初期衝動

初めまして。
【TOKYO-UMA】に足を運んでいただきましてありがとうございます。
一番最初の投稿ですので、最初らしく
・この【TOKYO-UMA】とはなにか?
・誰のために、何のために、こんなことを始めようと思い至ったか。
まずは、そこからお話しようかと思います。


最初に、僕の自己紹介を…。

僕は、コピーライターという仕事をしています。
色々な広告の言葉を書いています。クリエイターと呼ばれるお仕事です。

よく、クリエイティブやアートの対比についていろんな話がありますが、クリエイティブは基本的に「困っている人(or企業など)」がいないと仕事が生まれないんじゃないかなと思っています。クリエイティブの本質は課題解決だと思っているので。

そんな僕は、もともとコピーライターになりたかったのかというとそういうわけではありませんでした。
ただ、人より「言葉」というものに対しての感度が高かったのは、自分のこれまでの人生に起因しているからでしょう。

親の仕事の都合で3歳から海外に住んでいました。
そのため、物心ついたころには外に出た途端、家族とは話せるのに他の人とコミュニケーションが取れない。ということの意味がよくわからなかったことを覚えています。同時に、それが寂しいと感じていたことも。
ここで、1つ目の「言葉」に対しての感度が上がるきっかけが生まれていました。

そして、時は流れ18歳。
大学に進学した僕は芸術学科という学部で芸術史を勉強していました。
学校が終わり家に帰ると、いつも本を読んでいるか、映画を見ているか、音楽を聴いていた母の影響が大きかったのだと思います。「大人をここまで熱中させる芸術とは…?」と思い、何が面白いのか?きちんと勉強してみようと思ったのがきっかけでした。
※とかっこつけましたが、大学が付属のエスカレーターだったので「面白そう!」の勢いで決めた節もあります…。
映画・音楽・演劇・西洋美術・日本美術・東洋美術史・美学と様々なことを勉強しましたが、一番記憶に残っているのは入学して最初の課題。

「美術館に行って、自分の好きな絵を1枚選んでポストカードを買って下さい。そして、その絵についてどんな絵なのか説明するレポートを提出してください。」

このとき、18年使っていた母国語を使ってもいかにコミュニケーションが難しいかと感じました。まるで、目の見えない隣の人に肩を叩かれて「ちょっと、あなたが見て感動しているのはどんな絵ですか?なんで、あなたは感動しているんですか?」と聞かれているようなもの。何とか提出したものの、あまりにも自分の言葉選びに手ごたえがなかったことを覚えています。


そして、この時期に平行して大学の付属中学で部活動の指導者をしていたことも大きかったです。
自分より幼く、ボキャブラリーも乏しい。さらに、感情の起伏が激しい彼らのモチベーションを下げずにコミュニケーションを取る。

言葉の選び方だけでなく、自身のふるまい方や声のトーン・キャラクターなどで発する言葉に説得力がきちんと伴うか?自身のキャラと違う発言をする際は声のトーンを調整して…など、対人のコミュニケーションを学ぶとても重要な機会になりました。

そうした経験からすっかり、言葉の力に魅了された僕はたまたま入った会社のクリエイティブ部署の「コピーライター」という仕事に強く惹かれ、コピーライターとしてのキャリアを歩み始めました。

この国で誰よりも言葉を上手く操れるようになりたい。そうすれば、どんな仕事をしたって、どんなことがあったってきっと楽しく生きていけるはずだ。そのために、「伝え方」のプロフェッショナルであるコピーライターを肩書きにしよう。

そして、ようやくこの1月から名刺の名前の上に「コピーライター」を名乗ることを許されました。

どうでしょう?
これだけ読んでると、入社試験の面接みたいですね。
ともすると、順風満帆に進んできた自慢のように聞こえて嫌気がする人もいるかもしれません。
しかし、僕もずっと上がりっぱなしだったわけではありません。

・インターネットで友達になったと思った人と会おうとして7時間も待ちぼうけをくらったこと(結局来ませんでした…。)
・マカオのクラブではしゃいで機種変したばかりの携帯を落としてしばらく公衆電話のみで生きていたこと
・親から半勘当宣言され、羽根木公園に3日野宿したこと(半年後にお許しを得て帰宅しました)
・バングラディシュを1人で歩いていたら軍人に呼び止められ、振り向くと虹色の迷彩服に思わず笑ってしまい撃ち殺されそうになったこと
・バレンタインデーの日から、初対面の35歳のペルー人男性を3週間うちにかくまったこと

こういった失敗談の方がちょっと興味を持ってもらえるでしょうか?
こうして書いてみると、文にして数文字ですがその中にはたくさんのストーリーがあります。



改めまして【TOKYO-UMA】とは?

ここまで、お付き合いいただいた方。ありがとうございます。
いよいよここからが本題です。笑

・坂本龍馬と西郷隆盛や木戸孝允で「薩長同盟を結んだ」
・「ビートルズ」はもっとも偉大なバンドだ
・『春』を作曲したのはアントニオ・ヴィヴァルディだ
・ムンクの代表作『叫び』は実は4種類ある

これらの話を聞いたことがあるかと思いますが、彼らがどんな人間だったのか。なぜ、そんな歴史に名前を残すような人生を歩むことになったのか。なんでそれが今尚語り継がれているのか。

1人の人生史としてみると、そこには学校の試験の暗記問題を解くために覚えた「記号としての」彼らではなく成功も失敗もたくさんしてきた「1人の人間」の面白い話がたくさん詰まっているんです。

ここ数年、『ボヘミアン・ラプソディー』をはじめとして、大ヒットしている映画にノンフィクションの話が多いことからも人々が誰かの人生に触れたいということの表れなのかなと感じています。
テクノロジーが発展し、とんでもないフィクションを当たり前のように享受できるようになった今「こんな信じられないような男が実在したんだぜ?」というノンフィクションの方が、ハイパーSFのようなものよりはるかに人々に驚きと感動を与えるからかもしれません。それは、計算で作れない人生だから。

そこで、僕は東京に住むまだ見つかっていない才能を持った人たち、世の中に気づかれていない面白い人たちを発見し、彼らの人生をキチンと世界に残したい。だからこそ、話を聞いて記そうと思い立ちました。

それが【TOKYO-UMA】です。

いま、人生の岐路に立たされてこれからの生き方に悩んでいる方
いろんな人の人生に触れてみたいけど、自分から動く勇気が出ない

そんな人たちに向けて

「世の中には、こんなに面白い人がたくさんいるんだ!」

と誰かの楽しみや、希望になってしまえばいい。


そんな思いから、東京にいる様々な「未確認生命体」を発見し発信していく活動を始めようと思いました。

冒頭申し上げた通り、僕はクリエイターというお仕事をしています。

クリエイティブにはクライアントさんの課題解決という明確な目的がありますが、今回のこの活動にクライアントさんもいなければ、これといった課題もありません。

それでも、きっとUMAたちの人生は誰かの人生を救う、ためになる。と思いこの活動を始めようと思います。

いま、この文章をここまで読んでくださったあなたの人生に少しでも影響できるものを届けるために、たくさんの人の人生に触れ選択肢や考え方、価値観が変動していくようなものをお届けできれば幸いです。


最後に、2つだけお願いがあります。

最後までお付き合いいただいたあなたに、一方的ですいませんが2つだけお願いさせてください。

1つ目は、この企画に参加していただく方には、僕が根掘り葉掘り聞きながらその人の価値観を形成したハヴィトゥスや絶望・そこから立ち上がった初期衝動や、自分を形成するうえで欠かせないオールタイムベストのコンテンツなどいろいろな話をお伺いしていこうと思います。
そのうえで、どうかその人の人生にネガティブな言葉をかけないでいただきたいのです。いいことも、悪いこともあって今がある。乗り越えたからこそ、話してくれる。そんな、これから出会うUMAたちの人生を、どうか一緒に大切にしてほしいのです。

2つ目は、そうは言っても人の人生をオープンにするということは簡単なことではないと思っています。
そして、自分としても言葉を武器にするものとしてのチャレンジ精神と矜持を持って、以降の投稿は一部を有料にて公開させていただくことを考えております。

どんな方かというイントロなどはどなたさまも見れるようにさせていただきますので

「この人の人生に興味がある・覗いてみたい」

「この人なら、自分の鬱屈としたものを晴らしてくれるかもしてない」

そんな、UMAたちと皆さんの出会いの懸け橋になれればと思います。

これから始まる【TOKYO-UMA】どうぞ皆様よろしくお願い申し上げます。


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