「挨拶が無い」と怒る人は挨拶が無いから怒ってるわけではない

「あいつは挨拶がなってない」

こういうこと言う人いますよね。

偏見で申し訳ないのですが、
いわゆる現場作業系の方だったり
ヤンキーチックな方達だったり、、、

今更かもしれませんが、
ようやくこういう人達が
なぜ挨拶が無いと怒るのか。

納得のいく答えが出てきました。


結論:結局あなたナメられてますよ

例えば挨拶が無いと怒る人達は
自分より明らかに目上の人から
挨拶が無かったら声に出して怒るでしょうか?

心の中では怒るかもしれませんが
大多数は声に出すことは無いでしょう。

それにあなたの上司が普段は挨拶する人だけど
たまたまその日だけ挨拶しなかったとしても
あなたは怒りますか?

普通はまあタイミングが合わなかったんだろうな
くらいにしか思わないはずです。

要はそういうことなんですよ。
根本的な原因として

「挨拶をしたか否か」ではありません。

挨拶を通して
「相手に敬意を払っているか」どうかを
問われているわけです。

しかし、先程のように自分より目上の人から
ちょっと挨拶が無かったりするくらいじゃ
普通は怒りませんよね。

それはその上司が自分からみて
敬意を払うべき相手だからです。

なんとなくお気づきになられた方もいると思いますが、

つまりAさんがBさんに対して挨拶がなってないと
怒るということは、AさんはBさんが自分に
敬意を払うべきだと思われているということです。

その時点で既にナメられているんですよ。

敬意を払うとはなにか?

敬意を払うという言葉が
日常ではあまり使わないですよね。

もっとカンタンな尊敬とかが
通常は使われると思います。

では、なぜ敬意という言葉を
使ったかというと、このことに
気づいたのはある1冊の本がキッカケでした。

それがテレビでもお馴染みの
丸山ゴンザレスさんの本でした。

丸山さんは危険地帯ジャーナリストという肩書のとおり、
スラム街とかギャングとか麻薬戦争とかそういった
アングラな人達をたくさん見てこられた方です。

そんな丸山ゴンザレスさんの著書を
読んだ時に一番私がグッときた言葉が

「相手に対して敬意を払わないということが諸悪の根源」

といったことをおっしゃっていました。
(若干意訳です)

日常社会では相手にナメられてもナメても
そこからすごい大問題になることはありませんが、
危険地帯の人達からすれば、

ナメられる=「死」

こうなってしまいます。

だからこそ、極道の世界でもマフィアの世界でも掟や疑似家族という
フィルターを通して、組織や親分に敬意を払わせるのではないかと思います。


自分はどう見られているのか?

と、極端な世界の話は置いといて、
実社会に話を戻しましょう。

まず、ハッキリ言って挨拶が無いと怒る人は大体

「挨拶される価値が無い」
「逆に下から尊敬されてない」

人です。

なぜなら、こういう人達は相互理解を無視して、
自分の世界観や価値観だけを人に押し付ける存在だからです。

時折、若い子でこういうことを
言う人がいますが、なんて狭い視野で
動いているのだと思うことがあります。

まあ、既にこういうことを言う人は
もう手遅れなので基本は無視です。

ここで論じたいのは
将来私達がそうならないための心得です。

人間歳を重ねるとどんどん価値観が固定されてくるので、
自分と違う価値観を持つ人間を否定し始めます。

それでは元の木阿弥。

そこで私が今後大切にしていきたいのは
相手に対して自分がしてあげられることは
なにかないだろうか?

という視点です。

相手の立場に立って物事を考える癖を
付けておけば、独りよがりの独善的な
思考は身につきません。

「自分は一緒に働きたいと思われる人物だろうか?」
「人のために何かをしてあげられているだろうか?」

この思考を常に持ちながら人と接することを
意識するだけで、だいぶ変わるんじゃないかと思います。

さいごに

もうこんなことは今更分かりきってることだとは
思うんですけどね。


調べてみてもちゃんと言語化されてる
記事が無かったので書いてみました。

もし、こういう人が周りにいても
「こいつホント器小さいな」と
思える器が大きい人になりましょう。

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