雨が見えない大人たち
それは昼下がりのこと。
外に出るとジメっとした気持ち悪さが肌に吸い付いた。
今年も、この季節がやってきた。
外に出るとズボンの裾に水玉模様がどんどん描かれ、気が付くとずぶずぶになる、この時期。
洗濯を回したのはいいものの、3日前のTシャツがまだ外に干しっぱなしで、乾いたかどうなのかも曖昧で危うい、この季節。
地元にいた時は"梅雨"を意識したことはなく、ある意味無縁の生活を18年送っていた。
だが東京で生活してからというもの、目的地まで自分の足をせこせこ使い目的地に向かわなければならない。動力は自分。
箱にタイヤのついた乗り物も、途中までしか使えない。
必然的に今日の天気を気にかけるように。
6月が雨の季節だと認識したのは、最近のこと。
見えない雨
こんな話を聞いたことがある。
海外の昔の絵画を見てみると雨が描かれている絵はなく、昔の人は雨が見えなかったのかもしれないという話。
人は認識しているものしか目に見えないという。
東京にいると席を譲るか譲らないかの問題があるけれども、あれはそもそも席を譲ることを認識していない人に、譲る選択肢は存在しない。
気が利かないとか、意地悪をしているとかそんな話ではなく、"席を譲る"を持っていないだけ。
見えるものと見えないものが人それぞれ違うと気づいてからは、違いが面白いと思えるようになった。
JUNE
こちらの世界の体感時間は、地元にいた時の2倍くらいのスピードで進んでいて、コマ送りにみえる。
毎日待ち遠しい土曜日も、その時がくると瞬きしているうちに通り過ぎていき、新しい1週間が始まる。
なぜこんなにも通り過ぎるのが早いのか、疑問だ。
地元にいた時の時間の流れはかなり穏やかで、何度も時計を見直して、まだ1分も経っていないことに気づいてため息をつくことも多かったのに。
Tokyo
地元の時間の流れが自転車だとすると、東京は新幹線くらい。
出会う人、絶え間なく動く群衆、新しくできた話題のスポット。
どれもこれも新鮮で、止まる時間なんて与えられていない。
目まぐるしく、ぐるぐると時間に振り回されて、気がつくと10年も経っていた。
ほんとうに面白く、ありえないほど、飽きない。
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こっちにきて6月を梅雨の季節だと認識したが、時の流れのは認識できそうにない。
そんな忙しい世界だけど、この生活が楽しくてたまらない。
written by みんちゃん