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無題

 さっき買ってきたばかりの花瓶に、さっき買ってきたばかりの花を生ける。いずれもさっき買ってきたばかりであるということはつまり、この部屋には花瓶の定位置はまだないということを意味する。
 さて、と見渡すほどの広さがあるわけでもない部屋を一応は見渡し、陽の当たり具合や、花瓶が安定して置けるかどうか、そんなことを勘案したのちに、恐らく仮の位置にはなるであろうレコードプレーヤーの上に花瓶を据え、近くで花を眺めてみる。それから少し距離を置いて座り、また花を眺めてみる。
 たまたま通りがかった古道具屋の片隅で埃を被っていたのを見つけ購入した花瓶は、白の釉薬を施した素朴な風合い、茄子のような自然な曲線が美しい。
 花は明るいオレンジのガーベラ、それから、この歳まで生きてきて初めて見るような、緑色の菊だ。この取り合わせが良いのか悪いのか、客観的にはどう評価されるのか、全くわからない。単体ではそれぞれ綺麗なものを、いざ組み合わせてみた様はいかにも、素人の選択に見える。しかしこれは自分のために飾ったものであるし、鑑賞者も自分でしかない。とりあえずよしとしよう。

 花でも置けば、部屋がパッと明るくなるかと気まぐれな思いつきでした事だが、果たしてその効果は疑問だ。今まで花など飾ったことがない空間に突如として、場違いな物体が存在している、としか表現のしようがない。
 慣れの問題なのだろうか。人は、被った事のないスタイルの帽子を試着して鏡に向かうと、自ら吹き出してしまうほど似合わないと感じることがある。しかし赤の他人から見た場合には、決してそこまで似合わないという事もないらしい。見慣れないものを見た違和感が優っているだけだと。この花瓶そして花もつまりは、ここに有り続ければいずれは、なくてはならないものになる日が来るのだろうか。
 しかし同時に、その違和感こそが存在を際立たせているとも考えられる。それが当たり前にいて風景の一部に溶け込んでしまった時、人はその存在を忘れ、歯牙にも留めなくなる。例えば、意識もせずによく通る道の一角が突然更地になった時、そこに何があったのか全く思い出せないということは、ままある。
 存在とは何なのだろう。望まれる存在。望まれない存在。心地よい存在。耐え難い存在。初めは望まれていたのにやがて疎ましがられる存在。変貌する存在。不変の存在。太陽。月。山。海。草木。都会。そして人々。
 私の部屋に飾られやがて朽ちていくためにだけ存在しているこの花。希望。失望。忘却。
 目の前の花の存在はまさに、私の思考を宇宙の果てまで旅立たせようとしている。

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