東京ヤクルトスワローズの応援歌でおなじみ「東京音頭」のルーツは丸の内にあった。
こんにちは、東京歴史ナビへようこそ!
今回も、歴史とともに東京の街を案内していきます。
今回の歴史ナビのテーマは「東京ヤクルトスワローズの応援歌でおなじみ「東京音頭」」です。
いまや傘を差しながらヤクルトスワローズを応援する一つの楽曲でありますが、
この「東京音頭」はじまりは丸の内にありました。
本日は丸の内の街を案内する内容ではありませんが、ちょっとしたオマケだと思って頂ければ幸いです。
東京歴史ナビでは各地域にスポットを当てた歴史や、
その歴史的な視点でルート案内を行った内容をPodcastやYouTubeで配信しています。
noteではそれをテキスト化し、画像を含めて分かりやすく説明しています。
早速いきましょう。
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全国的に熱狂したヒット曲「東京音頭」
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東京音頭と聞いて、あまりイメージが浮かばない方もいると思うんですが、
レコードの売上でいうと1933年(昭和8)発売当時だけで120万枚だそうです。
最近で言うと、2019年のオリコンシングルCDランキングは一位のAKB48の曲が約140万枚なので、
現在のオリコンのトップスリーレベルのヒット、しかも現在とは売り方もSNSなどの情報もないなかでは価値の大きいヒットなんじゃないかと思います。
それからロングヒットとなり、正確には不明ですが約40年経った1971年(昭和46)時点で2000万枚売り上げるほどの曲だそうです。
当時、大ヒットしたときのエピソードでは、
東京の色んな場所で市民が踊り狂ったと言われていて、浅草では客を奪われた映画館が暴力団を雇って盆踊りの集まりに殴り込みをかけるだとか
神田では昼間っから本屋に集まる小僧や学生が踊りだすし、それに通行人が参加することで熱狂が収まらず、警察はなんの処置もとれないほどだったそうです。
この熱狂には国際的な立ち位置の悪化や不況による市民の心配があり、
その反動として起きたなんて言われ方もしているようですが、
町中が熱狂し、全国でヒットしたそうです。
しかし、この東京音頭は一年前に別の題名と少々違う歌詞で発売されていました。
それが「丸の内音頭」です。
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関東大震災の復興宣伝策「丸の内音頭」
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丸の内音頭は東京音頭が発売される1年前の1932年(昭和7)年に発売され、日比谷公園の盆踊り大会で初めて披露されました。
銀座に客足をとられた丸の内の商店会の旦那衆が関東大震災の復興宣伝策として発案したそうです。
それが披露されたあと、この人気に目を付けたビクターが題名を「東京音頭」に変え、
東京の都民がみんな歌えるような歌詞に変えて発売したそうです。
この時は蓄音機をもって各地の盆踊りに出向いては踊り方を指導したり、
レコード店でも盆踊りとともに手売りするなど、
とにかくビクターの社員が動きまくって、盆踊りの時期を過ぎても人気は衰えなかったそうです。
その後、東京ヤクルトの応援歌へと変わり、現在も歌われる曲として存在感を示しています。
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まとめ
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ということで、『東京ヤクルトスワローズの応援歌でおなじみ「東京音頭」』というテーマでお送りしてきました。
関東大震災の復興宣伝策だった「丸の内音頭」が
「東京音頭」へと名前と歌詞を変え、全国的にヒットしていく。
それが数々の歌手に歌われ、今は東京ヤクルトスワローズの応援として使われる。
そんな東京音頭のルーツが、実は丸の内にあったというお話でした。
いかがでしたでしょうか。
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ご視聴ありがとうございました。
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