仮説思考の罠

以前に書いたエントリ「情報を浴びる」の根底にある考えについて補足的に述べる。

仮説思考はものごとを効率的に考えるための思考方法の一つであるとされている。私は仮説という言い方よりも「仮の答え」という表現の方がより感覚的にわかりやすくかつ行動に結びつくために好きであるが、いずれにせよ仮説を立てからそれを検証するという方法で思考することは私も効率的ではあると思っている。

ただし仮説思考は最近では「どんなに難しい問題も解決する万能な考え方」とされている印象があることにはいくばくかの違和感を感じる。仮説思考はあくまでも一つの思考方法に過ぎず万能ではないのである。

たしかに何かを判断するためには一旦は強引にでも仮の答えを出すべきではある。しかしわざわざ高いお金を払ってコンサルティングファームに依頼するような難易度の高い問いを解こうと思うのであれば、その仮説の筋の良さには注意が必要である。理由は解くべき問いの難易度が問題解決を担当する人物の能力と比べて高い場合に仮説をひねり出すと極めて一般的なものしか出せず、それを証明したところでもクライアントにとっては全く付加価値がないのである。ただし当たり前のことであってもそれを客観的に証明するのは案外骨の折れることなので、筋の悪い当たり前の仮説を立ててそれを証明すると付加価値が低い割りに莫大な時間が消費されてしまうのである。これを果たしは仮説思考の罠と呼んでいる。

一方で仮説思考の重要性を説いている人たちの相応の割合はコンサルティングファームの出身者・在籍者であり、このような人たちは構造上「仮説思考の罠」に気づきにくいし場合によってはあまりそれを意識しないのである。理由はファーム全体としては筋のいい仮説を最初から立てられる当該業界なり機能なりに知見があるシニアなメンバーがチームメンバーとして参画しているためである。そのためチームとしてみるとコンサルティングファームであれば筋のいい仮説が最初から立てられるのである。結局のところ仮説思考が威力をもっとも発揮するのは筋のいい仮説を最初から出せる場合なのである。(もちろんそれがなかったとしても仮説思考をするべきではない、とは言わない。)

一方でそのような環境がない中で仮説思考をするとそのようにはいかないのである。ではどうすればいいのか?一般論としては「筋のいい仮説を出すためには何をするべきか?」という論点を立てその問題解決をするべきなのである。言い換えるとコンテンツではなくプロセスの問題解決をするのである。ただしこれはあまりにも一般的であり、現実的には「いろいろとジタバタしてみる」というのが落とし所だと思っている。以前にも書いたとおり時間を区切って仮説や論点などはあまり考えずに一次情報を見てみたり、人と議論をしてみたりして「情報を浴び」そのあとでもう一度仮説を考えるのである。(もちろん一番いいのはテーマをよく知る人から仮説を引っ張り出すことである。)

仮説思考をするときは常に「そもそも自分は構造的に筋のいい仮説を出せるのか?」と自問しもしもNoであったとするならば、プロセスの問題解決に頭をシフトさせるべきなのである。

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