どれだけ近いと言われても、憧れた東京生活
出身地はどこ?と聞かれることが度々あります。
そして答えると必ず、「近いなぁ」「わざわざ上京しなくても」。
私は、二十歳くらいの時に上京してきました。大学が千代田区の市ヶ谷の方にあり、最初の1〜2年は実家から通っていました。朝の満員電車ではへとへとでしたが、特に通学で困ることは無かったように思います。
実際、家から学校までは電車で1時間半程度。通えない距離ではないのです。
私の地元は、地方と言えるほど特に目立った特産物もなく、落花生や醤油といえば伝わるくらいで、街の有名な観光名所はほとんど東京と付きます。わざわざ上京しなくても、と、自分でも思います。
そんな千葉から東京へ
割と都心に近く、通学時間もそこまでかからない。実家暮らしで悠々自適に生活できたはずなのになぜ、、
私には東京への憧れがありました。
千葉といっても都心に近い方だったので、高校生くらいのころは、放課後に原宿へクレープを食べに行きました。それから、千葉にはないような服屋さんで思いっきり買い物を堪能したり、東京のあらゆる都会さに驚いたり。
偶然、芸能人に遭遇してはしゃいだり、地元にはイオンにしかないプリクラ機がごまんとあるゲームセンターで目を輝かせました。
電車で数時間の距離なのに、空気や人、景色が全く違うものに見えるあの感覚が、当時の私たちにとってすごく刺激的でした。
地元にはなかったものが東京では当たり前のようにあること。地元が全ての世界だと思っていた私にとって、大学進学をきっかけに、そして通学や出会う人たちから、東京への憧れは増していきました。
憧れの東京、生活のギャップ
学生生活半ばに入り、アルバイトも安定してきた頃、私は上京することに決めました。
家を契約し、家具を揃え、通学時間が半分以上減りました。アルバイトは終電ギリギリまで働けることに。友人を家に招いて食事会したり、休日は東京のあらゆる街に出向いて、たくさんの初めてを経験しました。
しかし、慣れない一人暮らしで良いことばかりではありません。
家賃の支払い、光熱費などのお財布事情や、自炊洗濯等、家事全般の生活を工夫するという難しさを初めて知ります。今まで家族がやってくれていたことを、全て担う大変さ、そして絶え間ない人付き合いと、物価の高さ。
東京生活の楽しさと比例するように、責任というものが伸し掛かるようでした。
上京することによって得た成長
生活に慣れるまでは、正直大変でした。
家事が当たり前のようにできたのはいつからか、もうわかりません。生活に対する責任、やらなければ生活できない、という環境が私を成長させてくれました。
自分一人だけの部屋で先の見えない未来や生活の不安が止まらず、夜中に涙することもあったけれど、自分で考え迷い答えを出すというのは、誰かに頼ってばかりの上京前の自分じゃできなかったことだと、今では思うのです。
最後に
ちょっとした勇気、挑戦が今まで見ていた当たり前のような世界をガラリと変えてくれます。憧れを信じて良かったと、東京に住んで思うのです。
しかし、東京はまだまだ広い。
私の上京物語はこれからも続く。
written by Yamamoto