはわかりませんが、これからもなにかしら描き続けていければと思います。