「5部作映画」としての『ダーティハリー』シリーズ/世文見聞録101【5部作映画談】
「世文見聞録」シーズン2。川口世文と木暮林太郎が「ダーティハリー」シリーズを「5部作映画」として総括して語ります。
○「5部作映画」としての『ダーティハリー』シリーズ
川口世文:ずいぶん前に終了しているけど、17年間で5作品というのは、それなりに長いシリーズだった。
木暮林太郎:「考古学者」でさえ定年があるんだから、さすがに年齢的に、あの先の話は難しかっただろう。
川口:だけど、イーストウッドがここまで長生きするとわかっていたら、もっともっと作ってほしかったな。
木暮:ハリー本人は何も変わらず、周辺の世界だけがどんどん変わっていったら、それはそれで「時代を写した鏡」として映画史に別の足跡を残したかもしれないね。
川口:個人的には2002年の『ブラッド・ワーク』という映画を「ハリー6」、2008年の『グラン・トリノ』を「ハリー完結編」だと脳内補完して観ている。
木暮:役名が違うのに?
川口:イーストウッドが出てきただけで、全部同じだ。
木暮:それはまた乱暴な楽しみ方だ(笑)……あらためて思うんだけど、ハリー・キャラハンという男は“市警察本部”が好きだったのかな?
川口:定年まで勤め上げた気はするけどね。
木暮:散々文句ばかりいっていたけど、案外、居心地はよかったのかもしれない。
川口:周りがバカばっかりだったからな。本当のところは仕事がしやすかったんじゃないか?
木暮:“再婚”したかどうかは?
川口:「4」で完結していたら、ソンドラ・ロック演じるジェニファーとは、結婚まではしなくても、死ぬまでいっしょにいた気がするね。
木暮:確かにそういう責任の取り方はしたかもなぁ。
川口:でも、彼女が「5」に出てこなかったということは、どこかで破局したってことなのかも。
木暮:そこはきっとソンドラ・ロックとの実際の関係と連動していたんだろう。
川口:つくづく「5」の製作は蛇足だった気がする。
木暮:「潮時」だったことは間違いないけど、もうちょっとだけつづいていたらどうなっただろう? 殉職とか定年を描くこともあったんだろうか?
川口:殉職はない気がするけど定年退職はありだろう。
木暮:これまでに逮捕したギャングの親玉たちが総登場してきたら面白そうだ。
川口:誰が最後にハリーを殺すか“賭け”をしそうだ。本人はいたって元気なんだけど、長年苦楽をともにしてきたM29にガタが来ている。
木暮:「スミスとウェッソンとおれ」──ってやつね。
川口:最後に残ったギャングに銃を奪われる。明らかに弾はまだ一発残っている。
木暮:そいつを演じるのは誰なんだろうな? これまでの犯人役が別の役で出てきてくれても面白そうだ。
川口:あるいはここでリーアム・ニーソンとか?
木暮:いや、違う違う。「4」でホーレスとして死んだ黒人の“アルバート・ポップウェル”だろ?
川口:そうだ、それがいちばん適役だ。彼は黒人組織のボスにまで登りつめる。そして、ハリーを追いつめて、M29を奪い取る。でも、それを撃った途端暴発する。
木暮:アハハハ……なるほど、ハリーの代わりに拳銃が“殉職”するわけか。
川口:あるいはその前に愛犬の“ドブスくん”が犠牲になるかもしれないけどね。
木暮:まだ生きていたのか、あの犬?
川口:まあ、こんな風に物語の“円環”をうまく閉じてほしかった願望がある一方で、そういうことを一切しない潔さが『ダーティハリー』シリーズの魅力だからな。
木暮:『インディ・ジョーンズ』シリーズの辻褄合わせの大変さとは、最後まで無縁なシリーズだったんだな。
川口:それもまた「5部作映画」の面白さの一つだね。