3.馬鹿にあげた
「あんたを殺してわたしも死ぬ!!」
握りしめたのは柳刃包丁。
刺せばしくじっても切先が体内に残るらしい、絶殺武器。
わたしは本気だ。
この、浮気者でプレイボーイでわたしの彼であるアイツを刺して死んでやる!
「まー、落ち着けってー笑」
こんな状況でも彼はひょうひょうとしている。
わたしはこんなに真剣なのに。最期でも本気で向き合ってくれないのね。
覚悟を確認するように、包丁の柄をきつく握り直す。
「殺す! 滅多刺しにしてやる! 嫌だって言っても」
「別に嫌だとは言ってないじゃん笑」
「黙りな……はあ!?」
午前1時の薄暗がりの中、彼は「まあまあ、その辺にお掛けくだせえ笑」なんて言って、神社の軒下に座り込んだ。
「でもおまえ、俺を刺したあと本当に死んでくれるの?」
「し、死ぬわよ!?」
「本当にー? やっぱり怖くてやめたーってならない?」
「ならないわよ、ふざけんな!!」
「じゃあさー、俺が万が一助かって、おまえだけ死んだらどうするー?」
「えっ」
「そしたらおまえ、死に損じゃない?」
「そ、そんなことがないように……」
「俺ねえ、二人とも確実に死ぬ方法知ってるよ?」
彼は試すようにわたしを見上げた。
強い視線が絡みつき、体が火傷しそうなほど熱くなる。
「おまえと俺が結婚して、それで一緒に歳取って、天寿をまっとうして死ぬの。どーかな?」
「!」
ただ、まばたきをしただけなのに。目から大粒の涙がこぼれ落ち、頬を濡らすのを感じた。
コトン、と足元に包丁が転がった。
手が震えていた。
「なにそれ。ずるいよ……」
「ごめんなー心配かけて。もうどこにも行かないからね」
彼がわたしの隣に歩み寄り、そっと抱き寄せて頭を撫でてくれる。
も、そーいうのがずるい。ガチで好きなんだってば。ずるい。好きだよぉ……。
「よしよし。帰ろうねー」
みっともなく泣きじゃくりながら頷くと、彼は安心したというようにわたしの肩を叩いて、軒下に置いたバッグを取りに離れた。
ふと、わたしは帰り道の下り階段の前へ立った。
明かりのない階段の奥はどんなに涙を拭って目を凝らしても、井戸の底を覗き込んだように闇で満ちている。
この階段の先のように、プレイボーイな彼を持つわたしの人生は真っ暗で手探りだ。
でもわたしはあの馬鹿に、人生をあげようと決めたから。
だから……。
「?」
身体がぐらりとバランスを崩す。
あれ。
あんた、いつの間にわたしの背後にいたの?
勢いづいた身体ひとつ、軽やかにダンスするよう、暗闇の奥へと吸い込まれていく。