僕がコンサドーレファンになった日
僕はコンサドーレ札幌のファンだ。でもJ2とJ1の降格昇格を繰り返す不遇の時代を乗り越えてきた筋金入りのファンではない。
子供の頃は、筋金入りの野球少年で、巨人ファンだった。その後も、野茂、イチロー、松井のMLB挑戦にはワクワクしていた方だ。でもいつからか、日本のプロ野球が、自分の働いている企業社会にそっくりなのにウンザリするようになって、心が離れはじめた。MLBに熱中しだしたのも、日本のプロ野球中継を見る気がなくなったからだった。
サッカーはといえば、中学の頃、少し部活動で熱中し、大学の頃に若干草サッカーで遊んだぐらいではあるものの、Jリーグができたころからは、人並みに、日本代表に対する関心は持ち続けてきた。その延長で、日本人プレイヤーの海外挑戦には熱中した。
セリエAの中田、ブンデスリーガの香川。日本人プレーヤーがサッカーの本場のファンに受け入れられていく風景は、なんとも誇らしかった。多分、同じような気持ちをタイのファンたちはチャナティップやティーラシンの活躍に感じているのだろう。
MLBへの熱中のピークが松井のワールドシリーズでのMVPだったように、岡崎のレスターでの2015-2016シーズンでのプレミアリーグ制覇には感激した。
海外で活躍する日本人選手への関心を保ち続けることの難しさは、その選手が、レギュラーで出られるかにかかっている。香川の出番がままならなくなってくると、めっきりマンチェスターユナイテッドの試合への関心を薄れた。不遇の原因を監督のモイーズに押し付けて、テレビを見ながら悪態をつきまくっていた。でもよく考えれば、彼も不幸な役回りだった。一番悪いのは、アレックス・ファーガソンだったのかなと思う。リバプールでプレミアを制したクロップ監督に対する好意がなくならないのは、ドルトムント時代の香川を大切に使ってくれたことへの感謝の気持ちが強い。だからこそ南野もよろしくといいたい。
レスターでの岡崎に、僕は、中田、香川以上に熱狂した。それはヤンキースで、松井が堂々のレギュラーだった時代に近いものがある。
途中交代は多かったにせよ、岡崎が出場機会に恵まれていると、岡崎がベンチにいる時ですら、レスターの試合から目が離せなくなった。自然、彼のチームメートである、ヴァーディ、マフレズ、カンテ、モーガン、フクスなどへの親近感も増していく。このあたりも松井時代のヤンキースのチームメートへの思いに近い。
レスターの奇跡に狂喜する現地ファンの姿に、うらやましさを感じ始めたのもこの頃だったような気がする。
久しく、お気に入りのチームの日々の結果に一喜一憂するという楽しみ方をしなくなっていたからだ。
その頃、コンサドーレのJ2での優勝と、久しぶりのJ1への昇格の可能性のニュースが伝わってきた。
Jリーグ開幕当時に、ヴェルディをしばらく応援していたようなことはあったが、その頃、仕事が忙しくなったこともあったり、その後海外で仕事をすることになったこともあって、Jリーグファンという立ち位置は確立しなかった。
それどころか、その後10年近くアメリカにいたので、むしろNFLのニューヨークジャイアンツの毎週末の結果に一喜一憂するようになってしまったのだ。
そういう意味では、ひいきのチームを応援するという経験が全くなかったわけではない。
まあまあの年齢になり、ライフワークバランスも、自分なりにコントロールできるようになってきたので、趣味というものが必要だと感じはじめたのである。
子供の頃から、サッカーが好きで、自分も二番手GKなどでずっと部活を続けていた息子と、一度サッカー場で観戦してみるかという話になったのが始まりだった。彼も、Jリーグというよりは海外サッカー観戦の方が好きなタイプだったので、じゃあ一度応援に行ってみるかという話になった。
コンサドーレが最終戦の前週にフクダ電子アリーナで、千葉との対戦が予定されていた。その前の週、当時J2に落ちていたセレッソ大阪が千葉と対戦していたので、まず、その試合を見に行くことにした。山口蛍を見に行くかというぐらいの気分だった。
その試合でもセレッソはぱっとしなかったような気がする。でもソーザの頑張りだけは、強く印象に残った。僕も息子も、手を抜かない外国人選手がほんとに大好きである。その代表格がソーザになったのがこの試合だった。
(実際に調べてみたら、セレッソは3対0で完勝していた。そもそもさほど興味がなく、宴会のお通し的観戦だったせいもあるのだろう。)
Jリーグの試合を実際に見に来たのは、横浜フリューゲルスがまだつぶれる前の頃の話だから、随分昔のことになっていた。
日本代表の試合は、ワールドカップも含めて、何試合かは見ていたが、基本的にはお茶の間観戦だった。
グランドでサッカーが見たいと思うようになったのがきっかけだった。
翌週の千葉戦をゴール裏で、サポーター陣と一緒に応援した。そこから僕のコンサドーレマニアが始まった。
2016年11月12日(土)13時キックオフ。
知っている選手など、ベンチの小野伸二以外、一人もいなかった。
でも今では一人ひとり、その表情やプレーの記憶が身体の中にしみ込んでいる。
スターティングメンバーは、
GK クソンユン
DF 進藤
DF 河合
DF 福森
MF 石井
MF 宮澤
MF 上里
MF 堀米
MF 荒野
FW 都倉
FW ジュリーニョ
控えでその後出場したのが
DF 櫛引
FW ヘイス
FW 内村
監督は四方田修平。
https://www.jleague.jp/match/j2/2016/111202/live/
正直試合経過などさほど克明には覚えていない。
ウェブの情報で見ると、
前半31分に町田也真人(現大分トリニータ)に得点を決められている。後半71分に都倉(現セレッソ大阪)が同点弾を決めている。彼がゴール裏のサポーターに胸をたたいて、激しくアピールするのに、サポーターが熱狂的に答える風景も記憶にある。都倉という選手のこのチームにおける存在意義のようなものがわかった瞬間だった。彼は、このチームに熱をもたらすプレイヤーなのだということ。翌年の残留を目指す試合の中で、彼はそのことを存分に発揮してくれることになった。
この試合で勝てば、最終戦で引き分け以上で優勝(昇格)というような王手がかかる試合だったような気がする。Jリーグのビデオアーカイブを見ると、序盤から随分千葉には攻められている。リードされたあたりからは、重苦しさも漂っているようだ。その意味でも都倉の同点ゴールが感情の解放と爆発となったのだろう。
ロスタイムに、都倉に代わって、内村が投入された。彼も、また、J2時代のコンサドーレを支えたエースらしく、応援席からのボルテージが上がったのは記憶している。
https://www.youtube.com/watch?v=TfhRrw8w4RM
終了間際、ディフェンスの河合竜二からのロングパスを前線の内村がボレーで決めるというミラクルが、僕の目の前で起こった。
まさに恋に落ちた瞬間だった。
ゴール裏の熱狂的な歓声と、あたりかまわぬハイタッチの渦の中に、新参者の僕たちも飲み込まれていた。
まさにこれだ、これが僕が求めていたこと、スタジアムでサッカーを見るということなのだと思った。
翌週の最終戦の優勝決定戦は、当然ながら、地上波、衛星放送どこを見ても、放映されていないし、DAZNもサービスを開始したばかりの頃だった。(2016年8月23日サービス開始)
いったんついた火は収まらない。ウェブで調べまくって、中野のスポーツバーで、最終戦が見られることがわかった。
満員のその店で、バドワイザーを片手に、立ちながら、応援した最終戦、ホームでの金沢戦は、お互い昇格と残留がかかった重要な試合だったが、他会場の試合結果で、引き分けでもそれぞれが昇格、残留を可能にするということで、双方消極的な試合展開になった。熱狂的なこんコンサドーレファンが、怒り出すなどのハプニングはあったものの、面白かった。
少数ではあるが、店の中にいた金沢ファンが小さな声で「良かったあ」と呟いたのも忘れられない。
Before DAZN時代だったなら、僕は、ここまで、Jリーグにのめりこむことはできなかっただろう。
その意味で、僕は、DAZN時代のサッカーファンなのである。しかしDAZN以前のサッカーを少しだけ知っていることも悪くない。
あの頃のメンバーの現在はというと、
GK クソンユン(大邱FC)
DF 進藤
DF 河合 (引退)
DF 福森
MF 石井 (南葛FC)
MF 宮澤
MF 上里 (FC琉球)
MF 堀米 (アルビレックス新潟)
MF 荒野
FW 都倉 (セレッソ大阪)
FW ジュリーニョ(アヴァイFC)
DF 櫛引(サンフレッチェ広島)
FW ヘイス(所属先不明)
FW 内村 (FC今治)
多くの選手が、別のプレー機会を求めて、去っていき、ほとんどの選手が今も戦っている。別のチームの試合を見ていても、元コンサドーレの選手は知らずに応援している。結局、それが自分のクラブということなのだ。
クラブチームを応援するということは、そこに所在した選手の人生も含めて、丸ごと、応援しつづけることなのだということが、内村のミラクルシュートに湧くゴール裏で、少しだけわかり始めていたような気がする。