投資銀行部門というビジネス
投資銀行という単語を聞いたことがあるだろうか。恐らく多くの方の答えはイエスだろう。では実際に投資銀行が何をしているのか、説明できる方はどのくらい居るだろうか。また投資銀行と投資銀行「部門」の違いを理解しているだろうか。この辺りになると多くのビジネスパーソンはうまく説明できないだろう。何となく「株を売買して大儲けしている人達」や「M&Aに関する何かをやっている人達」と言うような漠としたイメージしかないのではなかろうか。勿論普段の生活をしていて投資銀行と直接仕事をする機会も少なくその必要性もないが、事業を経営する方あるいはそれを補佐する方は投資銀行とは何かを知っておいても損は無いと考えている。特にクロスボーダーM&Aが増えている昨今のビジネス環境においては投資銀行(特に外資系)と関わる機会も増えてくるため、本稿ではそもそも彼らは何をやっており、彼らの事業構造はどのようになっているか、そして彼らはどのようなインセンティブで動くのかを分析を交えながら解説していきたい。
【投資銀行は「投資」もしないし「銀行」でもない】
まずそもそも投資銀行とは何をやっている会社かということを解説したい。投資銀行と書くと文字通り「投資」をする「銀行」だと思ってしまうがこれは大きな誤解であり、実は彼らは(原則として)「投資」もしないし「銀行」でもない。彼らは要するに法人向け(機関投資家向け)の証券会社である。投資銀行の中にトレーダーと呼ばれる株の売買を行う職種があり、また投資という単語が名前についているため投資を行っているイメージがどうしてもあるが、投資銀行の主たる業務は企業や国家が発行する証券(株、債券など)の売買を仲介する証券業務である。(その際に証券の売買をする際にトレーディングが発生する。)このように書くとゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーといった投資銀行が実際に投資をしているではないか、という声が聞こえてくる。確かにゴールドマン・サックスには三洋電機やUSJに投資をしたファンドがあるし、モルガン・スタンレーの傘下にも日本最大の不動産取引(2007年に全日空からモルガンス・タンレー傘下のANAインターコンチネンタルホテル東京などを2,800億円超で買収した案件)を行ったファンドがある。しかしこれらはあくまで派生事業であり(ただしそれが大きな収益源となり様々な問題を起こし現在は規制が強化されている)、投資銀行の主な業務はあくまで証券業務である。
【投資銀行は大きく二つに分かれる】
投資銀行の中は大きくプライマリー業務とセカンダリー業務の分けられる。前者は発行体(主に企業)の資金調達を支援する業務であり、後者は機関投資家(生命保険会社、年金基金、信託銀行など)の売買を支援する業務である。要するに前者はお金が必要な人達を相手にし、後者はお金を運用する人達を相手にした商売である。そして前者の業務を担当するのが投資銀行部門であり後者はマーケット部門(株式部、債券部)が担う。この二つの間では様々な利益相反が起きる可能性があるため、マーケットサイドと投資銀行部門サイドの間には厳格な情報隔壁が存在する(としている)。そのため同じ会社であってもメールで連絡をするにも管理部門を通じてやり取りを行う必要があり、また電話も勿論録音されるている。
以下では投資銀行部門(Investment Banking Department;以下IBD)について解説する。IBDには三つのサービスラインがあり、具体的にはECM業務(Equity Capital Markets;株式による資金調達)、DCM業務(Debt Capital Markets;債券による資金調達)、M&Aアドバイザリー業務である。因みに歴史的にはM&AアドバイザリーはECM、DCMの傍らで無料で行うサービスであったらしいが、その後のM&Aの複雑化などにより現在では有料のサービスラインとなっている。またIBDはECM、DCM、M&Aの案件を専門で行うグループ(三つを合わせてプロダクトと呼ぶ)と案件の獲得を目指して法人営業を行うグループ(カバレッジ)がありIBDによってははっきりとグループごとに分けている企業と、シニアメンバー以外はプール制を採っている企業とがある。
【IBDの市場規模は3,400億円】
これまでは投資銀行とその中でのIBDについての基本的な仕組みを解説したが、ここからは投資銀行部門というビジネスの構造を見ていきたい。まずは市場規模であるが、実はこの業界の市場規模は僅か3,400億円程度であり決して大きくはない(図1)。日本マクドナルド、ニトリの売上高と同じくらいの規模である。そのうち国内系(野村、大和など)は2,900億円と外資系(ゴールドマン、JPモルガンなど)は600億円程度であり、特に外資は「目立つ割には小さい」という印象である。外資系IBDは市場の16%を占めているに過ぎないのである。これらをプロダクトに分けると、ECMは1,500億円と市場の約半分、DCMは600億円、M&Aは1,200億円となっており、国内系、外資系の分解で見ると外資系のDCMの手数料収入が僅かに23億円である点は目を引く。(尚、モルガン・スタンレーの日本法人はMUFGによるモルガン・スタンレー本社への出資を受けて、IBDは三菱UFJ証券と合併し三菱UFJモルガン・スタンレー証券になり、その他の部門はモルガン・スタンレーMUFG証券となっているが、データの都合からどちらも国内系に入れている。)
【儲かるのはECM】
次に案件数を同じ区分を示し手数料収入を案件数を除して案件当たりの手数料を算出しているが、ここからはIBD業務の特徴が見えてくる。まずプロダクトごとに案件当たりの手数料を見てみるとECMが突出して大きいことが分かる。ECMは一案件で4億円近い手数料が入るのに対し、DCMはその十分の一、M&Aはその2割程度の7,000万円しか入らない。ただし外資だけで見るとM&Aも3億円となり、ECMほどではないにせよそれなりの規模があることが分かる。結局、外資IBDは大型の案件(特にクロスボーダー案件)に注力しており、小さい案件は手間暇が掛かる割りに儲からないため手掛けていないのである。またM&A案件というのは成功確率を考慮する必要がある。つまり何ヶ月もチームを投入して案件の準備をしても案件が成立しなければ手数料はゼロか限りなくそれに近い手数料しか手に入らない。数年前にサントリーとキリンの統合の破談が報道話題になったが、あのような大型案件だとかなりの労力が掛かると推察されるが、その結果が破談になるとビジネスと言う観点では大きな損失だろう。(ただしこのような場合は、クライアント企業が別の案件を行う場合は破談となったアドバイザーを優先的に起用するといった約束が契約書などに記載される場合もある。)特に複数の買い手が入札するオークションの買い手側のアドバイザーに付くとその成功確率はかなり低くなる。筆者の感覚としてもM&A案件は数ヶ月単位の労力を投入してもそれらが成立する確率は1/3程度であったと記憶している。勿論、ECMやDCMも案件中止のリスクはあるがM&Aと比べるとその成功確率は遥かに高い。つまり期待値ベースではM&Aも外資であってもあまり儲からず、稼ぎ頭はやはりECMなのである。(勿論、ECM、DCM、M&Aでは掛ける労力は異なるが、それを考慮してもやはりECMは儲かる。)そのため法人営業を行うカバレッジバンカーも基本的には「いかにして増資・IPOといったECM案件を獲得するか」を常に考えており、彼らの営業トークはどのようなテーマであっても「~であるため増資をしましょう」といった結論に偏向しがちである。例えば企業のCEO、CFOが海外の投資家と会うツアー(ロードショー)をIBDがアレンジし、カバレッジバンカーが同行することがあるが、ロードショーのあとの投資家からのフィードバックをまとめる際も、投資家の財務体質の懸念があること、海外での成長を期待していること(そのためにはM&Aが一つの有力なオプションとして存在し、そのための資金を増資で調達することがある)といったコメントがあればそれを強調する傾向がある。IBDと付き合う場合は、少なくともそのような力学が働いていることは理解しておく必要がある。
【ECMは参入障壁に守られている】
ではなぜECMは儲かるのか?答えは参入障壁に守られているからである。ECM・DCM業務は証券取引法により規制された証券会社しかできない業務である。勿論体制を整えて金融庁に登録をすれば新規参入は理論上可能ではあるが、そこから機関投資家への営業網を構築するのは現実的ではなく、結局のところECM・DCM業務はIBDしか行えないのである。一方、M&Aアドバイザリー業務は特段の許認可が必要ないため、極端な話、投資銀行をセミリタイアして独立した人であっても行えるのである。実際、ECM、DCM、M&Aのランキング(リーグテーブルと呼ばれる;図2)を見ると、M&Aアドバイザリーのランキングの下位には投資銀行以外のコンサルティング会社といった名前も出てくる。ランキングに出てくる産業創成アドバイザリーという会社があるが、ここはドイツ銀行やメリルリンチ証券などでMD(マネージング・ディレクター)を務めた佐藤氏などが2009年に設立した会社である。このようなIBD以外のプレーヤーとの競争にM&Aアドバイザリー業務はさらされているため、儲かりにくいのである。
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いかがであっただろうか。投資銀行業務という一般的には分かりにくい業界であっても、他の業界と同様に分析すれば公開情報だけでも十分に業界構造が見えてきたのではないだろうか。イメージに惑わされること無く、客観的な事実に基づいた分析をする習慣を身に付けたい。