ゼンブノセ!!-神役も悪役もぜんぶ俺な件- ③
「み、貢(みつぐ)っていいます」
コタツに当たっている3人と距離を取り、絨毯も敷かれていない床の上で正座をする少年は、そう名乗った。
ツナミと青羽が人間ではなく怪物の類だと理解した少年-貢は、取って食われやしないかとビクビクしていた。
「……はっ!」
さらに、貢はあることに気付き身を縮こめる。
着古したワインカラーのパーカーの上に羽織っていたジャージが、ツナミと同じメーカーのものだった。肩から手首にかけ、外側に白いラインが入っているのが特徴だ。
気付かれたら絶対に突っかかって来るだろうな、と生きた心地がしなかった。
「それはそうと」
イチゴパフェアイスの残骸を貪っているツナミと火華を野放しにしたまま、青羽が口を開いた。
「はい!?」
貢は肩をビクッと動かし、上ずった声で返事をした。
やべ、絶対気付かれたよ、身包み剥ぎ取られるよ。これ一張羅なのに……。
と、そんなことを考えながら青羽の次の言葉を待った。
「そんな怖がんないでよ。お腹の傷はどうしたの?」
少し困ったように笑う青羽。怯える貢をなだめつつ、ソファに寝ていたときに見えた腹部の傷について問うた。
「あ、これ……」
ツナミとお揃いのジャージの上から、貢は傷の辺りを手で抑えた。
「けっこう前の傷っぽいけど?」
「あ、はは、俺、いじめられてたから。そのときの傷です」
貢は軽く笑ってみせるも、腹部に触れていた手には力をこもる。俯き、情けない自分を思い出して唇を噛み締めた。
「父さん、俺をいじめてた奴らを学校から追い出してくれたんです。それなのに俺、ずっと学校に行けなくて……」
「はっ 追い出された後、そいつら全員殺されたよ。てめえの親父に」
「え」
アイスで口の周りをベタベタにしているツナミの言葉に、貢は顔を上げた。
「んなことしなくてもよ、全員まとめて俺が正しく地獄に突き落としてやったのにさあ。ホント、バカだよなあ」
「……るせぇ」
「お? なんか言ったか?」
ツナミは、再び俯いて肩を震わせている貢に近寄り、隣でヤンキー座りを決め込む。今のツナミは完全に悪役だ。
「うるせえって言ってんだよっ!!」
大声で叫ぶと貢は立ち上がり、コタツにいる青羽と火華の前を足早に通り過ぎて、シェアハウスを出た。
道路へ飛び出すと、途端に冬の風が体に吹き付ける。
パーカーのフードを被り、ジャージのポケットの底が破けそうになるくらい手を押し込んだ。
体を丸めて歩き出そうとすると、
「死ね」
星が静かに輝いているだけだったはずの空から、不吉な声が降ってきた。
気付いたときには、怪しく光る真紅の瞳が鼻先にあった。
目が合うと、整った顔立ちの少女に見えるそれは、口が裂けそうなほど口角を吊り上げて笑う。
途端、骨が割れそうなほどの力で両肩を掴まれ、貢は思うように呼吸ができなくなる。
少女の大きく開いた口が貢の顔面にかぶりつこうと迫る。もうダメだと思い、貢は目を閉じた。
「……っ」
衝撃音の後。目を開くと、そこには同じジャージを着た背中があった。右肩には少女が被りついており、尖った歯の隙間から血が溢れ出ている。ツナミの血だった。
「死んでねえか?」
「あ、い、生きてます……」
ツナミのぶっきら棒な声かけに返事をしてすぐ、貢は尻餅を着く。そこへ青羽と火華もやって来た。
「あれは、怪物だね。ツナミがここの担当になる前に死んじゃった子かな」
青羽がのんびりした口調で言う。ツナミが貢を助けに入ることはすでに了承済みだ。ただし、血を流しすぎないことを条件に。
ツナミが鎌を巨大化させてひと振りすると、青羽が怪物と言った少女は後方へ吹き飛ばされた。
ようやく勢いが止まった少女の体は、地面に仰向けに横たわった。起き上がろうとすると、その細く白い首元に鎌が押し付けられた。
「なんで襲った? どうせしょうもねえ理由だろうけど、一応聞いてやるよ」
「あ、悪魔……」
自分を見下ろすツナミを見て、少女は思わずそんなことを呟く。
ツナミの問いに返答が遅れると、鎌が首に食い込んできた。理由を話す前に殺されそうだと、少女は焦って口を開く。
「……あいつの父親に殺されたんだよ。いじめてた奴らの仲間と勘違いしたみたいで、何度も殴られて蹴られて。その間ずっと、あの男は笑ってた。思い出すだけで吐きそうになる」
「園田……?」
青羽と火華に支えられながらツナミたちの元へやって来た貢は、当時の同級生の名を口にした。人間だった頃とはだいぶ印象が異なり、ようやく思い出した次第だ。
「お前、転校するって」
「そのはずだった! だから最後に、あんたに手紙を届けに行ったっ そしたらそのまま捕まって、殺された……っ」
「そ、そんな……う……そだ、ウソだ……っ」
「嘘じゃない!! あんたの父親はク……っ」
青羽は貢を首の後ろに、ツナミは少女の腹部に、それぞれ慣れた手つきで衝撃を加えて気絶させた。
「ごめんね。言葉だけで人間は死んじゃうらしいからさ」
優しい言葉をかける青羽とは逆に、ツナミは黙ったまま、倒れている少女をただ見下ろしていた。その眼差しは神のようであり、悪魔のようでもあった。
***
翌朝、貢が目を覚ますと、つま先の向こうにある部屋のドアが、ちょうど開いたところだった。
「あ、起きたね。おはよう」
入ってきたのは青羽だ。いつの間にか貢は、青羽のベッドに寝かされていた。
昨晩の記憶がふいに思い出される。
元同級生の怪物と化した少女-園田蘭(そのだらん)の出現はあまりにも突飛で。夜が明けた今となっては、夢のなかの出来事のようにも思える。が、あれは紛れもない現実だ。
混乱したまま貢が体を起こすと、
「りんご、食べる?」
青羽がベッドの淵に腰掛け、ガラスの器に入れて持ってきたうさぎに模られたりんごを差し出してきた。食欲はほとんどなかったが、断る気力のない貢は黙ってそれをつまんだ。
りんごを小さくかじった貢を見て青羽はニコッと笑い、ベッドにガラスの器を置くと、天井を仰いだ。
「……俺の父親もけっこう恨まれる人でさあ」
そして、昔の記憶をそこに投影するように語り始める。
「一族みーんな迷惑してるの。なのに、最後はあっさりいなくなっちゃって……ホント、父親って勝手だよね。でもそんなヤツに人生振り回されたくないじゃない? だからさ、君は君の人生を生きなよ」
ポリッ
貢はもう一度りんごをかじる。咀嚼している最中、目からポロポロと涙がこぼれ出た。
「あともう1つ。蘭ちゃんはああ言ってるけど、本当はただ、貢に会いたくて来たんだと思うな。とりあえずあの子はうちで預かることになったから、頭んなか整理できたら、また会いに来なよ」
声を押し殺して泣く貢の肩を、青羽は優しくさすった。
*
「じゃあな、またゴミクソ親父のせいで殺されそうになったら来いよ」
「ツナミは恥ずかしくてざわと意地悪なこと言ってるだけだから、気にしないでね」
「待ってる。来るときは甘いもの持ってきて」
まだ生まれたての朝日が眩しい、朝8:00のこと。
リビングのコタツで爆睡中の蘭はそのままに、ツナミと青羽、そして火華の3人は貢を見送りに玄関へ集合した。
「……ありがと。それから、いろいろごめんなさい。甘いもの、忘れずに持って来ます」
おそらく、貢の傷はまだ癒えていない。また父親のことを思い出して苦しむこともきっとあるだろう。けれど今朝は、年相応の少し恥じらいを含んだ表情と、軽い足取りでシェアハウスを出て行った。
3人がリビングへ戻ると、そこには蘭が寝ている-だけではなく、長い白髪をハーフアップに束ねた無駄にイケメンな男がコタツでぬくぬくやっていた。
「てめえ、獅子尾(ししお)!! あの夜はよくもっ」
その無駄なイケメンは、ツナミがあの夜、死神の元へ送った貢の父親を送り返して来た張本人だった。
殺意で溢れかえっていたツナミは、あれからすぐに死神の門に問い合わせ、あの日の担当を突き止めていた。
「朝からうるさいねえ。これだから混合種とは分かり合えないんだよ」
イケメンは黒い着物の上にさらに黒いコートを羽織ったまま、暖を求めてコタツの中にずんずん突き進む。
獅子尾堂(ししおどう)、死神の純血種。
見た目年齢24歳。死神として生きている年月からすると、実際は105歳。
わずかながら人間の血が混ざっているツナミは、生きている年月が年齢に反映されるのに対し、獅子尾などの純血種はほとんど不老不死だ。純潔といえば青羽も見た目こそツナミと同じだが、実際のところは……不明だ。
「そろそろ会合でしょ? だから超面倒だけど会いに来てやったの」
「超面倒はこっちのセリフだ」
「まあ、超面倒だから手身近に言うけど、ここら辺一帯、やっぱり明らかに増えてる」
むすっとしていたツナミは、途端に瞳に鋭い光を宿す。
「増えてるって……罪人が?」
獅子尾はため息を漏らし、頷いた。
「もともと罪を犯す人間は一定数いるが、これは異常。鬼門側の他の門番たちも気にしてる」
「もしかして、あのときと……」
「うん、同じ。嫌な空気を感じる」
ツナミが口にした”あのとき”とは-3人がシェアハウスに一緒に住むことになった、人間界で起こった最大にして最悪の事件のことだった。
***
会合よりも前に、各界の長たちが一堂に会する場が設けられていた。ただし、地獄を率いるサタンだけはなぜか呼ばれていない。
ツナミの一族からは神である父親が参加していた。かしこまった場にも関わらず、いつも通りキャラT着用の34歳。ちなみに童顔が自慢だ。
「罪人が増えたのはまあいいとして、そのほとんどが地獄へ送られてるのが問題なんですよ」
「仕組まれている、と言いたいのですか?」
「ええ、私の予想では。あれと同じ事件が起こるのではないかと」
「で、今回の集まりの目的は?」
会の進行をしていた父は、Tシャツにプリントされた笑顔のボカロの前で手を組んだ。ふざけた出で立ちとは裏腹に、神の威厳を感じさせる声で言う。
「サタンを抹殺することです」