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喜劇の主人公に

チャップリンの名言で、「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」というような言葉がある。
チャップリンの映画自体もそれを語っていて、例えば「街の灯」では盲目の少女に恋をする姿が描かれている。盲目という、自分が経験すれば悲劇に感じてしまうような出来事も、彼の喜劇の一部となってしまう。
この映画は本当に温かくて、クスッとできるシーンも多いので気になる方はぜひ見てみてほしい。

喜劇を求めて

というわけで、悲しい時やなんだか上手くいかないモヤモヤを抱えている時、私は外に出るようにしている。家の中で孤立して過ごすよりも、見慣れた景色だとしても、外に出ることで得られるものがあると思うからだ。

一歩外へ出てしまえば、冷たい風が全身を通り抜けて、車や自転車、街行く人の足音、と様々な音がいっぺんに舞い込んでくる。
そんな賑やかな昼もあれば、街は静まり返って自分しかいないような錯覚に陥る夜もある。

街並みは映画のセットのように思える日もあるし、見慣れすぎて、もはや自分のものだと言わんばかりに堂々と歩けるような日もある。
とにかく自分の気の持ちようで、どうとでもなる世界に気づく。
そんな風に、外の世界をあれこれ感じながら歩いていると、いつの間にか自分の悩みはどうでもいい事柄に変化している。
何も面白いことが起こらなくたって、きっと自分は喜劇の一部なんだと思い込んで歩く。

水面に映る光が星のように見える
何か星座が作れないだろうか、なんて考える

喜劇を信じて

「非日常の特別な時間」よりも「日常の中に見つける特別な瞬間」の方が好きだ。
例えば、夢の国と呼ばれる場所があるけれど、私はそういう場所があまり得意ではない。それが非日常であると理解しているからこそ、その瞬間しか楽しめないようで少し寂しさを感じてしまう。「せっかくだから楽しまないと」と友達は言うけれど、楽しさは無理に詰め込むものではないと思っている。(これはあくまで私のひねくれた価値観なので、夢の国を否定しているわけでは全くない)
それよりも、毎日のつまらない日々の中に特別な瞬間を見つける方が何倍も嬉しく感じる。
それは月の満ち欠けの美しさや、季節ごとに違う花が咲く公道を眺める瞬間だったりする。

そんな風に、近くにあるものの素晴らしさに気づくことができれば、自分の人生を自分で喜劇に変えることが出来るだろう。

行きつけの回転寿司では狭いカウンターで隣の人に侵略されたり、歩道を全速力で走る自転車軍団に轢かれそうになったり。実際に起こった瞬間はとても嫌な気持ちになった事柄も、今思い返してみると滑稽で面白く思えてきた。

こんな風に、いつだって喜劇の主人公になれることを信じて、街を感じるようにしている。

Written by HINA