人に見せられる文章
今年は「人に見せられる文章を書く」というのを密かに目標として、いつの間にか丸2ヶ月が経とうとしている。
そろそろ書き出さなければと思う。
日々、頭の中にいろんな言葉が渦巻いていて、それはすれ違う誰かが残した何気ない言葉だったり、街で見かけた広告のキャッチコピーだったり、本当にいろいろ。
とにかく僕は頭で考えて、言葉にしないことには物事を理解できない質で、だからこそ得をしてきたこともあれば、損をしたこともある。
いや、おそらく損をしたことの方が多いだろう。それもけっこう穏やかじゃないカタチで。
それでもというか、だからこそ僕は言葉の力を信じている。
よちよち歩きを始めた赤ちゃんからよぼよぼのじいちゃんばあちゃんまで、あるいは、どうしようもないほどのバカだった高校時代の同級生から、僕が尊敬するあの作家やロックスターまで、誰でも言葉を放つことができる。
だからこそ、みんな言葉の力を軽視している。
かんたんに誰かを傷つけるような言葉をネット上に書き込むことができる。
時にはそれを直接他人に投げつけることもできる。
言葉というのは思っているよりもずっと鋭利なものなのに。
だから僕は言葉を口にする前に物凄く考える。考えて考えて考える。時には考えすぎてその言葉が放たれるべき適切なタイミングを逃しているにも関わらずまだ考える。
そうやって宙に浮いたままの言葉を何度もやむなく飲み込んできた。
そんなことをする理由は一つ。自分が傷つくのは嫌だけど、他人が傷つくのもそれと同じくらい嫌だから。それが自分の言葉によるものであればなおさら。
とにかく、僕はそんなふうにして飲み込んだ言葉や、その他日々の細々したことを日記に書き留めている。それも10年以上前からずっと。けれども、日記に書くとそれはもう自意識が爆発してしまってとても人に見せられたものじゃない。
でもなんとなくだけど、そろそろ意識的に人の目を気にした文章というものを書かないといけないような気がした。
実際は誰が見るわけでもないし、誰かに見られることを期待しているわけでもない。ただ「見られるかもしれない」という意識があれば言葉の選び方は大きく変わってくるのではないかという期待のもと書いてみようと思った。
なので、ここには僕が出会った日常の些末な出来事を書いていこうと思う。(本当は「綴る」と書きたいけれど、僕の自意識がそれを許さない)
本当に誰に向けてというわけではないけれど、それを読む人がいれば少し嬉しいのが本音。