はっとりみつる先生インタビュー【さんかれあ/ケンコー全裸系水泳部ウミショー】
マガジンが誇るラブコメ作家陣でもエース級の活躍を果たしている中のお一人、はっとりみつる先生。『ケンコー全裸系水泳部ウミショー』の天真爛漫な元気娘「蜷川あむろ」や、ゾンビ好きな主人公のため、自らゾンビっ娘に変身してしまった黒髪ロングお嬢様「散華礼弥」が登場する『さんかれあ』など、次々と魅力的なヒロイン達が登場する作品を産み出している。しかしその制作の裏側では、作品を通してでは決してわからない「意図と戦略」があった!?サービスの「サ」の字も知らなかったという新人時代から、『さんかれあ』にて読者を驚かせた絵柄・作風の一大変化が起きた「本当の理由」まで、先生の漫画家人生の足跡を辿るファン、そしてすべての漫画家志望者必読の入魂10000字ロングインタビュー!
サービスシーンは考えるのも嫌だった!?
初めて絵を描かれたのはいつ頃ですか?
はっとりみつる先生(以下はっとり):昔から絵を描くのは好きでした。それと図鑑が大好きで、自分で図鑑を描いて作っていましたね。「山」の図鑑とか「川」の図鑑とか。川で暮らしている生き物とかではなくて、横の川とかななめの川とか、川の形そのものの図鑑(笑)
そういうことをやっている内に、小学校2年から3年くらいの頃には気づいたら落書きっぽい漫画を描いていたと思います。
その後の学生時代はどのように過ごされていましたか?
はっとり:高校はふらふらとゲーセンに通うただのゲーマーでした。 絵は描いていたけど作品を投稿もしたこともなく、同じ学校にサンデーに投稿して入賞していた子もいたんですけど、「すげーなー」と思うばかりで対岸の出来事でした。漫画家を目指してはいるけれど、漠然と考えているだけで具体的なことは何もしていない、よくある志望者の一人でしたね。
高校卒業後は、専門学校に進まれたそうですね。そこから具体的に将来のことを考え始めたのでしょうか?
はっとり:専門学校に行くと決めた時点で、将来は漫画家になろうと思っていました。
専門学校を選んだのは、同じ漫画家を目指している人に会って刺激を受けたかったというのと、あとは東京に行くための口実でした。実家からは名古屋校のほうが近かったんですけど、親には東京校しかないんだと嘘を付いて説得しました(笑)
専門学校生のときはどんな学生でしたか?
はっとり:自分ではさぼっているつもりだったんですけど、周りの人と比べると相対的には頑張っている方でしたね。あの頃が1番睡眠時間削って漫画描いてたと思います。夏休みに1本作品を描いてこいと課題を出され、1日2~3時間睡眠を1ヶ月近く続けて、30ページほどの作品を描き上げました。今もブログで「睡眠時間削らなきゃ!」とは言っていますが、「うわー6時間ぐらいしか寝れないー」とかそんなレベルです。基本は8時間寝ないとやれない人間なので。昔と比べるとすごくぬるい(笑) あの頃はよくやれたなっていまだに感心します。
それで夏休み明けに作品を持っていったら、他の生徒は誰も描いてきていなかったんです。みんな本気で漫画家になる気はないのかな、とそこからモチベーションが下がってしまって、あまり漫画を描かなくなってしまった時期もありました。
そんな中、再び漫画を描けるようになった転機はあったのでしょうか?
はっとり:専門を卒業してから1年くらい、投稿作を描こうとはしていたのですが、実質1本も描けませんでした。周りの友達も同じ感じで、目指す目指すとは言いつつなかなか描こうとしない。なんとかこのぬるい空気を断ち切りたい!と思って、「俺、漫画家諦める」と周りに宣言したんです。まあ、今思えば嘘だったんですけどね(笑) とにかく、自分は趣味で描くからみたいな感じで、当時の嫌な空気から逃がれようとしたんです。実際、趣味で描くという気持ちになってからはすごく気楽に漫画を描けるようになりました。内心、「気楽になったらまた漫画描けるだろうな」とも思っていて、それで描いたヤツを持ち込んでしまえば良いじゃんという、打算的な面もありました。できちゃったモンはしょうがない、持って行くしかない(笑) そこではじめて、自分の足で持ち込みに行くようになったんです。
1番最初はどこに持ち込みに行ったんですか?
はっとり:講談社の『アフタヌーン』でした。芦奈野ひとし先生の『ヨコハマ買い出し紀行』が大好きで、最初のうちはやっぱり好きな作家さんが載っているところで描きたかったんです。
ところが持ち込んだときにまず言われたのが「とにかく暗い、地味」。当時はパンチラとか描くのが大嫌いで、描くのも苦痛なほどでした。いかにも新人がアフタヌーンの四季賞に投稿しそうな作品というか、そういうサービス一切なしの漫画を描くのが大好きだったんです(笑)
現在の作風から考えると驚きです!そこから何故今の様な作風に変わったのでしょうか?
はっとり:なんでこんなサービスサービスした人間になったかというと、編集さんのおかげなんです。
アフタヌーンの次に持ち込んだ『モーニング』も駄目で、その頃には「まずは作品が載ることが大切なんだから雑誌は選ばない」という気持ちになっていました。それなら1番チャンスがあるのは若い雑誌だろうと、当時できて1年半ぐらいだった『ヤングマガジンアッパーズ』に持ち込んだところ、初めて担当が付いたんです。
その担当に、「君は女の子が可愛く描けるんだからもっとサービスシーンを入れろ、手始めに『パンチラ』を描け!」と言われたんです。
そのアドバイスを受けて、すぐさま今の作風に転換していったんでしょうか?
はっとり:最初は媚びるのが嫌で嫌で(笑) ラブコメ自体も描いたことが無かったので、最初は突っぱねていました。ところが、初めてパンチラを描いた作品がそのまま入選、その作品をベースに1年後には『イヌっネコっジャンプ!』の連載が始まったんです。最終的な単行本の売り上げはそれほどではなかったのですが、アンケートは1話目が雑誌2位で、11話目の時点で1位。「なんだ、これが良かったのか!」と当時は思いましたね。
編集さんの助言のおかげで、自分の中の才能に初めて気がついたんですね。
はっとり:作っている側だと、意外と自分の得意分野って気づかないものなんです。そういう意味で、編集さんは漫画家にとって大切な存在です。
作家さんによっては1人でなんとかしてしまう方もいらっしゃいますが、自分はどっちかというと編集がいないと描けない人間です。頼り切るって訳じゃないんですけど、本人にもビジョンがある編集さんと作品を作っていく方が自分は面白い。「なんでも描いていいです」という方が相手だと正直描きにくいというか、描いていてあまり面白くないです。「はっとりさんこういうの描いたことないようだけど、どう?」と意外なものを持ってきてもらえるとまず自分が面白がることができます。『さんかれあ』もまさにそういった感じで、話を振られるまで自分が「ゾンビ漫画」を描くとは思ってもみませんでした(笑)
そういう「自分では気付かなかった部分」を引き出してくれる編集さんと、作品を作っていけると嬉しいですね。
はっとり先生の制作現場!
ネームを切る手順を教えてください。
はっとり:まずは編集さんと駄弁りながらの打ち合わせで、おおまかな話のアイディアをメモにとります。それを元に喫茶店に行ってもうちょっとページを割ったプロット、おおよその舞台と誰がどこにいるのか、肝となる台詞だけを漠然と書いておいたものをB5用紙2枚くらいにまとめます。上におおよそのページ数も書いておいて、それをベースにネームを切ります。この見せ場のシーンが大体何ページにくるというのを先に知っておいたほうが、先がわからない状態で描き進めるよりも計算立ててネームを切れるので。そのあとに絵を入れたネームの作業に移っていきます。
ネームを描くときのこだわりのようなものはありますか?
はっとり:自分にとっていつもの「ゲン担ぎ」みたいなものとして、自分はネームを描くとき1番最初に「扉絵」を描いてしまいます。扉絵は最後まで残しておく作家さんも多いでしょうけど、自分の場合扉絵が決まると気持ち良くネームが進むんです。逆に扉絵が決まらないとどうにも気が乗らなくて……良い扉が描けると、早くそれを描きたくてネームをテキパキと仕上げようと思うのかもしれません(笑)
それでは、ネームを原稿に起こすまでの作業行程を教えてください。
はっとり:下書きの前にネームを1回パソコンに取り込みます。パソコン上で枠線を引いたあと、薄ーくネームの絵を原稿の 紙面に載せるためです。ネームを切ったときとは全然コマ割が変わることもあるんですけど、一応下地にちょこっと置いておくんです。
なぜそんなことをするかというと、ネームで描いた時の絵の方が意外と良かったりすることも多いんですよね。ネームって描いていると気持ちが段々乗ってくるので、そっちのほうが勢いがあって良かったりします。その生理的な「気持ちよさ」を、できるだけ中間を挟まずダイレクトに原稿に取り込んで残しておきたいから、あえてネームを下に置いて下書きを描くんです。ネームだけで良すぎる場合は、下書きも描かずネームから直接ペン入れすることもたまにあります。気持ちが入ってくると下書き並に描きこんじゃって、そのまま原稿に使えることが結構あるんです。
「ペン入れするごとに絵が死んで……」というのは漫画家さんがよくいう嘆きの一つの気がします。それでは現在ペン入れで使っている道具を教えてください。
はっとり:ペン入れにはフォトショップを使っています。コミックスタジオはちょっと触ってみたんですが、線がスルッといく感じがどうも自分には合わなくて。コミスタは集中線ツールが便利なのであれだけ使っています。
ペン入れが『さんかれあ』から極端に遅くなったんですけど、それはデジタルにしたからです。デジタルのメリットでもありデメリットでもあるのですが、気に入った線が出るまでひたすら描き直せてしまうんですよね。顔の輪郭の線を描くとなったら、描いてはショートカットキーで消して、描いては消して……の繰り返し。運良くいい線が出るまで頑張らないといけない(笑)
他に、デジタルならではのテクニックはありますか?
はっとり:ペン入れのときは、キャラクターの本体と、顔とほっぺたを別のレイヤーに分けて描いています。顔って本当にデリケートなパーツで、ちょっと位置がズレてるだけで表す感情が変わってしまったりするので、顔だけ別レイヤーにしておいてあとでいつでもいじくれるようにしています。髪と一緒にまとめてしまうと、あとの修正が大変になってしまいます。顔のパーツは細かく修正することが多いというか、全てを管理しておきたいので、細かくレイヤーを分けるようにしています。
先生の作品では、カバー裏などに設定資料集などが大量に掲載されています。連載を始めるまでに、どれくらいの設定資料を書きますか?
はっとり:結構書く方ですね。『さんかれあ』の連載前では50枚くらい描きました。没案も含めて、殴り書きしながら固めていく感じです。実際に作品に使われているのに絞ると、20枚くらいになるかと。
自分の場合、設定というよりも半分ネームを切っているというか、イメージボードに近い感じで描いています。できたキーになる設定のなかで、ちょっと喋らせてみたりとキャラクターを一度実験的に動かしてみるんです。「本当にこのキャラクターで動くのか?」という手応えを、連載が始まる前に掴んでおきたくて。
自分のアシさんが書いてくる設定でありがちなものとして、たとえば「元気な女の子」「クールな女の子」ってどれだけ設定として書きこんであっても、どう「元気」だったり「クール」なのかがいっこうに伝わってこないことが多いです。じゃあこの娘が食べ物を食べるとき、どういう風に元気の良い仕草をするのか、この元気なキャラとこのクールなキャラが話すときにはどういう会話をするのか。そこまで落としこんでいかないと、キャラクター設定って意味がないです。
単体の設定だけだと、どんなに詳細に作りこんでも全然動かない。きちんと「生きた」キャラクターを作るために、文字の設定だけではなく台詞として、キャラクターとキャラクターの掛け合いを中心に描くように心がけています。
先生の描く女の子の私服が毎回可愛いのですが、描くときの資料などはありますか?
はっとり:昔は女性向けファッション誌を定期購読していた時期もありました。今だとネットの通販で服を売っているサイトをよく参考にします。もともと可愛い女の子を描くのは好きだっていうのもあるし、女の子が見ても「可愛い!」と思ってくれるような服にしたいというのはあります。「こんなの着ないよダサい」とは思われたくない(笑) これは単純に、その人の好みの問題ですけどね。
設定集などはご自身の作品作りに使うのはもちろんのこと、編集さんとの打ち合わせのためにも必要なものですよね。
はっとり:自分は、作った資料は嫌がらせのように全部編集部に送っています(笑)
なんでそんことをするかというと、漫画家はまず自分で面白さを編集さんにプレゼンしないといけないんですよね。要するに、漫画家は連載が決まってから作品を考えるのではなく、編集さんにネタを見せて面白がられたら連載のチャンスが回ってくるので、漫画を描く以前にどれだけ編集さんに面白いと思ってもらえるかが大切なんです。作品を作る前には、編集者さんを口説いて納得してもらわないといけない訳です。そのための熱量が高まってくると、ドンドンと枚数が増えます(笑) そういう熱量のようなものを込めることで、そこから何か新しいもの・面白いものが生まれるんじゃないかと思って、ウミショーの頃からやり始めたことです。
でも、結構効果的なんですよね。やっぱり編集さんは漫画家の情熱や、熱量に折れる部分というのは多々あるように感じます。最近の若い子には冷めている子も多いから、2日に1回、「新しいアイディアできた!」と嫌がらせのように編集に電話するような人は少ないようです(笑)
先生は『ウミショー』で週刊、デビュー作の『イヌっネコっジャンプ!』などを掲載したアッパーズでは隔週、そして現在の『さんかれあ』が載る別冊マガジンが月刊と、様々な連載形態を経験されていますが、それぞれの違いを教えてください。
はっとり:その3つを全部やった作家というのはそんなにいないですよね(笑) 結論から言うと、自分としては月刊が1番楽しくて、隔週が1番嫌です(笑) 隔週は2週間という日程のバランスが本当に難しくてやりにくいです。1か月って5週月のときもあるから、唐突に1週間休みができたりするんです。結局ダレて、1週間ぼーっと過ごしてしまい、残りの1週間で大慌てで仕上げてしまったり……
週刊だと、月曜日にネームをして、火曜は……という型さえ決まれば、あとは毎週の習慣として回していけるので、週刊連載って意外と楽なんです。自分の場合、肉体的には苦痛ではなかったのですが、週刊連載はむしろ精神的にキツかったです。自分は飽きっぽい性格なので、どちらかというと散らかった作り方をしたいのに、週刊だと自分の手のスピードだとその1本にかかりっきりになって頭が煮詰まっちゃうので、あんまり好きじゃないんです。『ウミショー』の後半はどうしてもネタの繰り返しが多くなって「これ前もやったよなー」と思いながら描き続けるのがしんどくて、精神的にかなりまいってしまいました。
だから今のところ自分には、作業ペース的にも月刊が1番合っているんだと思います。それに月刊は、自分で触れる作業の部分を増やせるのも個人的には嬉しいことです。
隔週でも週刊でもそうなんですけど、アシスタントを大勢使って作品を作っていると、自分がまっさらな紙にささっとペン入れしたものを、パッとアシスタントさんに渡しただけで背景も色も付いて上がってくるということに、ある日ふと違和感を感じてしまうんです。自分で描いているという実感が伴わないのに作品ができてしまう。効率ははっきり言って悪いし、他の作家さんから見ればなんでそんな無駄なことしているのかと思われるかもしれないんですけど、自分は「実感」が欲しいんですよね。アシスタントさん達が嫌いなワケではもちろんないんですけどね。
最近とある仕事で、久しぶりに背景から仕上げまですべて自分でやったのがすごく楽しかったんです。日にちは馬鹿みたいにかかったけど(笑) やっぱり商業漫画家だと、どうしても売り上げなりなんなりも考えないといけないんですけど、そういうのを抜きにしてやっぱり物を作るのが好きなんですよね。
なんだかんだで月刊が性に合っているので、今後も月刊を中心にやっていくと思います。
『さんかれあ』で作風が変わった「本当の理由」
先生の作品のお話作りの特徴として、『さんかれあ』でもそうなのですが、まず1巻の初めに「一番大きな謎」をどーんと立ててしまうところがあると思うのですが。
はっとり:そういわれると多いですよね。クセみたいになっているので、次回作からは考えたほうが良いんじゃないかと今思ってきました(苦笑)
ともかく、これはマーケティングみたいな話になっちゃうんですけど、単行本全体で1番大事なのは「1巻のヒキ」なんです。とにかく1番最初で引き付けてナンボだし、1巻のヒキの強さで2巻目以降を買ってもらわないといけません。そのためには、1巻の中にどれだけ引き付けるものを入れられるかが鍵です。そのためには大きな謎や伏線をどうしても入れてしまいます。
1巻目の売り上げが伸びないと、編集部側や書店側がプッシュしづらくなります。逆に一度跳ね上がると、部数が落ちるスピードはかなり緩やかになります。それ以降は、たとえつまらなくなっていったとしても「惰性」で買ってくださる読者が一定数いらっしゃるんですよね。袋も開けていないけど、とりあえずは買ってはおくという。それも売り上げとして数字には残ります。
「この作家だから買う」という読者は、思った以上に少ないんです。たとえば1巻あたり数十万部の売り上げを出している作品の作家でも、漫画家個人の名前で売り出す短編集は2万部も出れば多いほうです。作家ではなく作品に付いているファンがほとんどなので、次の新連載を立ち上げると、それこそ「惰性で買われているファン」の人などはそこで切ってしまうんです。『さんかれあ』の「れあ」が好きだから『さんかれあ』を買っているのであって、自分が別の作品を描いたら、「れあ」が出ていないから買わなくなる、そういうファンの方が実は沢山いらっしゃいます。色んな編集さんとも話したんですけど、前作で数十万部のヒットを飛ばして同じような感覚で次回作を描いてみたところ、ふたを開けてみれば想定していた数字の大分下だった……というのがザラにあるのは、そういうことなんだと思います。
自分の中では、そうやって「切られる」のは前提だと思っています。だったら新しいものを、生まれ変わった気持ちで描いていくほうがまだ可能性があるんじゃないか。そう思って描き始めたのが『さんかれあ』なんです。
確かに『さんかれあ』では、特に絵柄の変化が急激で、当初は驚かれた読者も多かったのではないでしょうか。
はっとり:「え、これウミショーの作家なの?」とはよく言われました(笑)
『ウミショー』までは自分のセンスみたいなもので突っ走っていってもなんとか食べていけたんですけど、30代にもなって、「そろそろ自分のセンスとか才能ではここら辺ぐらいまでが限界だろう」と悟ったときがあったんです。自分がラッキーだったのは、読者とのすり合わせをそこまで考えすぎなくても、たまたま10年くらいは食べていけたことです。それでも、このまま同じことを続けてどんどんと縮小再生産になっていって、漫画家として終わっていくのは嫌でした。だから、ある意味これまでの自分を全て捨ててでも、新しい自分に変わっても良いんじゃないのか?『さんかれあ』から絵柄が変わったのは、つまりそういうことです。
相当な覚悟の上でやっていました。結果が出るまで、特に単行本1巻目の売れ行きが分かる1週間前までは、寝ようとしても寝られない食べたものは戻すと、とにかく酷い有り様でした。変わろうと頑張った結果がここで出る、間違っていたらどうしよう……とただひたすら不安でしたね。
しかし、今や『さんかれあ』は別冊マガジンの看板作品の一つと呼べるほどになっていると思います。実際に作風をガラっと変えたことによって、先生ご自身の心境の変化などはあったのでしょうか。
はっとり:実際に変えてみて気付いたのは、あれだけ変えても見る人は見てくれるし、昔からの人も結構ついてきてくれているということです。もちろん、「昔のほうが良かった」と言う人も多いとは思いますけどね。それよりも、より多くの新しいファンを得られたということが大きいんです。「自分らしさ」を自分の中で勝手に決めつけちゃって、それを守って作っていても駄目だというか、そういう風に作らなくても多くの人に共感されたり喜ばれたりするものが作れる。そこがわかったというのが良かったです。
だから、『さんかれあ』が終わったら今の絵柄をすっぱりと捨てます。それで駄目な絵になったと言われるかもしれないけど(笑) でもそれぐらいの気持ちで自分を更新していかないと、流行り廃りが激しい今の時代は生き残っていけないと思います。来ているアシスタントさんにも「3年に1回は絵柄を変えろ」と良く言っています。それぐらいでないと、今の時代じゃ流れについていけないと思うんです。
そうやってどんどん変えていくと、自分の「個性」だった部分も消してしまったりはしないのでしょうか?
はっとり:「これが自分の個性だ」と変に意識しなくて良いと思います。アニメのキャラクターデザインを多数担当されている方とお酒を飲みながら意気投合したことがあったんですけど、そこで同じようなことを言っていたんです。その方は、「捨てても捨てても残っているものが、その人の『個性』なんであって残そうと思って残しているのは個性とはいえない」とおっしゃっていました。本当は、亡くなったある方を偲ぶための会をホテルでやっていたんですが、お互いで「そうそうそう!」と会そっちのけで二人でずっと喋っていました。偲ぶ会で偲ばずに大盛り上りしちゃって、まったく死を偲んでないよこの2人!という(笑)
とにかく変えても変えても、それでも残っているものがある人がプロになっていくのかなと思っています。
そのような中で生まれた『さんかれあ』は、先ほど「自分がゾンビ漫画を描くとは思ってもいなかった」とおっしゃっていましたが、どのようにして連載案がまとまったのでしょうか?
はっとり:『ウミショー』が終わって「週刊はもう辛いから嫌だ!」と出ていってから、「別冊マガジンという雑誌を新しく出すから描いてみないか」と声を掛けて頂いたんです。
最初は「ダークファンタジーを描いてみないか?」という話だったんです。はじめの内は正直断ってほうっておいたんですけど、たまたまゾンビ映画を観ていたら「ゾンビもの、ダータファンタジーものをはき違えた微妙な感じが逆にいいな」と突然ひらめいたんです。
とはいえラブコメにゾンビを足した作品は、すでにいくつかあったんですよね。実際自分もゾンビものをやろうとしたときに、被らせないためにも試しに世に出ているゾンビ漫画にかなり目を通したんです。本気でサバイバルものをやっているものもあれば、毛色を変えたラブコメものもあったんですが、大体女の子の首が簡単にもげたり、肌が緑色の女の子とか、女の子がゾンビであることを前面に押し出したものが多い印象でした。そっち系はたくさんあったから、自分はそこじゃないものを目指そうと。「ゾンビなのに、見た目はゾンビじゃなさそう」って、案外誰もやってないよねと思ったんです。それはもはやゾンビものとは言えないのかもしれないのですが(笑)
題材はよくあるものでも、そこからいかに「ズラ」していくかが大切、ということでしょうか。
はっとり:そこらへんは「見つけた者勝ち」みたいな部分があります。今だと流行りの絵を描くのはみんな出来ちゃうから、今は逆に「アイディア勝負」の時代だと思います。まだ誰も手を付けていなかった意外な部分を誰が先取りするか、新人ベテラン問わずそこにかかってくるかと。『テルマエ・ロマエ』なんて素晴らしかったですよね。あの作品を描くために、前から好きだったり調べていたりしたのでしょうけど、そういうその人ならではの視点が必要だと思います。漫画とかゲームとかアニメだけだと偏っちゃう部分があるから、それ以外のところで好きなものがあるとすごい「武器」になります。それが多ければ多いほど、使える引き出しが増えます。
アニメ作品を隅隅まで観ていれば、アニメ化するような作品が描けるかと言われればそれは別の話で……自分もアニメ自体は好きなのですが、追いすぎると狭い方向に行き過ぎちゃうので、そのあたりはアシさんとかに今どの辺が流行っているのか聞き出して、自分でも調べ漠然と旬の絵柄を捕えるぐらいに留めています。少し頭の片隅に置いておくぐらいのスタンスが自分は好きですね。普段はテレビアニメをまったく見ない人間が、2度もアニメ化しているんだからあながち間違ってはいないかと(笑)
実際『さんかれあ』はアニメ化もされましたが、アニメ化以前以後で環境に変化はありましたか?
はっとり:アニメの依頼を受けるのは結構難しくて、実は『さんかれあ』も一度は断ったんです。仕事量が極端に増えるのは目に見えているし、アニメが終わると自分の作品までもが終わったような気分になっちゃうんですよ(笑) 燃え尽き症候群じゃないけど、そこらへんが難しいんです。
それにアニメ化すると、単行本自体の売り上げはびっくりするほど跳ね上がるんですけど、アニメの売り上げとは別なんですよね。アニメが売れないでいると責任感を感じるし、自分だけ生き残ってしまったような罪悪感があってそれも辛い。なので、さびしい話ですけど「アニメにはまったくタッチしない」というのも、漫画家にとっては一つの手なんです。そうすれば気持ちがそっちに引っ張られることはありませんからね。
それでも、同じ「物」を作る人間が相手なので制作側に回るのはすごく面白いです。漫画って基本一人で作る物だから、皆で作るアニメの現場はものすごく刺激になるし、色んな才能を持った人間が山ほどいます。そういった人達が協力して一つの作品を作り上げている様子を味わえるのは本当に楽しい。正直自分の作品が原作のアニメは、放映される前が1番好きです(笑) 作っても放映しないで、楽しい気持ちだけ残しておいて……というのが偽らざる本音です。
最後に、漫画家を目指す学生の方にメッセージを!
はっとり:今は昔よりもデビューまでのハードルは低いかもしれません。雑誌の新人賞をとらなくても、ウェブで話題になるとか、同人で人気が出てスカウトされるとか、色んな方向性で発表する場がありますよね。
半面、デビューしてからのほうが人が溢れている状態なので、その中で特色を付け2~3年スパンではなく、10年~20年単位で生き残るために、どういうものを作っていけばいいのかが重要になってくると思います。
絵でも良いし話の仕掛けでも、「腋フェチ」でも何でも良いんですけど、自分が物凄く強くこだわっていることを、まずは本当に大切にして作品を作って欲しいです。それと同時に、その強いこだわりを完全に捨てられる勇気も持って欲しい。その両方が必要だと思います。こだわりを、「これは絶対にオレだけものだ」と思うのも大切ですけど、ときにはすべてを捨てて新しい可能性を探さないと縮小再生産に陥ってしまいます。こだわりすぎちゃうと、新しいものを取り入れなくなってしまったり、気づくと時代から遅れていっちゃったり。
それでも、自分のこだわりを捨ててしまうのは怖いことかもしれない、かなり勇気がいることです。ただ捨てたからといって、自分の本当の個性がなくなる訳ではありませんので。なんでこんなことまで考えているかといわれれば、「ベテラン」と言われるほどには漫画家業を続けてきて、生き残るためにはそういうことまで考えないといけない、苦しい状況にいるからなんですけどね(笑)