ブラオケ的名曲名盤紹介コラム 〜映画音楽編〜 #1『交響組曲 もののけ姫(チェコ・フィル)』

 黙れ小僧!お前にサンが救えるか。1997年に公開されたジブリ映画「もののけ姫」の名セリフの1つである。映画「もののけ姫」は、それまでに公開されたジブリ映画とは異なり、1回見ただけでは分かりにくい深さがある。何度も見ていくうちにストーリー設定の理解度が高まり、気付いたらマニアの世界に入り込んでしまったという人も多いだろう。音楽は久石譲氏が担当しており、ご多分に漏れず、非常に素晴らしい楽曲を残している。この頃、久石氏はオーケストラに無いサウンドを模索しており、楽曲中に和太鼓や篳篥、龍笛、ケーナなどが使用された。これらの楽曲は、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団によるサウンドトラックで聴くことが出来るし、映画に採用されなかった楽曲は、イメージアルバムで聴くことが出来るが、実は、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団による録音が存在することを御存知だろうか。チェコフィルは、土着的な民族的色彩に満ちたオーケストラのひとつであり、このようなオーケストラサウンドで「もののけ姫」を演奏するというのは、本来の「もののけ姫」の泥臭いニュアンスを表現するには、これ以上の無い組み合わせと私は考えている。そもそも、映画「もののけ姫」は、右腕に死の呪いを受けたアシタカを主人公とし、呪いを解くために旅に出るアシタカを中心に、自然と人間との関係をテーマとしたストーリーが繰り広げられる。故に、決して楽観的な映画ではなく、むしろ泥臭い。チェコフィルが奏でる「もののけ姫」は、その泥臭さを見事に表現した唯一無二とも言うべき録音であり、まさに映画音楽における名盤のひとつとも言えるだろう。今回は、このチェコフィルによる録音をご紹介したい。

 さて、チェコフィルによる交響組曲「もののけ姫」は、マリオ・クレメンス氏を指揮者に迎え、1998年にプラハのドヴォルザーク・ホール(芸術家の家)で録音された。元々は、宮崎監督の持つ空気感と東欧のそれは相通じるだろうという久石氏の予想と、「アシタカ𦻙(せっ)(くさかんむりに耳を2つ並べた字)記」をスラブ色の強い一流オーケストラで聴いてみたいという久石氏の想いから実現したプロジェクトであり、久石氏の狙い通り、サウンドトラックとは大きく異なる響きとなっている。全部で8つの章から構成され、それぞれの章の内訳は以下の通り。 

第1章 :アシタカ𦻙(せっ)記 
第2章 :TA・TA・RI・GAMI 
第3章 :旅立ち ~ 西へ 
第4章 :もののけ姫 
第5章 :シシ神の森 
第6章 :レクイエム ~ 呪われた力 ~ 
第7章 :黄泉の世界 ~ 生と死のアダージョ ~ 
第8章 :アシタカとサン 

今回は、「第1章:アシタカ𦻙(せっ)記」と「第4章:もののけ姫」について、一言触れたい。 

第1章:アシタカ𦻙(せっ)記


 「𦻙(せっ)記」は宮崎監督の創作文字である。草に埋もれながら、人の耳から耳へと語り継がれていく物語という意味であり、本楽曲は、「もののけ姫」の主人公であるアシタカに捧げる鎮魂歌と言われている。前述した通り、アシタカはタタリ神との戦いで死の呪いを受け、故郷から実質的に追放される。心の中は真っ暗で、誰にもぶつけられない怒りを持ちながらも、勇気を持って旅に出ることから、①運命を背負って生きていく覚悟を決めた者、②決意を秘めた者の強い意志・・・というのが、アシタカを形容するには相応しいだろう。本楽曲は、基本的にはアシタカが登場するシーンで流れることが多いが、ハンセン病の長が登場するシーンでも使用されている点が趣深い。当時、宮崎監督は「21世紀には夢も希望も無いけど、真剣に生きなければいけない。今は現実を受け入れて前向きに生きろ。」と述べており、ハンセン病の長が登場するシーンで「アシタカ𦻙(せっ)記」が流れるのも、呪われたという点で共通点を見出そうとしたものと推察される。 
 ところで、本楽曲におけるサウンドトラックとチェコフィルとの演奏の大きな違いは、やはりチェコフィルでは泥臭さが見事に表現されている点であろう。心の中で沸々を燃え上がる怒り、前に進もうとする力強さ、こういったアシタカの精神状態が表現されたサウンドであり、全体の輪郭もハッキリしている。美しく旋律を奏でるだけの単純な演奏ではない。例えば、冒頭を例にスコアを読み解いてみると、冒頭のバスドラムの2発の提示があったのち、重たい何かを押し出そうとするような低音楽器のクレッシェンドが雰囲気を作る。この低音楽器によるフレーズは空虚五度で構成され、聴き手に不安定要素を植え付ける観点からしても見事だ。やがて、ホルンが立ち上がろうとするような強さを持った旋律を奏で始めるが、それもすぐに静かな雰囲気へと戻される。しかし、この静けさも決して弱々しいものではなく、生きていく覚悟を決めたアシタカの想いが表現されたものと推察される。その想いがクレッシェンドにより拡張されたのち、再度、低音楽器により空虚五度が奏され、今度は力強さを兼ね備えたホルンの旋律へと様変わりする。そして、長いクレッシェンドを経て、アシタカ𦻙記の主題へと導かれる。この主題は、F mollのサブドミナントマイナーでのスタートであり、運命を背負いながらも前に進もうとするアシタカの力強さを表現するには極めて効果的だろう。このように、冒頭だけでも久石氏の相当な作り込みが読み取れ、それをゴリゴリの民族色で泥臭く表現するチェコフィルの演奏は、まさにマリアージュとも言える組み合わせだ。 
サウンドトラックのイメージを持つ人であれば、恐らく若干の違和感を感じるとは思われるが、アシタカの置かれている状況等を考慮すると、チェコフィルの演奏の方が私は解釈としては近いと考えている。残念ながら、YouTubeには音源が無いので、是非CDを入手して聴いて頂きたい。 

第4章:もののけ姫

 カウンターテナーの米良美一氏が歌い上げた名曲であり、「もののけ姫」を見たことが無い人であっても、一度はテレビなどで耳にしたことがあるだろう。本楽曲は、アシタカのサンへの気持ちを歌ったものとされ、また、歌詞が先に作られ、その歌詞に合わせて旋律が作られたとされる。チェコフィルによる演奏は、ピアノソロを多用したアレンジであり、サウンドトラックとは違った美しさがある。本楽曲で一番の注目は、やはり冒頭の和声だろう。G→F→C→Dの重なりに続き、次はF→Eb→Bb→Cの重なりが提示される。コードとしては、前者はG7sus4、後者はF7sus4であり、所謂、四度堆積和音だ。この神秘的な響きを四度堆積和音で表現する久石氏の天才さを感じざるを得ない4小節と言えよう。その後は、EM7-5,13とGbM7-5,13の複雑な和音が提示されたのち、Gの空虚五度で雰囲気を作りながらピアノによる主題が提示される流れだ。原曲で採用されているカウンターテナーの歌声が無いながらも、全体として非常に想いの籠った演奏となっている。こちらも残念ながらYouTubeには音源が無いので、是非CDを入手して聴いて頂きたい。

(文:マエストロ)

(編集者注:お使いの端末により、一部の漢字が正しく表示されない場合があります。ご了承ください。)

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