ツイッターの怖いところ
ツイッターにはいくつかの機能がある。フォローした人から流れてくるタイムラインでの情報を眺めること。ある意味情報源としての機能。使い始めの頃は、むやみにフォローして流れるタイムラインを眺めて悦に入っていた。そのうち自分のフォロワーも増やしたくなっていろいろツイートしたりしたが、たまに、なにか時代で旬なものにはまったときに、びっくりするようなインプレッション数になったりするものの、継続的にフォロワーが増えるというまでのことはなかった。
一定の諦念が訪れると、たまに、自分のガス抜きのように140文字をツイッターの大河に放り投げることがツイッターの自分にとっての最大の意味となった。
それ以降は、そんなどっちつかずが続いている。
しかし今回のようなことが起こると、タイムラインに流れる情報を眺める頻度が高くなる。一次情報から、二次情報、そしてリツイート。
最近、ツイートやリツイートを眺めていて気になったのは、常連の高齢者が、ドラッグストアに毎日通って、トイレットペーパーやティッシュを買い占めているとか、地下鉄の中で、バンドマン的な格好をしていた若者が、咳をしたら高齢者から、バイキンのような眼で見られて、非難されたとかいう感じのツイートが目についた。自分が高齢者に近い年齢にいるので、なんとなく、そのあたりへの批判的なトーンが気になったのかもしれない。
テレビではライブハウスが目の敵にされているような印象があったのと対照的だ。
テレビはどちらかと言えば、高齢者を対象としたメディアであるのに対して、インターネットは若者を対象としたメディアであることが少し反映しているのだろうか。
ツイッターには、こういった時期には、この種のStoryが大量に発生する。その中には、事実もあるのかもしれないが、その事実がリツイートされたり、複製されたりする中で、またまた誰かを叩く材料に利用されていく。
何か、マスクやトイレットペーパーをめぐって、世代の対立のようなStoryがどんどん複製されていくことが気持ちが悪い。
やはりテレビもツイッターもあまり見ない方がいいのかもしれない。