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第一部: 阪神・淡路大震災の壮絶な体験とそこから得られた教訓


29年前のあの日、あの時


2024年8月10日に開催された
「もしも」に備える安心を。
防災×イノベーション〜アイデアソンで未来を創る〜
では、防災のプロフェッショナルである
乾氏と大林氏による基調講演が行われました。
乾氏は、29年前の
阪神・淡路大震災を自ら体験した被災者としての視点から、
その時の状況や避難生活の厳しさ、
そして「あればよかったもの」について詳細に語りました。

震災発生から72時間

混乱と恐怖の中で
1995年1月17日、
午前5時46分。
乾氏はベッドの上で激しい揺れに襲われました。
安全を確認して外に出るまでの間、
恐怖と不安に苛まれたといいます。

避難生活: 厳しい現実と「あればよかったもの」

乾氏は、公園での避難生活、近隣住民との助け合い、
そして情報収集の難しさなど、
震災後の日々を振り返りました。

  • 1日目:

    • 停電、断水の中、食料も水もないまま公園で夜を明かす。

    • ラジオから情報を得るも、自宅に戻る勇気はなく、不安な一夜を過ごす。

    • あればよかったもの: 枕元に靴下、季節にあった服、手袋、ポケットカイロ、懐中電灯

  • 2日目:

    • 自宅から布団を持ち出し、公園で寝る。

    • 冷凍庫の食料を持ち寄り、炊き出しを行う。

    • あればよかったもの: 備蓄食料、飲料水、ラジオ、防寒グッズ、懐中電灯

  • 3日目:

    • 状況は変わらず、公的支援も届かない。

    • 自宅に戻ることを諦め、実家のある京都へ戻ることを決意。

    • あればよかったもの: チョコレートやキャラメルなど、すぐエネルギーになるもの、飲料水、ラジオ、防寒グッズ、懐中電灯

72時間: 生存率を分ける境界線

乾氏は、自身の体験を通して、
72時間という時間が生存率を大きく左右することを痛感したと語りました。
 緊急車両が被災地へスムーズに到達できるように、
72時間は一般車両の通行を控えるべきだという教訓を、
首都圏に住む私たちにも投げかけました。

災害時の行動: 絶対的な正解はない

大林氏は、自身の経験から、災害時の行動に絶対的な正解はないと断言しました。
状況に応じて、多様な価値観に基づいた柔軟な対応が必要であることを強調しました。


特に、東日本大震災の際、
釜石市では
「津波が来たら『てんでんこ』に、高台へ逃げろ」という標語のもと、
住民の生存率が99.8%に達したという
「釜石の奇跡」の事例を紹介。
避難行動における共通認識の重要性を訴えました。

一人でも多くの人が生き残るために

大林氏は、「カルネアデスの板」の議論を例に挙げ、
極限状態における倫理観について問題提起しました。
災害時には、自己犠牲や他者への思いやりなど、
様々な価値観が交錯します。
しかし、その中でも「一人でも多くの人が生き残ること」が最も重要であり、
そのためには、日頃からの備えや共通認識の醸成が不可欠であると締めくくりました。

第一部のまとめ

第一部では、二人の講演を通して、
災害の恐ろしさ、
そして生き残ることの大切さを改めて認識させられました。
彼らの経験と教訓は、
私たちが防災について深く考え、
具体的な行動を起こすための貴重な指針となるでしょう。

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