東京3周年記、そして誕生日。
東京に来てもう丸3年が経った。
信じられないスピードで日々は過ぎていく。
毎年、毎年、あのありきたりな「今年ももう終わりか」という言葉がやってくるスパンが短くなっているような気がする。
何はなくとも日々は平和に過ぎていく。
特に大きな不足もなく、だからこそ目がくらむような欲望に心を支配されることもない。
満たされているようで、どこか退屈な日々。
贅沢な悩み。ないものねだり。
・・・
最近のこと。
毎年恒例の丸の内で東京マラソンを観戦した。
久しぶりに密度100%のライブハウスに行った。
ハリーポッターを全部見返した。(震えるほど面白かった)
念願のレコードプレイヤーを買った。
そして昨日、誕生日を迎えた。29歳。20代最後の年。
それこそ「もう29か。」という気持ち。
歳を取ることは積極的に歓迎するものではないけれど、そこまで抵抗があるわけでもない。(そりゃ若いままでいられるに越したことはないけれど)
それどころか、最近は少しくらい「いいところもあるじゃないか」とも思う。
そう思えるのはきっと、今がそれなりに満たされているからなんだと思う。
それを失ったとき、歳を重ねるということに対して恐怖を感じるようになるのかもしれない。
底しれぬ不安。
ついさっき「若いままでいられるに越したことはない」と書いたけれど、それってものすごくつまらないことなんじゃないかとも思う。
歳を重ねること、傷や汚れすらも愛おしいと思えること。
それは命ある限り、形ある限り、傷も汚れも避けようがないということを受け入れるための精一杯のやせ我慢というとり方もできる。
けれど、この気持にはそんな無理をしたような、薄暗い自己暗示のような感じは一切ない。
本当に心の底からそう思えるというか ーいや、意識していないだけでそういう自己暗示なのかもしれないけれどー とにかく最近はそういうふうに思えるようになってきた気がする。(まだたかだか29歳だけれど)
一点の曇りもない白さを美しいと思わなくなってからが大人なんだと思う。暫定大人論。
「白さ」といえば、「グラデーション」は歳を取ることで大事にしたいなと思うようになったこと。
それは「白」と「黒」という強力な二項対立に対抗するための武器。
昔は何が善くて、何が悪いかなんて、ハッキリと定規で引いたように明確だと思っていた。
言い換えれば、善人は善人だし、悪人はどこまでも悪人だと。
けれど29年生きてきて、少ないながらもいろんなことを見て、知って、世界というのはそこまで単純にできているわけではないんだということを知った。
どこまでも清く、美しく見えたとしても、目を凝らせばそこには濁りがあって、しかもその濁りは決して純粋な濁りではない。
永遠の二項対立の中に割って入る無数の色。
二元論で物事を片付けてしまうのはどこまでも簡単で、だからこそ傲慢であるとすら思う。
たとえ微かだとしてもその微妙な色の差異に気が付ける人でありたいと思う。
たとえそれが誰に褒められるものでないとしても。