東京2周年記
2020年の3月1日に東京に出てきて2年が経った。
コロナが流行り始めたのとちょうど重なるタイミングでの上京だったけれど、あれ以上に最適な時期はなかったと今では思う。
あの瞬間を逃していれば、おそらく僕はいまだに故郷の京都で肥大した自尊心と自意識を抱えてぐずぐずと世間に悪態をつきながら部屋の隅で丸くなっていたことだろう。
だからある意味では東京行きに救われた。
「東京に行こう」と思ってからは早かった。思い立ったらすぐに行動するタイプだから後先は考えていなかった。
衝動のきっかけはいろいろある。
けれども、一番大きかったのはそのときしていた恋のせいだった。
あれは僕の人生で最も大きな意味をもつ出来事の一つだった。
東京に行くからにはただ単にそこにいるだけではいけない。生活をしなければいけないし、そのためのお金だっている。そう考えたときにアルバイトをするという選択肢もあった。
けれども当時25歳。大学を卒業してフラフラとしながら早くも2年が経とうとしていた頃だった。さすがに東京まで出てきて同じような生活を続けるわけにはいかないし、就職しようと思った。
それに何より、いつまでもアルバイトを続けているような男を好きになってくれるとは思えなかった。
「東京で就職をする」というのは文字にすると簡単なことのように思える。というか多くの人にとって「難しい」という程のことではないのだと思う。
だけれども、僕にとってそれは確かに難しいことであり、それと同時に象徴的な意味を持つことだった。なぜならそれは「大人になる」ということとある意味でイコールだったからだ。
そもそも僕が大学を卒業してすぐに就職しなかったのは、いわゆる日本の「就活」というものに嫌気が差していたからだ。
それまでチャラチャラ遊んでいたやつらも、みんな同じような髪型で同じようなスーツを身にまとい「面接本」とやらで定形通りの答えを繰り返す儀式。
そんなのはバカげていると思った。初めて集団面接会場に行った時これは何か大掛かりな冗談なのかとさえ思った。
僕は昔から集団に合わせて行動するのが苦手だった。
「当たり前」と言われていることに対する拒否感も人一倍強かった。
なぜみんなは「やれ」と言われたことを何の疑問もなく行えるのかが不思議でならなかった。
中学一年生のとき、数学の授業で出てきた一次方程式のxが「なぜxなのか?aやbではいけないのか?」という疑問がずっと頭から離れなかった。
そしてその疑問に誰も答えてはくれなかった。みんな当たり前のように正体不明の「エックス」を受け入れていた。
そしたらあとでaやbが当たり前のように登場した。
僕は思った。「なぜ最初からaやbではいけなかったのか?いきなりxから始まった理由は何なのか?」
そしてそんな問いにはまたしても誰も答えてくれなかった。
先生すらも「そんな余計なことは考えずにとにかく勉強しろ」というような態度だった。
そしてみんなは当たり前のように「エックス」に加えて「エー」や「ビー」を使い始めた。
僕は教室で一人取り残された。
そんな僕にとって東京という場所でサラリーマンをするというのはひとつの大きな象徴的行為だった。
でも驚いたことに、いざ東京での仕事探しを始めてみると思ったほど辛くはなかった。
それは多分、みんなと足並みを揃えなければいけない新卒一括採用とは違うという気楽さもあっただろう。
そして最も大きかったのは理由ができたことだった。それは「大人」になるということの。
それまでは「ずっと子どものままでいい」と思っていた。それは多分10代〜20代前半を通して出会ってきた大人たちが僅かながらの例外を除いてみんなどうしようもない人たちだったからだと思う。
それに加えて、街で見かけるいわゆる「大人」はもの凄く我慢をしているわりに幸せそうな人があまりにも少ないように思えたからだろう。
そんなの割に合わないよなと。
とにかく、僕の中での「大人像」は最低だった。
けれども東京に出るということを考えた当時、僕はとにかく大人になりたかった。というよりむしろ「ならなければいけない」と思った。それは「誰かを守りたい」という生まれて初めての気持ちからだった。
一度その気持が芽生えると、それまではいかに自分にしか目が向いていなかったかに気がついた。「これをやりたくない、あれをやりたくない」というように常に物事の主題は自分だった。
けれどもそこに初めて他者が飛び込んできて僕の考えは変わった。
誰かを守りたいと思ったとき、まずは自分が強くならなければいけない。
そんなときにいつまでも子どもでいたいなんて思っている場合じゃないと思った。
そうすると東京での仕事探しは思っていたよりもはるかに楽に進み、僕はあっという間に「会社員」の肩書きを得た。
それでそのままその恋もうまくいけばきれいなお話だったんだけれど、結局は実らず。
でもだからといって東京へ出てきたことや、その子に恋をしたことを少しも後悔はしていない。それどころかむしろその時の感情に感謝すらしている。
それは僕を大人にしてくれた。
それはある意味では通過儀礼であり、それは大きな痛みを伴い、自分を一つ次の段階へ進ませてくれるという点では比喩的な意味での割礼と言ってもいいほどだった。
あれから2年が経った。
この街へ来た理由や、その結果はどうあれ、僕はこの街が大好きだ。この2年間、もちろん楽しい事ばかりではなかった。けれども、それも含めてこの街での2年間は素晴らしいものだった。
いつまでこの街に住んでいるかわからないけれど、毎年3月にはそれまでの1年を振り返っていきたいと思う。